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「進化の構造」紹介

今私は、ケン・ウィルバーという知的巨人の主著「進化の構造」に取り組んでいます。正直手強いです。「遅々として進まず」といった感があります。
まずもって「大著」です。上下二巻で、両方ともハンパない分厚さ。しかも、すでに絶版本のため、私の手許には上巻しかなく、古本はプレミア価格。
様々な意味において、「これからウィルバーを読もうか」という人には、決してお薦めできません。とはいえ、これがウィルバー思想のエッセンスでもあるため、読まずに済ますわけにはいきません。私としては、ウィルバーの他の著書を先にそれなりに読んできた後だったので、何とか読みこなせているか、といったところです。
それでも、様々なハードルを乗り越えつつも読む価値ありです。内容が深いので、読みこなすのは大変ですが、それだけに、掘り下げれば掘り下げるほど「目からウロコ」です。

どんなウロコが目から落ちるのか・・・
まず第一に、私たちが「この世は多様である」というとき、それは生物の種が多様だったり、あるいは人種や宗教や価値観・世界観が多様だったり、という具合いに、主に水平方向の多様性をイメージするでしょう。では、垂直方向の多様性とは何かを明確にイメージできるでしょうか? むしろ垂直方向の多様性は認めたがらない傾向があるのではないでしょうか? 私たちは「人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という、多分に政治的(あるいは倫理的)な側面に限定された価値観を絶対視していないでしょうか? しかし、こうした「色眼鏡」で世界を見ている限り、世界の残り半分から目を背けているのと同じです。
これを言い出すと、「差別主義者だ」「権威主義者だ」「思想に階級制を導入しようとしている」などという非難が聞こえてきそうですが、あらゆる人に平等の人権を認める、ということと、たとえば男女のジェンダーの違いだったり、たとえばブッダとヒットラーを人間として同等に扱っていいのか、といった問題だったりを一緒くたにしていいのでしょうか?
「進化の構造」は、まさにあらゆるもの(物質や心も含めた)の「進化」とはどのような構造(あるいはプロセス)を持っているか、というテーマの本ですが、この本の原題が「Sex, Ecology, Spirituality The Spirit of Evolution」であるという点も象徴的です。決して「The Structure of Evolution」ではないのです。

私たちは、すべてのことをたったひとつのモノサシで測りたがります。問題を複雑にしたくない、という思いからかもしれません。そこでついつい、「多様性、平等性を認めろ」「私は私、あなたはあなただ。それ以上でもそれ以下でもない」と声高に叫んだり、「この世に絶対的なものなど存在しない。すべては相対的である」という考えを「絶対視」したりします。このように主張したとたん、それ以上議論しなくて済むからかもしれません。
しかし、私たちがこのような意識レベルにとどまっている限り、戦争や紛争、貧困や飢餓、環境破壊といった全人類規模の問題が解決されるとは思えません。

とはいえ、ウィルバーは事態をいたずらに複雑化しようとしているわけではありません。「すべてのことをたったひとつのモノサシで測りたい」という私たちの究極的な欲望も、ちゃんと満たしてくれています。その「たったひとつのモノサシ」とは何かというと、それは「ホロン」です。この世界を「ホロン」というモノサシで測り始めると、今まで私たちが「常識」だと信じ込んでいた多くの事柄に、途端にパラダイムシフト(判断基準の転換=モノサシの持ち替え)を迫られるのです。これも「目からウロコ」です。
というわけで、私は今、「ホロンとは何か」というポイントにさしかかっています。これはウィルバー思想の根幹を成す部分なので、少し時間をかけ、入念に取り組んでいます。「ホロン」という概念は、サラっと上辺だけ撫でるのでは、おそらく何が何だかわからないでしょう。逆に深掘りしようと思えば、底なしです。「浅からず、深からず」という、そのあたりのさじ加減が大変です。

ケン・ウィルバーという人は「魂の兄」だと勝手に思っている私としては、そもそも、ウィルバー思想という、この巨大で難解な「全体像」を、どれだけ噛み砕いてわかりやすく料理し直せるか、これが自分のライフワークのひとつだと勝手に思っているわけです。
今回もそれが、私として首尾よくできるかどうか、皆さんのご判断を仰ぎたいと思っています。

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アンソニー  K
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