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モデルだからわかる写真の撮り方
どうも、トウドウカズキです。
今回はタイトル通り、『モデルだからわかる写真の撮り方』について
書いて行くんですが、具体的な撮り方というより自分が写真を撮る際の
マインドセット的な話を垂れ流して行こうかと思います。
写真をすでに撮っている人、これから始めようと思う人は是非、
参考にして欲しい。
まず、本文を語る前に簡単なプロフィールを書いておきます
藤堂和希:model/photographer/designer(accessory&graphics)
上記の仕事を兼業している人間です。職業としては、全く成立してませんが、映像とイラストもできるというよくわからない人です。悪く言えば、器用貧乏です。良く言えば、マルチクリエイターと呼ばれる最近増えてきた人種かもしれない。
主に、自身のブランド(AnthologyGarden)を経営する事で生計を立てつつ、ブランドルックモデルやインフルエンスマーケティングに関わる仕事を捌いています。
モデルとしては、かれこれ7年。割と長く、SNSが流行る前から関西コレクションとかでランウェイモデルから初めて、気づけば、SNSでの活動がメインになってます。
写真を撮りはじめたのは、大学2年生の時。モデルをやってる身だと絶えずいろんなカメラに巡り会い、撮られるので、自然と興味を持ち今に到る。
デザイナーは去年の10月、AnthologyGardenという自身のブランドを経営するに当たってアクセサリー等のデザインをし始めると、ありがたいことにグラフィックの仕事も舞い込んでくるようになった。
というのが最近の自分です。
そもそも、なぜこの記事を残そうかと思ったのか。
この2年間くらい、モデルとして撮られ、SNSを見続けていると、なんとなくですが、撮られる人が増えてきたなという感想を抱くようになりました。それと同時に、Instagramという新たなSNSが普及し始めた途端、photographerも増えてきたような印象受ける。今まさに飽和状態。
正直自分もその波に乗っかっているのはオフレコでお願いします。
そんな中で、SNSにはありとあらゆるジャンルの写真が散見するようなった。これは割と、この記事をわざわざ見にきてくださっている人は感じているのではないでしょうか?どうだろう??
写真が普及し、今では高校生でもフィルムカメラやミラーレスを持ち始め、写ルンですなんかでエモい写真を撮る人まで出てきて、おじさんは結構嬉しい反面、若い連中に恐怖を感じる。というか、
みんなさ。マジで、うますぎん?いやほんまに。冗談抜きで。
SNSのおかげ、僕のクリエイティブは刺激されているのは間違いない。
常に質の高い作品がタイムラインに並んでいるのは本当に嬉しい。
ただ、逆も叱りだな、と言うのが本音だったりする。
撮られる側の人間が、その写真によってSNS内や世間、もしくはその両方において、どう見られ、どう印象づけられ、どういうメリットを与え、どういうリスクを背負わされるか、というのを考えて撮ったことはありますか
という話です。
具体的な例としては
モデル自身のブランディングにおいて、SNS内では、明るい印象を与えている(反社会的な印象が特にない)人が、フォトグラファーの意向によって喫煙等のモラル的問題スレスレのシチュエーションを撮るとどうなるか。とかです。
ここまで極端な例はさすがに無いですが、モデルのブランディングをそこねるような写真ってぶっちゃけ結構ある。極論、
何気ないフォトグラファーの写真によって、
モデルの今後の人生変わります。
撮りたいのはわかるが、モデルの意志含めリスペクトがない、
撮りたいだけの人をたまーに見かける。
モデルって正直、わりと受動的なんですよね。よっぽどカメラマンと仲良くない限りは、自分が率先して「こう撮ってほしいねん、お願いやん」的な事って言いづらいんすよね。もし反社会的な写真を撮るにしても、これは作品です。商用です。普段はこういう事をする人ではありませんが、撮らせていただきました的な予防線およびアフターケアくらいはキチンとして欲しいなと。これは、普段の姿なのか、作品内での姿なのか、はっきりしない事が結構ある。モデルは別にカメラマンの小道具ではない。別にそんなつもりはないかもしれないが、意外と雑な扱いになってたりする。
これはおそらく”撮る側”だけだと分からないポイントで、
絶えず”撮られる側”が思っているが口にしないポイントだったり、
撮られるに当たってそこまで考ていなかったりするポイント。
言わば、モデルとフォトグラファーの境界線的立場の話。
要は双方考えないといけないポイントだとは思う。
撮り方以前に、自分が写真を撮る上で、責任感を持っているかのマインドセットだよな。自分は別にそこまで写真に対して自信があるわけでもなく、正直な話、毎回撮る時クソほど緊張感もってる。楽しむというの大事だけど、どっちかっていうと先に責任を感じてしまっている。
そんなんいちいち考えてられっかいと思う人は、カメラ置いてほしい。
割と切実に。
こういう考え方が身についたのは、あるフォトグラファーと
飲みに行った際に聞いた、ある一言によるところが大きかったりする。
『撮るならコ○スつもりで撮れ』
今後の、モデルとしての選手生命はその一回のシャッターが
握っているという比喩表現でした。この言葉に到まで、色々エピソードがあったんですが、それは割愛しておきます。ただこんな事も言ってた。
『わしらフォトグラファーはいい写真撮れても、前面的にだされるのはモデルやん。わしら、写真の隅でちょこーっと名前乗るだけよ。責任感うっすいよなー』(一字一句あってるか覚えてませんがこんな感じでした)
これ聞くまでは、正直、撮りたいように撮ってて、自分もモデルの端くれの割りにしっかり考えてなかったなと反省しました。
どうせ、撮るなら、その撮らせて頂いた子が、
今後のモデルという仕事をする上で、プラスになればいいな。
こういうシチュエーションにも対応できる子なんだ。
と他人がみて参考になるようなモノになればいいな。
僕が撮る事によってモデルが、もっと自分に自信を持ってくればいいな。
あわよくば、自分の写真によって、新たな仕事がもらえたとかっていう感想がもらえたらいいな。
なんなら自分の写真でバズって、人生いい方向に変えてやりたいな。
自分自身まだまだ、社会的に影響力のあるような、説得力のある写真は今だに撮れていないと自負はしていますが、モデルにとってもフォトグラファーにとってもWINな関係を築ける写真を意識する事が、自分にとって、モデルだからわかる写真の撮り方だと思います。
最後まで読んでくれた方ありがとうございます。
今後のフォトライフに何かしら影響がでると幸いです。