文章
読書感想文が大の苦手だった。
感想書くための読書をするのがいやだったし、原稿用紙5枚を埋めるのにあれこれ呻いていないといけない時間を過ごすのが苦しかったのである。
今だったらそんなの面白い、つまらないのスタンスを決めて好き勝手書いたらいいじゃないかと思うのだけれど、子供の頃の自分はいいところを無理やりでも見つけてちゃんと褒めないといけないというある種の自己暗示みたいなものがあって、読んだ本を読み返しては自分がちょっとでも感動したところをピックアップしようとするのだ。無い感想をねつ造するのがキライなために読書感想文を作らないといけないという時間がすごく苦手だった。
そのイメージもあって、大学もレポート課題からはとにかく逃げ回っていた。人にお見せするような意見も感想もない。勉強して試験を受けるからどうにか見逃してくれと言わんばかりだった。
そういえば大学に受験する際に小論文を作る試験があって、その小論文が褒められたことがある。本を読んで練習すればその型通りには作ることはできるのはわかったけれど、結局そこから発展はしなかった。どこかで満足してしまったのかもしれない。おかげで見よ、このとりとめのない散文の様よ。恐れ入ったか、ガハハハッ!!!
そんなわけで今仕事の文書作成に苦労している。相手が欲している構成・内容とは何か。そんなことも考えず見栄え的にこれでいいと決めつけ、誰かの作ったかこの文章校正を安易にいじくって上程した文章は赤を入れられまくって戻ってくる。若い子からも遠慮なく赤を入れられる。辛い。アラフォーのおっさんのメンタルはこの状況には耐えられん。経理の仕事でラインになって働き続けたツケを今払わされている感じである。正直人に赤を入れてもらうのが怖いし、避けている弱い自分がいる今日この頃である。果たして仕事人としてそれはどうなのか。
それとは対照的にnoteで文章を書くのは気楽でまぁ楽しいことよ。グダグダくだらない文章を打つのは、これはこれで娯楽だよなぁ。
明日も明日とて楽しい文章と苦手な文章に向き合う毎日は続いていくのである。