皆さんはご自身の食に対するこだわりについていかがお考えだろうか?
高いお金を出してでも美味しいものを食べたい、という人がいるだろう。かと思えば、安くてもそれなりのものを食べられればそれで満足、という人もいるだろう。
 さて僕はというと、いささか後者よりな気はしている。というか、そこまで食には執着していない。別に三食同じご飯が続いても対して不満は感じないし(栄養価の偏りは心配になるが)、なんなら完全食というのが容易に入手できるなら不味くさえなければそれで十分という気がしてしまう。
ちなみにコーヒーもミルク・砂糖なしで飲めるし、サラダにドレッシングがかかってなくても気が付かずにそのまま食べてしまうほどである。

 もちろん美味しいものを食べられれば人並みにアガる気持ちにはなる。けれどその欲求を満たすために進んで店を探す、という気にはならない。
確かに美味しい店を探すことはある。だが、それはあくまで一緒に食べる人に喜んでもらうとか、美味しいものを食べる時間を共有するだとか、そういうモチベーションによるものである。その理由としては、今とは対照的に独身時代は(今もそういうところはあるが)牛丼やらラーメンやら、外食したとしてもさして豪勢なものは食べることはそうなかったように思う。お惣菜屋の値引き品を狙っては買ってお得にその夜をやり過ごすことを良しとする日もあったものだ。

今日は白身魚のポワレを食べました。はっきり言ってアガり↑↑↑ました!

 先日思ったのだが、こういった自分自身の食文化は知らずとしてその人自身の生まれ育った環境が影響しているところもあるのではないか。
例えば僕自身といえば僕の母親は成人する頃かその前からか、結構スーパーのお惣菜が食卓に並ぶことが多かった。別にそのこと自体を咎めるつもりはない。かつて家庭料理を作る母親像というものを神聖視していたこともあったが、お惣菜はお惣菜でそれを利用することで時短というメリットを享受しているわけだから。現代の母親の強い味方であり、有効な選択肢とは言える。僕自身も一人暮らしを始めてからというもの、最初のうちは好奇心で自炊を試みることはあったものの、結局先述の生活に移行していったように思う。ただの面倒臭がりだろ、自分を棚上げして言い訳すんじゃねえという声が聞こえてきそうである。ごもっともである。ごめんなさいもう言いません。

 あるいはこんなこともある。僕の実家ではフルーツを食べることはたまにはあるものの、毎日食べるようなことはなかった。一方で私自身結婚してからというもの、夫婦生活では毎朝何かしらのフルーツが出てくる。みかんやら、プルーンやら、キウイやら。妻の実家ではそれが当たり前であったらしい。結構なカルチャーショックだった。これこそ食文化の刷り込みといえるものではないだろうか(大げさ?ですよねー)。
実際ビタミン群を適切に摂取しているからか、心なしか結婚前よりも血色はよくなっている気がする。そしてそれとは対照的に実家の親兄弟に会ってみるとその顔色の悪さに驚かされたものである。独身者は妻帯者より平均寿命が短いらしい。妻には日々感謝するものである。母親にはフルーツ食べるの重要だぜとそれとなく伝えておいた。

 なお、食の好みと異性の好みは似通っているとはよく言われるが、自分の場合はどうだろう。どれ冒頭を見返してみるか。・・・当たってる。街行く女性、みんなかわいいと日々思ってる。毎日ハッピー!

 ・・・ゴホン。て、てなところで皆さんはどうだったかな!?
コメント欄でぜひ聞かせてね!
・・・ないよ!コメント欄!泣
・・・ありました。お騒がせしました。


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