幸運の黒猫
帰り道。
家に続く路地はすっかり薄暗くなり、立ち並ぶやアパートの陰はもう消えた。
ふと、電柱の影から黒猫が飛び出した。一瞬立ち止まって俺の方を見ると、たちまち反対側の物陰に消えていった。
「…あ」
黒猫が横切る。人はそれを縁起が悪いという。でも、それが俺にはずっとしっくりこない。なんなら、そんなレアな現象に出会えてラッキー、くらいに思ってきた。その方が、黒猫たちもきっと幸せだろう。
もうすぐ家だ。晩飯、何にしようかな。
「あの」
後ろから突然声をかけられ、俺は無様に肩を跳ね上げた。後ろにはてっきり誰もいないものと思っていた。鼻歌を歌ってはいなかっただろうか。
「びっっくりした…なんすか…?」
振り返ると、すらりと立った女性がいた。真っ黒い服に、多めの髪の毛。極めつけには、裸足だった。
…ヤバい。絶対幽霊だ。こんなアスファルトの道で裸足の人なんか、絶対にこの世のモノじゃない。
「っ……」
「えっと…その…」
ソレは何か言いかけて、もじもじとワンピースの裾を掴んだ。…いやに人間らしい霊だ。
「……黒猫、嫌いじゃないんですか?」
「……は…?」
目の前の幽霊から放たれた謎の質問に、恐怖と混乱が錯綜する。逃げろ、逃げろ。心はそう叫んでいるのに、頭が身体を動かすことを許さなかった。
「い…いやまあ…え、どういう……なんで…?」
「い、いえ…別に…」
人見知りの幽霊なのか…?彼女はやはり幽霊とは思えないくらいに人間らしい仕草をする。
「あの……幽霊、ですよね…?」
「あっ…えっとその、私、ね……に、人間です」
あ。今「ね」って言った。
…そうか。そういうことか。
この子あれだ、猫だ。幽霊じゃない。…さっきの黒猫。
だとすれば、最初の質問にも説明がつく。高校の時にネットの怖い話を読みすぎたせいだろう、すぐにこの訳の分からない状況にも見当がついた。良いのか悪いのか分からないが、俺はそういう頭だけは回転が早かった。
そう納得すれば、身体を氷のように固めていた恐怖はすっと軽くなった。
「……」
「………」
数秒間、俺たちは見つめ合ったまま固まった。彼女の目に細長い街灯が映って、きらりと光った。
…いやいや、待て、俺。落ち着け。何に納得してるんだ。そんなおとぎ話みたいなことがあるはずがない。だが…腑に落ちたことに違いはない。直接聞いてみようか。
「君さ…もしかして…猫?さっきの…」
「…ち、ちがいます…!人間です…!」
彼女がずいと詰め寄ってきた。綺麗な形をした目尻がよく見えたが…俺は目を疑った。
…瞳孔が縦だ。自分の目を擦って見直しても、やっぱり縦長の瞳孔だった。
「目…。…瞳孔、縦長のまんまだよ」
「えっ、あっ…!」
彼女はぱっと両手で目を覆うと、ごしごし目を擦った。その手を下ろすと、その目は綺麗な人間の目になっていた。
「うん…猫、だよね」
「………はい…」
彼女はくしゃくしゃと頭を掻いた。