徒然駄文.10 東京五輪を止める法!

テッテ、テッテ、ッテー!
スペースコブラが分かる人っていい歳だよな・・・。
例によって、中身のあるというか、まともな話は一切書いておりません。

後一週間で東京五輪じゃないですか。
コロナ対策が色とりどりの失敗にまみれ、東京五輪ボランティアや不透明なデザイナー公募、建築設計、コンパクトでもアンダーコントロールでもねぇじゃねぇか問題、汚物の代わりに牡蠣がとれるようになったとかいう東京湾、森喜朗の女性差別発言など、「じゃあ一体何ならちゃんとやれるの?」でおなじみのJOCであり安倍晋三、菅義偉と続く無能政権、民主主義に精通し日本に終わりをもたらす政治家小池百合子など、酷いことになっている東京五輪だが、まぁなんだ、止められないわけである。

僕が子どもだったころ、都知事であった青島幸男が世界都市博覧会を中止した。都市博の中止は、バブル崩壊のすぐあとで、無駄な出費を減らさなければという風潮に押されるようにして青島がかかげた公約であった。今考えれば、儲けを出すために資材を買い込み人を雇っていた土建屋どもを地獄に叩き落した決定であったとも、ざまぁみやがれと思うような出来事でもある。ただあの頃は、大きなお祭りが節約という「正しい言い分」でナシにされ、「つまらないなぁ」と思っていたことを覚えている。

太平洋戦争や日中戦争をして、朝日新聞が国民を煽り政治家に圧力をかけて開戦ムードを作ったんだとか言う人に未だに出くわす。しかしこれ、死んだ橋田壽賀子あたりが意識的に描いているように、「戦前・戦中の日本人がやったこと」の一つであり、機関としての朝日新聞単体の責任ではないのである。なんとなれば、あの頃の日本は世界恐慌の煽りで続く不況から抜け出せず、経済的に持ち直す活路を戦争に見出していた。日本は、というか、日本人は、と言った方が正しいか。戦争になれば、武器弾薬を始め多くの物資が必要になる。人が動けば武器だけじゃない、多くの品物や作業、国威発揚のイベント、読み物、映画だって入用だ。戦争さえ始まれば需要が拡大し、仕事が入ってくる。だから今は金を貸してくれ。戦争が始まれば倍にして返せるから。今は、工場を、生活を、維持させることが先決なのだ。そうして、多くの日本人が、日本人の会社が、金を借りたり、投資をしたりした。そうこうしている間に、開戦まで耐えられずに破産する人も会社もあっただろうし、潰れていく他者・他社をしり目に更に焦る。戦争はまだか。もう待てないんだ。まさか、開戦しないなんてことはないよな?借金が返せない。潰れてしまう!

日米開戦という狂気の沙汰は、陸軍がクソバカ間抜けに成り下がって、なんでもかんでも海軍に反対していたからという雑な説明(そもそも世界的に見て陸軍ってバカっぽく見られがちな気がするんだけどなんでだろうね)をする人って本当にいるんだなと思ってびっくりしているんだけども、ゲームのネタとネタを真に受けた人は置いておくとして、東条英機が昭和天皇に日米開戦を上奏した際に「勝てるかどうかは分かりませんが、このままでは国内が四分五裂してしまいます」みたいなことを言ってしまったことも、陸軍と海軍の軋轢だけのことではない。むしろ、「戦争」という機会に投資してしまった日本人や日本企業の圧力が、東条にせよ昭和天皇にせよ、日本を惨めたらしい敗北と大量死に叩き落した連中にのしかかっていたはずである。そして、そうした民意を購買層としての「ふつうの日本人」からの圧として受けて誌面に反映し、民意を形成していたのが新聞であり、朝日新聞もその一つだった。というのが、僕の観測である。

要するに、投資してしまった人達の都合や、投資額に応じた必死さからくる圧力というものがあって、兎角、日本人はこうした圧力に弱い。折れがちであり、押し込まれがちなのだ。

東京五輪の観客を入れる入れない問題も、日本中にウィルスをばらまくことになったGoToHELLキャンペーンにせよ、結局はスポンサーや政治献金の多い業界に阿っての右往左往であったわけだし、ここへきてまたバッハが菅コロナ義偉に東京五輪を観客有りで出来ないか交渉しようとしているというのも、バッハが投資を募ってきたスポンサーに対して行って見せる「誠意」であり「やったふり」アピールだろう。

にしても、ちゃんと検査していないので胡散臭いにもほどがある感染者数だが、あの数を真に受けるのであれば、世界で見る日本の感染規模は高橋洋一の言うようにさざなみ程度のものかもしれない。それを「日本の感染予防対策の結実」であるとみるならば「やってみてもいいんじゃないですか?」というバッハの提案はまぁ妥当性はある。無責任な上に、現在の日本の感染規模や被害規模は「政府ではなく、市井の日本人の忍耐と自己犠牲の産物」であると思うので、少なくとも都民はバッハとその家族の肉で焼肉パーティをする権利くらいあると思う。

しかし、競技会場でのアルコール販売についての騒動のときに思ったのは、「あれ?止まるじゃん?」ということである。東京五輪スポンサー様であるところのアサヒビールに忖度したのか、圧力をかけられたのか、この状況でなんでまたアルコール販売を許可しようとしたのか意味不明なのだけど、こんな意味不明を忖度のフリをした現場の自己保身でやってのけてしまうのが日本人だ。今回もやっちゃうのかなぁと思ったら、あっさり止まった。なぜか。これ多分、企業イメージを損ない、日本中から憎悪を買い集める羽目になることを避けたスポンサー側から取り下げの申し出があったのではないか。とすれば、五輪中止の嘆願は、東京都や国やJOCだけではなく、五輪スポンサーに向けてバンバン投げておくべきだったのかもしれない。あまり良い例ではないが、嫌韓の不買運動なんかのときも、ありゃフジテレビもよくないと思うけど、色々と打撃も圧力もあったわけだしね。ことに、今回は税金という形で、国民はすでに金をとられているわけだし、少なくとも都民はコロナ増税に加えて東京五輪増税という経済テロを喰らう未来が決定している。反対というよりも、自分たちの未来や生活を守る権利くらい、いくらなんでもあるだろう。

逆に言えば、今回の東京五輪がかくも愛されず、憎まれている理由の一つもまた、スポンサーシステムの問題にある。一部の企業や組織だけが儲かるようにしておきながら、一般国民にはボランティアを押し付け、新国立競技場にはエアコンすら設置しない姿勢は、東京五輪が「一部の誰かのためのもの」であり「わたしたちのものではない」という印象を終始与えることになった。この点については、東京五輪開催支持派であった僕にしても、最初から感じていたのだけれど、ズルズルと無責任で手前味噌な体質が露呈するにつれて、「一部の人間だけが設けられる」東京五輪のために「一般人がどれだけの犠牲を強いられるのか」という構図が目立つようになり、コロナ対策の不備によって、ついに多くの国民に知られることになった。

仮に、日中戦争や太平洋戦争のように、今回の東京五輪が多くの国民が経済的に、生活的に、精神的に、なんであれ、資金や時間や希望を投資し得るようなものであったなら(ドラマ『いだてん』では「みんなの五輪」なんつってたじゃんね)、たとえコロナ禍が広がっていたとて、ここまで憎まれはしなかったし、もう少し協力的であり得ただろう。

要するに、今回の東京五輪が憎まれている最大の理由は「スポンサー至上主義」と「国民無視」というJOCと小池都政、菅政権の酷い態度によるものなのだが、先ほどの不買運動のあぶなっかしい話を引っ張り出すなら、スポンサーを直接攻撃することで、或いは、東京五輪のような愚行は止められたかもしれないということだ。企業は基本的に経済的利益を追求するので、東京五輪が無くなった方が損害が少ないと判断すれば手を引くし、株主がそういう風に動くだろう。どうも、今回の東京五輪において、戦う相手というか、文句を言う相手を間違えてしまっていたようである。いや、役所はともかく、政府や政治家、菅や小池はJOCは都民や国民を聞かなきゃいけないはずなんだけどもね。聴きやしねぇのは、国民の声を聴くよりもスポンサーや支持団体の声を聴くほうが政治生命の維持につき有効であると判断されているからであり、これは「選挙に行かない国民が悪い」。

なんだかなぁ。
小池百合子は、今すぐにでも「新型コロナウィルスのワクチン大規模集団接種の会場として使用するため、関連施設を閉鎖しますので東京五輪はファックオフです」と言ってしまえば令和の青島幸男というか、施薬院を作った光明皇后になれるんだと思うけど、まぁ、小池百合子は青島幸男でも光明皇后でもなく、トリューニヒトなのでやってはくれないだろう。

なんにしても、今年の後半には選挙がある。
コロナ対策や東京五輪で無茶苦茶やった政治家や組織人の名前には選挙が終わるまで「菅コロナ義偉」のようにミドルネームにコロナをつけて覚えておきたいと思う。そして、東京五輪の急所がスポンサーであったように、政治家や政党の急所は権力の根拠である得票数である。選挙権がある人が必ず1票分持っている権利のことである。であるからには、次の選挙ではせめて、投票権に物を言わせてみようではないか。でないと、またも、政治は一部の金持ちや企業、団体の言うなりになった政治家たちによって好き勝手にゆがめられてしまうからだ。

ところでさ、オリンピックさえ止められない国民(ぼくたち)に、例えば、政府が戦争やりますとか言い出したときに止められると思う?

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