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ずっと3月31日ならいいのに。
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
春は「出会いと別れ」というけれど、時系列で言えば「別れと出会い」。
今まであったものと別れた寂しさが消え切らないうちに、新しいものと出会い心の内に入ってくる。そんな春に特有の心の揺れを実感して、一年がめぐるのを実感する。
皆さんのところにも新たな一年の巡りが始まることを告げる出来事はありましたか。
移り変わる狭間の時間、一睡もせずに迎えた4月1日の早朝に思ったことを書き残します。
所属する大学院の生物グループから、何名かが新しい場所に移ることとなりました。博士号を取得して研究者としての道を歩き始める先輩。新たなポストを得て教授となる先生。そしてその先生についていく友人。
そんな人たちの門出を祝う会が3月31日実施されました。その後、始発が動きだすまでの6時間、つまりは2023年度のロスタイム、僕は卒業する先輩や異動する友人らとカラオケルームですごしていました。初めて夜遊びを覚えた大学1年生のように、大学院生たちが”今”その瞬間を楽しむためひたすらに歌い続けた時間。
カラオケを出たときにはまだ空は薄明の頃で白んでいる。数人で牛丼を食べて別れるころには青が混じりスカイグレー。家に向かう頃には橙色が入り、青色と複雑に混じってくる。
別れの場に際して感傷的になっていた心には、刻々と移り変わる空の色が、人の心のようにも、人生のようにも見えてくる。途中で「今朝の空は美しくなる」と確信めいた直感に後を押され、足は研究所に向いていく。
人の気配を感じない研究所の扉を開けると、1階部分にはコロナウイルス感染対策で撤去されていた談話用スペースが設置されていた。意識してないだけでしばらく前からあったのかもしれないし、新年度に合わせて再設置されたのかもしれない。ヒトの社会が自分たちの都合で時間とともに変化しているのを感じる。
東の空を見渡せるベランダからはどんどんと登ってくる太陽が見える。ベランダにいる植物ははじめ、柵が邪魔をして日光を浴びれていなかったけれど、空を眺めているうちにどんどん光を受けれるようになっていく。自然がヒトの社会の都合とは関係のないところで循環しているのを感じる。
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その光の動きに気が付くまでは、3月31日と4月1日は「年度」という高い壁で隔たれた時間だと信じていた。でも、それを見て、地球や人間以外の生物、もしくは違う暦を使う国の人にとって、自分が「終わってほしくない」と思った3月31日は3月30日とも、4月1日と何も変わらない時間なんだなって気が付いた。
そうしている間に、赤の系統の色が空を占める割合が減っていく。一日のほとんどの時間空は青い。朝と夕方、太陽が地平線に近くなる時間にだけ赤や紫、ピンクが顔を出す。日中の抜けるような青空を見ていると、空はずっと青いままなんじゃないかと錯覚するけど、夕方にはまた赤くなり、そして黒くなり、赤、青、赤、黒と続いていく。
移り変わる赤い時間。そのことを意識しなくても生きてはいける。「3月31日」と同じく明け方や夕方も前後の時間と連続している。
それでも、僕は赤い時間に過ぎ去った一日と、またやってくる一日にできるだけ思いを馳せて、めぐる時間の大切さに気が付き続きたい。
暦の変わる3月31日。一年間すぐそばにいてお世話になった先生、先輩、友人に感謝をして、すぐそばからいなくなる次の一年でも彼らが元気であってほしいと願う。
でも、一睡もせずに2023年3月31日29時半を迎えたて名残惜しく思える自分の感性や感情も大事にしたい。
「別れと出会い」の春。まだ僕は慣れ親しんだ日常と別れただけで、新しいものと出会えていない。だからこそ、自分勝手でも、3月31日に片足を残す間だけはこう思わせてほしい。
ずっと3月31日だったらいいのに。
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