北方謙三『楠木正成』における芸能とは
はじめに
ときは鎌倉末期。幕府の命数すでに無く、乱世到来の兆しのなか、大志を胸にじっと身を伏せ力を蓄える男がひとり。その名は楠木正成―。街道を抑え流通を掌握しつつ雌伏を続けた一介の悪党は、倒幕の機熟するにおよんで草莽のなかから立ち上がり、寡兵を率いて強大な六波羅軍に戦いを挑む。
湯川豊氏が藤沢周平の文体を、「抑制されていて、むだがない。透明度が高い。しかも、不思議な柔らかさをもつ」と書いているのだが、俺はそれと同じものを、北方謙三の『楠木正成』にも感じる。僕の所見では、故意に自分の色を廃して書いているようにも思える。
だから平易で読みやすい。とくに『楠木正成』は、全年齢向けの冒険小説のような読みやすさがある。ハリーポッターや守り人シリーズなどが、小学生向けとして図書館のパンフレットに載っているが、それらに近い。まだ読んだことはないが、北方謙三の三国志もそういう風に書かれているのだろうか。
以下に、本書中、芸能についての言及についての箇所を抜粋してまとめた。
一章~二章
p.11
播磨に赤松円心がいるということは、正成でも知っていた。屋敷で世話をしている猿楽の一座などが、播磨だけでなく、全国各地の情勢を伝えてくるのだ。旅を続けながら、民の間で芸能をやる者たちの方が、幕府の役人たちよりずっと本当のことを知っていた。
だから正成は、旅をする者たちを大事にしていた。さまざまな知らせは、財産のようなものなのだ。河内の中だけで、楠木の家は生きていくことができない。
p.33
「猿楽の一座に入った者が、ひとり戻ってきた。なに、大和からちょっと足をのばしただけで、すぐにまた一座に帰ったが」「三人とも、ずいぶんと楠木殿の世話になったようだな。ちゃんとした役者になるまで、きちんと面倒をみてくれた。礼を申しあげよう」
「三人が、村に銭を届けてきたのですよ。必要はないのに、猿楽の一座で少しずつ稼げるようになったからと。長老は、ことのほかそれを喜ばれました」
「(正成)あの三人には、役者の素質があったのでしょう。俺は、人の中での生活に馴れさせてやるだけでよかった」
「別に、役者になりたい者だけでなくともよいのです。山を降りて働きたいという者がいたら、手助けできることは多いと思います」
p.45
「(正成)どっちへ、旅していた?」
「東から、参りました。関東では、まだ田楽がもてはやされておりますが、猿楽の興行にも、そこそこ人は集まります」
「民は、どこにでも芸能に救いを見つけるものだな」
「はい、旅をしていて、しみじみとそう思います。」
それから霧生は、関東から東海にかけての様子を喋りはじめた。武士の動向もあるが、主として民の様子である。
p.47
「いまの帝は、多分、大人しくはしておられますまい。かつて、後白河法皇が平氏を潰そうとなされたようなことを、なされぬともかぎりません」
「(正成)民は、なんとなくそんなことを感じているのかな」
「少なくとも、武士より鈍感ではありませんな。まあ、御自身の目で御覧になることです。異変は、民が最も早く嗅ぎつける、と私は思っております。民が求める音曲や舞いや唄で、私はそれを感じます」
p.61
「皆月はいま、九州を回っているはずです。来年になれば、一度この村に戻るかもしれません」「笛だけだった一座ですが、もの真似や踊りを入れてからは、興行も難しくはなくなったようです」「そこまでになれたのも、楠木正成殿のお力添えがあったからでしょう。ことあるごとに、皆月はそう申しております」
「(正成)世に出る前に、ほんのひと時、他人の力を必要とする。芸能をやる者は、みんな同じだという気がします」
「なぜ、他人の力が必要なのでしょうな。私は楠木殿にずっと心苦しい思いを抱いてきました」
「(正成)芸能は、民の声です。喜びであり、嘆きであり、時には滅びを願う心であったりします。そういうものは、ただの人にはできません。人ではないものになる。そのために、わずかの間、他人の力を必要とするのだと思います。重里殿に心苦しく思われても、こちらは困るだけです。そばにいるから、力を貸している。それだけなのですから」
「民草の喜びや悲しみを、心にしみつかせるための時とでも申されるか」
「(正成)多分、そうなのでしょう。そして、それができるのは、選ばれた者たちだけです」
「私も、そう思います、楠木殿。芸能のために生まれてきた者が、確かにいると。そしてその者たちは、山中にいれば腐るだけなのです」
「(正成)芸能だけでなく、山を降りたいという者がいたら、河内へ寄越されるとよいのです。仕事は、いろいろとあります」
三章~四章
p.138
「旅をすると、さまざまなものが見えてくる。私ははじめ、武士だけを見てきた。坂東をひそかに回ったからであろう。ほんとうは民を見るべきだということが、いまごろになってようやくわかった」
「国の声であろう。この国そのものの声。民の声を、そう聞くべきだと思った」
「それで?」
「帝は、この国の頂点に立たれるお方だ。この国は、帝を戴くことによって成り立ってきた。それは間違いのないことだが、民にとってはまた、どうでもいいことでもある。
その日、どうやって食するかということの方が、民には大事なのだ。それが、おかしい。あってはならぬことである」
「民が食してはならぬと、北畠様は言われるのですか?」
「いや、違う。民は、米を作る。さまざまなものを作る。公家や武士は、それを取りあげて食している。それが、おかしいのだ。民が、日々食することの困難に苦しまなければならぬのは、どうしてもおかしい。民こそが、なんの悩みもなく、まず食することを享受すべきではないか」
「いや、それは耳が痛い話でございます」
「帝は、ただ帝であるというだけではない。国を作り、国を整える使命を天から与えられたお方であると思う。民の苦しみを除いてこそ、まことの帝なのだ」
考えは、間違っていない。そして間違っていない考えは、ほとんど例外なく封殺されてきた。それが、古来からの歴史ではないのか。北畠具行は、そこまで見ようとはしていない。
それでも、正成はいくらか好感を持った。帝を、このように語れるのは、ほんとうになにかを見ようとしてきたからだろう。
「民は、苦しむものです」
「いまは、確かにそうだ」
「いまではなく、いままでです。そして、多分これからも」
「悲しいことではないか、それは」
「民は苦しむものですが、喜びも慰めも持っております。作物が実った時の喜び、子を生した時の喜び、媾合いの喜び。そして、声も持っております。芸能が、まさにそうでございましょう」
「それでは、楠木殿は、このままでいいと言うのか?」
「いえ、ほんのわずか、少しだけ楽になれば、民はそれで幸福なのです。人の幸福とはそういうものだということを、一番よく知っているのも、また民であります」
「ほんの少しか」
「幕府の政事がきちんとしていれば、民はその喜びを得ることができます。それなら、政事をなすのは、幕府であってもいっこうに構いません。そういう政事ができぬので、民は苦しみ、悪党が生まれました」
「楠殿は、悪党か?」
「悪党です。いまの世のありように、逆らおうとしておりますから」
「なるほどな」
「帝がこの国の政事をなされても、それが民のためでなければ、やはり悪党は生まれます。力がある時は押さえられていても、力のどこかに緩みが出れば、そこから悪党は顔を出します」
政事は、人の愚かさが剥き出して見えるものだった。そこまでは、正成は口にしなかった。
民のことを考えるという理由でも、政事は誤ったことをやるだろう。
「わからぬな、私には」
「私にもです、北畠様。政事は、最小のことだけをなせばいいのに、いつも最大なことをなそうとしてきましたから。だから私は、政事にあまり大きな期待を持ったことがありません。
政事の網の目を抜けて、自分がどれだけ得をするのかということばかり考えています」
「人は、それでよいのか、楠木殿?」
「よくはありますまい。しかし、政事とはそういうものです」
「やはり、悲しい」
北畠具行の声は、肚の底から搾り出すようだった。
「力で押さえつけてもいいのです、北畠様。それで戦というものがなくなれば、それだけでも民にとっては喜びなのです」
「旅をして、私はさまざまなことを学んだ。多くの人々にも出会った」
「旅を続けられることです、北畠様。
民の暮しを御自分の目で御覧になっておられるお方が、ひとりでも宮中におられるだけでも、民には救いでありましょう」
「そんなものが、なんの救いになる。民のための国を、作ろうとすべきではないのか。私は、そのために生きたいと思う」
「できません、民のための国など」
「ならば、悪党で終るのか、楠木正成?」 「それもまた、人でございます」 「得心できぬぞ、私には。新しい国を、作れぬはずがない。それを忘れたら、人ではなくなると思う」
正成が想像した以上に、北畠具行は純粋だった。その純粋さは、弱さにも通じる。
p.145
北畠具行が、立ち上がった。戻ってきた時、なにかを持っていた。音を聴いて、はじめて笛だということがわかった。
「笙の笛です、正成殿」
酒を持ってきて、持久が言った。
館の中が、束の間静まり返った。音色が、人の心をふるわせている。正成はそう思った。
喜びも悲しみも、すべて超越して、ただ音色だけがある。
正成が笛と思っているものとは、まるでかたちが違っていた。なんと表現していいかわからないが、竹が十数本並んでいる、縦笛だということがわかった。
音色が、人の心をふるわせ、静まり返った館の庭に、低い嗚咽が流れた。
見ると、北畠具行も涙を流していた。
正成は、流れている音色にだけ心をむけようとした。それでも、涙がこみあげてくる。比佐の顔が浮かんだ。梓丸や嵐丸の泣き声も蘇ってくる。
眼を閉じ、正成はじっと笛の音色に耳を傾けた。
p.166
酒が運ばれてきた。酒肴も、いつもより数が多い。刈入れの日なのである。夕刻になって、北畠具行が帰ってきた。小太郎と長晴はすでに戻っていて、残っているのは正季だけだった。
具行は、しばし収穫の興奮を語り続けた。この公家が、半年もよく保ったものだ、と正成は思った。
やると言ったら、最後までやるかどうか。人の性根は、そういうところから見えてくる。
「叡山におられる法親王にも、これでよい報告ができる。しかし、正成殿はなぜ刈入れに加わらなかったのだ?」
「資格がありません。官位とかなんとかとは、まるで違う資格です。
はじめから加わり、守り育てた者だけが、持てる資格だと思います。その資格を持った者だけが、与えられる喜びなのです。北畠様は、間違いなくその資格をお持ちです。」
「いや、村の人々にとって、私は邪魔なだけであったろう。やってみて、痛いほどによくわかった。
それでも、やってよかったと思っている」
「民とは、もともと複雑なものではありません。政事が、複雑にしてしまうのです」
「以前なら、違うと言っただろう。いまは、それも正しいと思う。政事が必要であることも、また正しい。どういう政事かで、民の暮しが決まると、頭ではわかっていたのだが。
いま、私にははっきりと言える。幕府の、北条氏の政事は、間違っている」
「間違えようと思って、そうしたわけではないと思うのですが」
「正さねばならぬ。常に、政事には、それを正す力が働かねばならぬ」
「そうなれば、悪党などでいる必要もないのですが」
「とにかく、私は感動した。これが生きていることだと思った」
具行の童のようなはしゃぎぶりを、正季は冷やかな眼で見ていた。なにをいまさら、という気分になるのだろう。
「明日は、猿楽の興行もあります。北畠様も、笙の笛でそれに加わられたらいかがです?」
「加えてくれるであろうか?」
「芸能が、民の声そのものだということが、おわかりになります。民の喜びや苦しみを、ともに聴き、酔う資格を、北畠様はお持ちになりました。笙の笛を、村人たちはむしろ聴きたがっておりましょう」
「笛の手入れを、しておこう」
五章~六章
p.282
「俺は、京へ行く。霧生の一座が、京で興行をするので、いい機会なのだ」
「そんなことは、尾布か加布に調べさせればよいと思います」
「調べるのではない。京の発する気配を、肌で感じたいのだ。京にいるのは五日。すぐに河内へ戻り、馬借や船頭たちと会っておく。それからまた、畿内を駆け回る。各地の兵糧倉などを襲い、叛乱はいまだ続いている、益々激しくなっている、と六波羅に教えてやる。それから、金剛山の築城に入る」
「人には、体力や気力の限界というものがありますぞ、兄上」
「そうだ。俺は、それをきわめるのだ」
「まったく、話もできぬな、兄上は」
「おまえは、俺に大人しくしていろと言うために、ここへ来たのか、正季?」
「まさか。少しでも兄上の代りができれば、と思って来ただけです」
「それでいい。いま俺は、躰が二つ、いや三つ欲しいと、本気で思っている」
正季が、木材の伐採をはじめるのを見届けてから、正成は祐清と尾布を連れて京に入った。畿内の騒擾が、京からどういうふうに見えているのか、自分の眼で確かめるのが目的だった。
p.283
「どこか、浮足立った感じはあるな、祐清」
「私も、そう思います。民の表情に、それがよく現れています」
猿楽の興行をやれば、人は集まる。しかし、心から愉しんでいるとは思えない。刹那の愉しみを求めて集まってくる、という感じがある。
「正成様が六波羅の兵より民の表情を見ようとされていることは、間違いではございません。長い間、私は諸国を興行して回り、民の表情にこそ真実があると、身をもって知りました」
ある夜、霧生がしみじみと言った。
「いまの京の民は、やがて来る騒擾に怯えております。幕府がどれほどの大軍を擁していようと、それは抑えられません。怯えたところで、そこから逃れるすべも持たない民は、芸能にただ慰めを求めるのです」
「芸能は、民の心を慰めるためにある。それが、俺にもよくわかった。人が、芸能というものを持っていてよかった、と心底から思うな。芸能をなすために、おまえらのような人間が生まれてきたことも、よくわかる」
「芸能は、国の色なのですよ、正成様。政事をなす方々でさえ気づかぬもの、われらは真っ先に見つけ、その色の芸を演じるのです。それができなくなれば、私は山に戻り、静かに暮します」
「おまえの一座と、京へ来てよかった。私は、民と同じ眼で時流を見ているのだということが、これで確信できた」
京の滞在は五日で、山崎から摂津へ出、馬借や船頭や、街道で商売をする者たちと会った。彼らはまた、別の眼で時の流れを見ている。
p.285
「眼の前のことだけを見れば、幕府はまだ強力です。しかし、大きな岩にひびが入っている、と私は見ています。私がそう見ているだけですが。畿内の民の空気は、真遍殿も御存知でしょう。心の底では、大塔宮様に勝って欲しいと思っていますよ。そういう民の声を、金峰山寺でも無視するべきではないと思います。寺は、民の声が集まるところでもあるべきなのですから」
p.299
ついに、錦旗を掲げた。倒幕の旗も掲げた。追いつめられて掲げた旗ではない。自ら進み出て、掲げた旗である。
父なる人に、これを見せたかった。正成にも、見せたかった。
いや、この国のすべての民が、この旗を見るのだ。そして、なにがこの世の条理か、ということに気がつくのだ。
砦の構築は持久と則祐にまかせ、護良は愛染宝塔を動かなかった。帝の国、ということについて、護良は御所とされた建物に籠って考え続けた。帝の国ということは、民の国ということでなければならない。帝は、民の上に立つのではない。民そのものなのだ。
それを、父なる人はどこまで理解してくれているのか。いや、父なる人の理解など、必要ではない。民そのものとして、父なる人は隠岐の島から帰還すればいい。民のための朝廷がそこにあり、民のための軍がそこにあればいいのだ。
七章
p.390
「はっとするような眼をしている、観世(みよ)丸は。この眼に、なにが映っているのだろうか」
「義兄上、観世丸は、この世の悲しさ、苦しさ、切なさを見て育ちます。私には、そう思えるのです。そして、なにかで民を救えるような気もしています」
「それほどなのか、元就殿?」
「ただ観世丸を抱いた者が、心を揺さぶられ、ほかの者に語ります。そうやって十数人の村の長たちが、観世丸を抱きに来ました。不思議に、誰もが涙を流します」
観世丸が、なにかを与えられて生まれてきている、とは正成も感じていた。
しばらくは、伊賀の山中でそっとしておいた方がいい、という気もした。 伊賀の村々は、以前と同じように正成を迎えてくれた。それが、逆に心に痛いものとなり、それからは伊賀や大和に行こうという気を正成はなくした。 時々、観世丸の、はっとするほど深い眼を、思い浮かべてみるだけである。
河内へ戻ると、赤坂村の屋敷より、観心寺にいることの方が多かった。 堂を建立した。それは民に負担をかけるものではなく、材木なども数年前から集め、境内の一ヵ所に蓄えてあったものである。十五人ほどの人を使った。その差配をしている時だけ、正成は無心でいられた。
写経をしても無心になれないものが、材木を担いだり、槌を使っていたりすると、ほとんど童のころに返ったようになれる。
八章
p.421
「おまえたちはもう、猿楽の一座に戻れ。猿楽で、民の心を癒せばいい。ほかの一座にもそう言ってある」
「楠木様は、いかがなされます」
「私は、まだやらねばならぬことが、いくらかは残っているようだ」
「伊賀にいる、甥御の観世丸は、すでに舞いも唄もやるのです。幼いながら、そうするために生まれてきた者の、気を漂わせております。ああいう甥御がおられることを、楠木様はお忘れになりませぬよう」
「そうか、観世丸か」
「霧生の一座の者も、わが一座の者も、持てる芸のすべてを観世丸に見せております。しかしそういう真似ではないものを、観世丸は持ってしまっているのです」
「かつてあの子を抱いた時、俺もそんなことが頭に浮かんだ。思った通りに育った、ということであろう」
猿楽の一座に、全国の情報を集めさせることにもう意味はない、と正成は思っていた。これからは、芸に生き、民の癒しになればいい。
正成は、大塔宮を思った。
自分が死なせたのか、と何度も考えた。捕縛を防げなかった。捕縛された大塔宮を、助けることもできなかった。
帝さえ、ということは、もう思わなかった。どうしようもない、荒涼としたものが、正成の中にはあるだけである。
正成は憑かれたように、河内に寺院を建立しはじめた。大塔宮を弔う資格など、自分にはないと思う。しかし心の中の荒涼としたものを、寺社の建立だけは癒すのである。
正成は、大塔宮だけを思い、寺の建立を続けた。
人に救いはあるのか。ああやって死んだ大塔宮に、救いはあったのか。
赤坂村の屋敷に、霧生の一座が訪ねてきたのは、夏の盛りだった。すっかり髪が白くなった霧生が、童を一人抱いていた。童が、蟬を追って屋敷の庭を駈け回りはじめる。
皆月とともに、長い間、正成の眼となって全国の情報を送ってきた。山の民の中で、芸能をなす者を見つけ、育てあげてもきた。
「無常でございますな、すべてが。しかし、そこから芸能は新しいものを見つけます。
人が無常を感じた時、芸能はただ慰めを人に与えるのでございますよ、楠木様。近江で、佐々木道誉様が、犬王なるものを育てておられます。これは、まだ人に滅びを感じさせるだけの唄をうたいますが、しかし滅びの先になにかある、と道誉様は感じられたのでございましょう」
「佐々木殿がな」
「犬王は、一度道誉様に連れられて、伊賀に来たことがございます。そして、ただうたいました。聴く者のすべてが、涙を流しておりましたな」
「聴いてみたいものだ、俺も」
「聴かれることはありますまい。犬王の唄にある滅びの音色は、楠木様にはわかりすぎます。
しかし、滅びの先にあるものを、感じ取った童がいるのですよ。無垢なるがゆえに、感じ取れたのだろう、と道誉様は申しされておりました。私も、そう思いました」
「あれは、観世丸か、霧生?」
座で駈ける童に眼をやり、正成は言った。
「あの観世丸だけでございました。
滅びが滅びでないと感じたのは。そして、犬王にじゃれついたのです。声をあげて笑いながら」 「ほう」 「道誉様は、驚愕しておられました。観世丸にじゃれつかれた犬王が、なぜか涙を流したのでございますよ。
表情すら変えたことがない子だそうで、この乱世で、陰と陽が結びついた瞬間だ、と道誉様は言われました」
「わかる気がするな」
陰と陽。それは間違いなくある、と正成は感じていた。尊氏と自分が、陰と陽であるような気もする。帝と大塔宮もだ。どちらが陰で、どちらが陽なのかもわからない。
時として陰、時として陽ということなのか。
「楠木様の甥に当たる童と知って、道誉様はいたく心を揺り動かされた御容子でございました」
「観世丸か」
「舞うために、生を受けた者でございますな。
唄もすぐれておりますが、犬王と並べると、舞うために生まれてきたのだということが、よくわかりました」
「すでに舞えるのか、観世丸は?」
「それはもう。百年、二百年にひとり、そういう者がいるのだと、私は祖父から聞かされたことがございましたが、そういう者が二人、同じ時代に生まれてきたということでございましょう。天が、乱世に苦しむ民に与えたのだ、と私は思います」
霧生が、腰に差した笛を抜き、眼を閉じて唇に当てた。
静かな音色が、夏の陽の中に流れはじめた。蟬の鳴声さえ、正成には聞えなくなった。
不意に、観世丸の躰の動きが止まった。なにかが乗り移っている。正成には、そうとしか思えなかった。観世丸の小さな躰が、不意に大きなものに見えた。
観世丸の、躰が動く、手や首が動く。
舞いとも見え、そうではないとも思えた。そして、なにかを発していた。
観世丸は、正成を見ている。手が、急に動き、止まり、かすかにふるえ、ゆるやかに上下し、また止まる。
正成は、引きこまれていた。自分が自分でなくなるような、意識の縁で、かろうじて踏みとどまっていた。
大きな、悲しみに似たものが正成を包みこみ、しかしそれはやがて澄んで、ただ清澄な気だけが正成を揺り動かした。
涙が流れている。それに気づいたのは、笛の音が熄んでからだった。
生でもなく、死でもない、正成が知らない世界がそこにあった。包まれていた。暖かく、抱かれていた。
しばらく、正成は言葉さえ発することができなかった。
観世丸の動きは止まっているが、眼はまだ正成を見つめていた。
「観世丸」
正成は低い声で呼んだ。
「こっちへ来い、観世丸。おまえの伯父の、膝の上に座ってみろ」
率直に、観世丸は近づいてきて、縁にあがり、正成の膝に腰を降ろした。それはもう、動いている時の観世丸ではなく、小さな、掌でも持ちあげられる童だった。 「この乱世が、おまえを生んだのかな。いや、霧生は天が民に与えたのだ、と言った。そうだ、おまえは与えられたのだ。
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俺はそう思うぞ、観世丸。彩がおまえを生んだ時、俺はなぜか心をふるわせたものだった。その理由が、いまわかった」
観世丸の小さな手が、正成の頬にのびてきた。正成は、まだ涙を流し続けていた。小さな手が、それを拭う。
「人の世に、なにかできる。
俺より、観世丸の方が、ずっと大きなことができそうだ」
観世丸が、正成を見あげて笑う。正成は、何度か頷いてみせた。
「楠木様。どうか御身を御大切に。一度、観世丸の舞いを見せたくて、連れてきただけです。私は伊賀へ帰り、観世丸に舞いの心を伝えることに、専心いたします。
それで、私の余生は、意味のあるものになります」
霧生が、低い声で言った。
陽盛りの中で、蟬の声がむしろ、静寂を誘っていた。
(芸能についての箇所、終)