若さも使いよう 老いも使いよう ~ようは、気持ちのありかた~
「本当に誰も傷つけない言葉なんてこの世にあるのだろうか?」
自分から発せられたものに何の問題も持たずにパソコンのキーを叩くのも危険で、書いてはdeleteし、違う表現や文章を模索する。
そういうことをする理由は、読者(読んでくださる人)がいるから。それしかないんです、正直。
題材選びも慎重にならざるを得なく、何かを作る人・何かを生む人特有の目くばせであり、気配りです。
事業所に所属する私たちは何のためらいもなく日々制作しているわけではなく、届ける方の目を意識し、活動しています。
今日はそんな「人の目」と「自分の意識」という観点でこの記事に関して「ああだこうだ」してみます。
◎『おくさまは18歳』岡崎友紀 20代でおばさん、30代で『もう終わり』、40代で婆さん…特番では司会者から「ふけたなぁ」と言われ
◆だまらっしゃい!
8歳の初舞台から始まった私の芸歴ですが、皆さん、どのあたりからご存知でしょうか?
年齢によっては私のことを知らない人もいるでしょうし、もしかするとこの記事のタイトルを見た時に、「たしか昔は18歳だったよなぁ」なんて、青春時代のプレイバックが脳裏をかすめた方、多いかもしれませんね。
齢七十だなんて、ホントかしら? と我ながらビックリです。
こうして70歳になってはいるものの、気分は、若い頃とそう変わりませんし、いくつになろうが、なってみると別に大したもんじゃないんだなぁと言う感じで、なかなか渋めの長老キャラにはなりきれません。
世の中、今でも「劣化」だの「アンチエイジング」だの、私から言わせれば『だまらっしゃい!』なことを言ったり書いたりしていますが、私の若い頃は、もっと女性に対しては失礼でしたね。
例えば「25歳はお肌の曲がり角」だの、「女と畳は新しい方がいい」だの、酷いセクハラが普通にまかり通ってたんですから恐ろしい。
なもんだから、私なんか20代のピチピチの頃に、既におばさん呼ばわりされて、30代じゃ「もう終わりだ」かなんか言われて、40代では順調に婆さん扱いされ、50代以降は言わずもがな……でした。
◆ある司会者の捨て台詞
あるテレビ番組に出演した時のこと。
クイズみたいな特番だったと記憶していますが、収録直前、スタジオ横の控え室で待機させられていたら、そこにその番組の司会者が、ポケットに手を突っ込んで、かなりいい加減な態度で入ってきました。
一応「今日はよろしく~」と言いつつ、出演メンバーを見回して、誰にともなく「ふっけたなぁ~~」と馬鹿にした笑いと共に捨て台詞を吐いたのです。
バカモノー! 若い頃に私のファンだと公言していたくせに!
幼い頃からベテランの俳優、喜劇人、歌手の方々から素晴らしい教えをいただいて、心も技術も磨くことができた私からすれば、こんな情けない威張り方をする一流の人には出会ったことがないので、興醒めもいいところ。
先輩たちへのリスペクトの気持ちも無く、歳を重ねたことをせせら笑ったこの男、サイテーです。
ま、たまにはいますよ、嫌なヤツ。自分に自信が無い人は、それを見透かされたくないものだから、その前にケムにまこうとして威張る傾向があります。
お金と権力を手に入れても、何かしらの自分のコンプレックスを抱えている人間は、他人を妬んだり、勝手に恨みを持ったりすることがあるようですね。
要するに、事あるごとに人のせいにして、自分を正当化するタイプ。
(続きは以下のURLで)
【記事URL https://news.yahoo.co.jp/articles/336eec4d56d44f228088a5d89b2082d068c820c7】
今回の「ああだこうだ」
「歳は取るんじゃなくて、生きた分いただくものだ」
所ジョージさんが年齢についておっしゃった言葉。
その言葉を聞いて、それから私は「年齢は生きた証の年数」だと前向きに捉えるように。
しかし、最近オリンピックの話題であまりに失礼極まりない言葉を耳にした。
「初老ジャパン」
「なでしこジャパン」「侍ジャパン」ならいい。けど…。
自分で自虐的に笑って「初老です エヘヘ」と言うならまだしも、回りが「初老」と名付けて世に出すのはエイジハラスメントでもあるような…。
それに似たもっと不謹慎な言葉もある。
「老害」
「ちょっと待ってよ、ねえ。何て言ったの? 今」と、思わず訊き返してしたくなる。(この返しが古いんだって俺は)
前に飲み屋で若い男の子が隣で飲む女の子にこんなことを言うのを見かけた。
「俺って、ナイスガイだからさ」
「自分で言うことか!?」私は思わずつぶやき、近くにいた女の子の店員さんが笑った。
「確かにそうですよね。ダルさんくらいになると必死さなんていらないですもんね。余裕あるし」
「モテる人はモテようと思ったことも言ったこともないよ。なんでみんなそんなことで必死になるのかが俺はわからない」
「ズバリそんなこと、ダルさんサラリと」
「でも、モテたいって必死になれるのも若いって才能だからかもなぁ」
若いという自信と年齢を重ねてきたからこその自信。この2つには決定的な違いがある。
それは「経験値」。
私は子供のころから、早く歳を取りたかった。それは、自分の存在や言葉に説得力がある人間になりたかったからです。
なので若いうちから最近も、自ら、さまざまな仕事をし、さまざまな人と出会ってきました。
自分で言うのもなんですが、おのずと顔もいい歳の重ね方をした顔になって(顔の味がだんだん濃くなって「出身は沖縄?」と言われますが)、人との接し方も穏やかに。
いい感じで年輪を刻んでいる実感があります。
異様に長い眉毛が出てきたり、鼻毛やあご辺りの髭に白髪が混じっていたりの老化現象も「ああ、ちゃんと歳食ってんな」と前向きに。
そうなると、もうこっちのもの。
「良い自虐」ができるようになる。
「おっさん」という立ち位置を確立して自分の存在を下げ、相手の心を少しずつ開いていく。仲良くなるきっかけもできやすい。
で、だいたいのことは「なんくるないさー」で終われます。
でもって、そんなおっさん・おばさんの気持ちって若い人が思うより案外若いです。現に私もそういう回りの反応が多い。
いい歳こいて遊んだり、熱中できるものもあります。たまに、大失敗もします。だいたいそのあとは「バカだねえ、俺は」と自分を笑えます。
反対に若い人で考え方や価値観が老成している人もいます。
私がその2つを感じる方がいらっしゃいます。
秋元康さんです。
60歳を超えた今現在でもAKB48をはじめ、若い女の子のビビットな歌詞が書ける。反対に美空ひばりさんの「川の流れのように」のしっとり雄大で哲学的な歌詞を書いたのは秋元さんが30歳のとき。
おそらく秋元さんの中では、少年・少女の心情と中年の心情の両方が栽培されているのです。
なので、1日1曲は歌詞を書いている。いや、書けてしまうのでしょう。
今回の総括
「人としての幅と厚みを出す目的のエイジングは歓迎しなさい!」
「『いい大人が…』と、うしろ指さされても、ヤンチャはすべし!」
ってことです。
【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】