60:執筆を終えて
過去に数冊執筆してますが、15年間の全てを振り返り、オブラート無しの本音だけで文字に起こしたのは初めてですけど、今までよりスッキリもしてるし、正直なところ『なんで俺が葬儀支援!?』ずっと持ち続けたこの疑問の答えが何となく分ってきました。
裁判所での遺言書開封から1週間ほど後、転居先の鎌倉に出向いて話しを聞かせて貰った際、父親を看取ってくれた女性に見せられた写真は、自宅の片隅に置かれた小さな二段の祭壇(多分後飾り祭壇だろう)棘を取った薔薇の花、線香は無く、ウィスキーの入ったグラスとツマミが置かれた質素なものでしたが――、
「彼に言われた通りのお葬式が出来て満足です」
「今も此処に居て見守ってくれてる気がします」
「遺骨は言われた通り好きだったハワイの海に撒いてきました」
と寂しそうではあるけど、何処か嬉しそうにも、満足してるようにも見えた。
後悔よりも満足感が僕にも伝わる不思議な感覚、僕の知る葬式とは全く違う内容でとても質素でしたが、葬式でこんなに満足そうな顔を見たのも初めて『葬式とはなんぞや』の思いが芽生える中、夏を惜しむような9月の強い西日を受けながら、とても温かい心持ちで前橋に戻ったのを思い出します。
『葬式とはなんぞや』
戻ってからは、教師、反面教師と様々な人達との出会いで最初に見せられたのは『現状の葬式と葬儀屋の実態』でした(必要なら下記ご参照ください)
「3」不思議な出会いの始まり
「4」最悪な葬儀屋
52才まで多くの皆さん同様、祭壇の前で僧侶が読経するのが葬式と思い込んでましたが、線香も無く、宗教色もなく、真赤な薔薇を供え、読経も無ければ、会葬者もなく、たった一人だけの葬式、遺骨は好きな海に散骨、全てに於いて葬式概念の枠を超えた内容で、非常識とも言われそうな内容だけど当人は温かい心のまま、満足すらしてる現実は衝撃でした。
同時に自身のことを考えると『完全なる無信仰者』キリスト教や神道も含め、どんな宗教でも信じる人を否定はしませんが、自分にとって読経や戒名に価値は感じないのに謝礼として40万円、50万円などあり得ないと目から鱗でした。
多分、鎌倉での事が無ければ、どんな葬式を見ても何とも思わなかったのでしょうが、質素だけど温もりを感じられる父親の葬式に対し、極々一般的な葬式なのだろうけど温もりより、霊感商法と誘導商法を駆使して家族の事は一切考えず、何とか騙そうすると三流営業マンの如くの葬儀屋には怒りさえ感じ、自分の発言が霊感商法である事さえ自覚できないほど腐ってるなら、葬式、延いては葬儀業界は治療で治る段階でなく大手術が必要なのかもしれないが、まずは一石を投じる事が千里の道も一歩からに繋がるはずと考えた。
日本の中で僕だけが特殊とは思えませんから、同じように考え、感じてる人達はいくらでもいるし、例え仏教信仰があったとしても家族の生活より信仰を優先させるなどあっては成らないし、そんな理不尽を当然の如く説いてるなら、それは信仰でも宗教者でもなく単なる金儲けの道具としての宗教で霊感商法ですから宗旨宗派そのものを侮辱する行為だろう。信仰とは葬式をする事でなく、金儲けの手段でもなく、その信仰を持った事で日々穏やかな心で、充実した人生を送る為の指針となって然るべきはず――、
この感覚を持ってスタートラインに立てた事で葬式のあるべき本質が見えたようです。日本人の多くは特定信仰はなく、普段の正月は神社に行き、同じ正月でも厄年だけは厄除け大師の寺に行く、特定の信仰を持つ人ならあり得ない行動ですが、これが日本人だから無信仰なのに仏教の葬式が通用してきたのでしょう。
キリスト教信者のクリスチャンが、お坊さんが行う仏教の葬式など絶対にしないのは理解できるでしょ!? なら無信仰者が特定宗教の葬式をするのは不自然極まりないのも理解できるのでは? 皆さんは『無信仰者が仏教式の葬式をするのが当り前だと思いますか?』洗脳されてなければ「いいえ」と答えて当然、もし「はい」と思った人は改めてじっくり考えてみましょう。
口は出すけど金は出さない無責任な親戚、隣保、友人、葬式で儲けたい僧侶、葬儀屋がおしつける仏教の葬式でなく、無信仰者が納得できて、その時点の財布事情も含め、誰でも死ぬなら誰にでも選択肢があって当然との思いから、例え一銭も無くても不安を持たず終幕を迎えられるよう利益無視で商売とは呼べない非常識な『5万円火葬支援パック』を始め、読経、居士大姉戒名も含めた15万円家族葬など、あり得ない設定に拘り続けてる自分自身への理由も分りました。
主宰してる、あんしんサポート葬儀支援センターは、根本的に葬儀屋とは一線を隔す存在で、現状の高額な葬式では後の生活に支障をきたす家族とか、無信仰者で仏式の葬式は納得できないとか、葬式の価値観が違うなど理由は様々でも、現行の葬式に違和感や異論のある人達への選択肢としてあって然るべき支援活動のひとつなのですが、今までそこに気付く人が少なかった事や、行政は宗教界からの反発が面倒な事も猶予して手をつけないのだろう。
だから本来なら市内の自治会と県内の自治会、更に人口の違いや火葬場の稼働率など含めれば全国区での共同事業として行えば、行政も風当たりは防げるし、市民は助かるし、葬儀屋とは本質でバッティングもしないだろうし、ノウハウ、スキルは15年間、千数百件で培ったものがあるので、日本で生活する全ての人達が、せめて死後費用の心配だけでもせず生きられる世の中にしておく必要のある団塊世代の終幕期2030年代も安心して迎えられると思うのですが・・・・
最後に――、
遠くない将来、自身や家族の終幕が想定される方々は、我が家の価値観、財布事情、その後の生活設計など考えられる全ての項目に於いて、家族の事情に合わせてくれ、信頼に足る葬儀屋を探して依頼しておく事です。
また対象者や家族との別れが自分の中で受け入れできるまで、納得できるような日々を過ごすこと――、対象者が家族でも、貴方自身が対象者でも、最後の時を迎えた時、穏やかな心で「ありがとう。いい人生だったよ」と言えたら大往生と言える人生ではないでしょうか――、
あんしんサポート葬儀支援センター 代表執行役員 武井 利之
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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」
家族の死後に後悔しない為の一冊
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