しあわせ巡礼
二十年ほど前、そんなタイトルの四国旅日記を書いて公開していたことがあった。その年の暮れ、それに呼応するかのようにテレビ塔から札ビラがまかれた事件があって愉快だった。その旅日記には篤志家から2億円のお接待をいただくという妄想を書いていて、リュックからあふれるほどの紙幣というくだりが模倣されていた。その人物がテレビ塔をのぼる途中にリュックから札ビラがこぼれ落ちていたと新聞記事で描写されていた。だが実際にまかれたのはドル紙幣や百円札で、違法性もないことから「ごめんなさい」で釈放されたという。岐阜の投資家ということだったが、今でもネット検索であがってくるよ。
当時ウェブで書いていたときに掲示板も設けていたが、「私は結願したところ株で50億もうけました」という人がいた。そんなこともあるだろうなと思っていたが、その人物がくだんの岐阜の投資家だったかどうかまではわからない。
「しあわせ」というのは幸福のことではなくて、「仕合わせ」のことだ。司馬遼太郎が「空海の風景」で使用したコトバで、運命的な引き合わせといった意味だ。納め札にはこのコトバを記入した。納め札とは文字通り、写経や読経を納めましたよという印で、そこに願い事を記入することができる。私には願い事などなかったが、記入しないのも変だと思い「仕合せ」と書くことにした。
さても霊験あらたか、巡礼初日に自殺者を発見する事件に巻き込まれた。翌日のこと、お接待有りの案内のあった農家のビニールハウスに立ち寄り、納め札を渡したところ、70代男性から「おまえだったのか・・・」と絶句された。懐かしいね。自殺者が出れば界隈の噂になるだろうし、私を察知した老人にはなんらかの霊感があったのかもしれない。
四国巡礼は結願しなかった。かなり頑張ったが、焼山寺でタイムアウトになった。後からでも行って結願したほうがいいよ、と世間話でいわれたが、「これも巡礼の記念なので」と私は取り合わなかった。納経帳に一箇所空白があってもいいじゃない。不思議がられたが、私はスタンプ・ラリーのために巡礼したわけじゃない。
「仕合せ」というかなり間口の広い願の効果か、直後に私は雨乞いの術を身につけることになった。別に隠しているわけでもないので、バーチャル・ウェブ空間ではそちこちで言いふらしているが、実生活では誰にも話したことはない。それを話すような契機というのは、全くなかった。
変に利用されるのも嫌だし、力の証明など下品だと思っている。
四国遍路は、今では歩いてまわるのはなかなか難しくなっていると聞く。私がまわった二十年前でも、宿の存続が危ぶまれていた。まあ別に、野宿だっていいじゃない?と思う。レジャーじゃないもん。