ムラブリから気づく② いまここ基準
先日書いた記事のシリーズです。
↓に載せている動画を見て、印象に残ったお話について、わたしの感想を交えながら書いています。
伊藤雄馬×宮台真司×神保哲生【5金スペシャル映画特集Part1】「森のムラブリ」に見る人間のモラルの根源と他者を恐れる習性
番組のことや、映画『森のムラブリ』のことについては、番組の公式ページをご覧ください。
映画『森のムラブリ』は、5月21日から名古屋、5月28日から大阪、6月3日から京都、6月4日から神戸、6月11日から横浜、7月16日から長野にて、上映されるとのことです。興味のある方はぜひ劇場へ足を運ばれてください!
劇場に関する詳しい情報は、↓のリンク先にまとめて掲載されています。
さて、今回のテーマは「いまここ基準」。
動画の 41:36 あたりから、こんな話がされています。
ここでいう「長く」というのは、「長時間」という意味ではなくて、「長い時間軸」でという意味です。過去や未来といった長い時間軸で物事を考え、悩むから死にたくなっちゃう。確かにそうだなー。これは、多くの人にとって、思い当たる節がありますよね。過去への執着と、未来への不安から、わたしたちは自然とよろしくない行動を取るようになりがちです。
ちょっと脱線しますが、いま書いた「過去への執着」と「未来への不安」は、片づけで有名な「こんまり」こと近藤真理恵さんが使われている言葉をそのまま持ってきました。モノを手放せない理由は2つだけ。「過去への執着」と「未来への不安」。いまのときめきを大切に、いまを輝かせましょう、というのが彼女の教えです。
話を戻して先ほど書いた引用部分について。わたしが気になったというか、気に入ったというか、印象的だった部分がありまして。それは、伊藤さんがおじさんのセリフを引用するときに「長く考えてる」って言うんです。引用だから、単純にそのままの言葉で伝えてる、とも考えられるのですが、わたしはちょっと深読みというか、単なる引用のようには聞こえませんでした。おそらく同じように聞いていた人も多いんじゃないかな。
このセリフ、わたしの解釈だと二段階の深みがあります。そして、その深みを説明するには、この動画のあとの方に出てくるムラブリ語の時制の話を避けることができないので、先にそちらの話から。
動画の 52:15 あたりからのお話です。
「すでに終わったことと、これから始まることを、同じ表現で伝える」って、おもしろいですね。わたしたちが普段使っている日本語では到底考えられない話なので、とても興味深くお話を拝聴しました。そして、じゃあどこの時間軸で区別しているのか、というと、「いま行われている最中か否か」ということなんですね。「いまか、それ以外か」。ちょっとローランドさんっぽくなってしまいましたが、非常にシンプルでわかりやすい区別の仕方です。
区別するということは、そこに違いを感じている、ということかな、とおもいました。逆に言うと、区別しないということは、そこに差はないとしている。つまりムラブリの人たちにとって、「いまか、そうじゃないか」には違いがあるけど、「いまでない時間」については、別にいつのことかは重要ではない。そうなると余計に「いま」への価値が高く感じられます。価値が分散されていない感じ。
それで、先ほど保留にしていた「長く考えてる」の話です。伊藤さんは、おじさんの言葉を引用されて「長く考えてる」と伝えたので、この言葉が発せられたとき、おじさんは「長く考えた」とは言わずに「長く考えてる」と表現したのだとおもいます。自殺をしてしまった人は、もうこの世にはいないので、いま考えているわけじゃないんですよね。だとしたら、「長く考えた」というように過去形または完了形で話すんじゃないかな、とおもったんです。でも「長く考えてる」なんですよね。つまり、「いま」なんですね。
そして、その言葉を伝えたときの伊藤さんの話し方なんですが、単におじさんの言葉を引用して伝えてるだけには聞こえない。やっぱり、「いま」の話に聞こえるんです。ここはちょっと感覚的にそう感じたという個人の感想なので、論理的に説明できなくて申し訳ないのだけれど、すごく不思議な聞こえ方でした。伊藤さんご自身がどのような意識で、または無意識で、このセリフを言ったかについては、ご本人に確認したわけではないので分かりませんが、勝手に「深いな〜」とおもいながら、何度も何度もこの話を聞かせていただきました。
言葉と思想、経験がつながっているのを実感するのはたのしいですね。まだまだ深みにハマっていきそうです。
このシリーズは、あと1回でたぶん完結します。また書きますね。
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