ケアの装置としての装い:「拡張するファッション演習」レクチャー&試着撮影会「魂のもうひとつの皮膚」
2023年11月3日(金・祝)、i a i / 居相 デザイナーの居相大輝さんをお招きし、レクチャー&試着撮影会を行った。
「癒やし」と「暮らし」の両輪による活動の原点
京都府福知山市出身の居相さんは、高校卒業後、東京の消防署で働いていた。人助けをしたい、人を治癒したいという思いから救急隊という仕事に興味を持ったという。勤務をつづけるなか、2011年3月11日の震災を経験し、このままだと何がどうなるかわからないという気持ちを背負うなか、悲観せず毎日を過ごすために「暮らし」に目を向けた。
震災で人々を実際に助けることもしてきた居相さんは、その後実家のある福知山へ戻り、小さな川が近くに流れる古民家に移り住んだ。家を直すなどを進めていく一方で、「装い」を見せ合うような東京の生活ではなく、村の人たちの営みのなかの「装い」のほうに興味を深めていく。
誰かにアピールする装いではない装いに目を向けた居相さんは、心が喜ぶものを選択していくことを大事にしているという。例えば散歩風景に見る草花へも興味を持ち、草木などを使いご自身で布地の染色なども行なっている。震災後は多くの人がそうした理念に共感を持つようになったし、実際「ローカル」で活動しているにもかかわらず、居相さんの理念に賛同するファンはとてもとても多い。
「お返し」とそこにある美しさ
実際に東京から集落に移り住むと、村人の方々は喜んで居相さん夫婦を迎え入れてくれたという(高齢の方が多いため、若い人をおおらかに受け入れてくれたそうだ)。「何をしているのか」と問われ、「服作りをしている」と答えると、それで食べていけるのかまで心配してくれた(実際、居相さんがファッションで活動し始めたのはこの頃からだった)。食べていくことを心配し、作った野菜などを分けてくれ、こうした「顔の見える」生産-消費、手間暇かけられて作られた野菜にも魅力を感じたという。
これに対して、居相さんは自らの手間暇をかけて染色・裁断から縫製までした衣服を、コミュニケーションの一貫で「お返し」のつもりで持っていくと、思いがけない表情や仕草に出会った。そこにある姿の美しさに惹かれ、居相さんは何度も作った衣服を持っていき、それを着た姿を写真に撮ってあげるとそれにもまた喜んでくれた。洋裁好きなおばあちゃんとの交流で、刺し子をしてくれた生地を居相さんが洋服にするなど、共同作業を通して「コミュニケーション」の可能性を「拡張」していると言える。
「暮らし」をつくる「今」
最近は福知山から引っ越しをし、パートナーとともにまた新しい場所を作り始めた。木を切るところから3年かけて、周りの村人の方々の力も借りながら、茅葺屋根の家を含む住居を作り上げた。これには「草木に囲まれて過ごしたい」という居相さんの心が喜ぶほうへの選択が関わっている。こうして、薪を割ったりお風呂を沸かしたりする「時間」が彼の時間の中に加わった。しかし、全て古いものがいいという考えかたではなく、便利なものはニーズに合わせて取り入れている。古代の流れを汲みながら時代の個性にも思いを巡らせ、この思想は家作り・服作り双方に脈打っている。
居相さんは「今」を大事にしているという。古いものだけでなく新しいものも中庸に見ていかないと、次世代の子どもたちへつながっていくことはできないからだ。そのなかで、やはり美しいと思っていることは大事にして、忙しくしすぎない・余白をあけるということが重要だと考えるようになった。子どもができてから走りすぎないで過ごしていくうちに、こうした暮らしのスタイルになっていったのだという。
ケアの装置としての衣服
静かな心だと自分が何をしたいのかがよく分かるという居相さんにとって、没頭できるものが服だったというのはすごく合点がいくように感じられた。「人助け」をしたいという居相さんの衣服は、どんな世代の方々でも心が穏やかになるような、まさに「魂のもうひとつの皮膚」だ。居相さんの人柄や暮らし方をうかがうと、自然と私自身もケアされているような気持になった。
「嬉しい」や「楽しい」が提供するのが自分の服の役割りであると語る居相さんの子どもたちのワードローブは、全て居相さんの作った服ではないが、子どもたちが居相さんの服を選んでくれた日はとても嬉しいのだという。居相さん自身が実行している率直な選択が子どもたちにも受け継がれていることは、とても微笑ましい。
居相さんは自身の衣服が心のケア、街にでる後押しになればいいとも語っていた。今回のレクチャー&試着撮影会に参加したお客さんたちの間には、居相さんの服に実際に触れ、着て、その喜びを共有することで、「癒やし」の空気が充満しているように感じた。
それを見た私は、衣服は液体みたいなものでもあるのではないかと率直に感じた。私たちは生まれる前の、羊水に浸かっていた記憶を体できっと覚えている。母親からの栄養や感情を受け取る、自由で安全なあの場所。それが生まれてからは産着に代わり、成長とともにさまざまな衣服に着替えていく。人と人は衣服によって区切られる。しかし衣服の本質はくっきりと線を引いた境界をつくるのではなく、あいまいな、あわいの境界をつくりながら、(羊水のように)ホメオスタシスを維持するケアの装置のひとつだと捉えなおしてみると、衣服による(心身ともに対する)ケアは確かに可能なのではないかと、あらためて感じることができた。
今回のレクチャー&試着撮影会は、限界集落に暮らしながら現代を生きているデザイナーの感性に触れ、いわゆる「スローライフ」の潮流ではないもっと暮らしや衣服の根源的な重要さが身に染みた1日となった。