★まいにち投稿20日目反省会?です:まいにち100字【20日目】

今日はキリの良い20日目ということで、20日記念の反省会をしまする(恒例行事)。

正直これほど続くとは思っていなかったので、続けられた自分を素直に誉めたい。スゴいよ自分。意外なほど書くネタは尽きず、まだまだ幾らでもあるという感じ。素晴らしい。まあ考えてみれば、コンテンツの数だけ書くことがあるので、僕のモチベーションや能力があれば無限に書ける筈なのです(この世にコンテンツが生まれ続けるのならば)。

そういったポジティブな感情がある一方、いつも通りネガティブな感情も発生している。

たとえば、「このまま書き続けても、何もなく時が過ぎていくのだろうか」という不安。これもいつもの感情ではあるが。現在は「ずっと誠実に書き続けるしかないのだろう」という呪文のような自己規律でどうにかやってるが、これがぷちっと切れてしまったらどうしようという不安がある。

特にTwitterのフォロワーの少なさなど、不安材料にはぴったりである。しかし、数日前に「Twitterが苦手」という記事を書いたように、筆者はTwitterで伸びる可能性を自ら絶っていると言って良い。いわば「Twitterランドの言語に抵抗し続けて死ぬ話」を地で生きているかのようだ(なんだその話)。

https://note.com/ans_combe/n/n51777e3a9cce

前回筆者が挙げたTwitterが苦手な理由には、次のものがある。①情報の穴空きへのイライラ、②多くのツイートに共感できない疎外感と孤独、③バズりへの嫉妬と羨望、④最終的に訪れる無力感と諦め。

Twitterで伸びるために一番手っ取り早い話が、Twitterでバズってるツイートの真似をしていくことなのだろうけど、これを想像しただけで吐き気が生じる。たとえばよくアルファベット斜体太字……みたいな構文があるが、あまり使いたいとは思わない。あと箇条書きのやつとか、人生訓みたいなやつとか。他人がやってる分にはイライラで済むが、自分がやるとなると吐き気まで到達する。

別にインターネット構文が嫌いなわけではない。淫夢やクッキー☆などの構文で笑ってしまうのも良くある。しかし、自分で語録を使ってコミュニケーションを取ったことはない。なんとなくの抵抗感がある。

だからといって、語録系や内輪ネタが嫌いというわけではない(むしろ好き)。くりぃむしちゅーANNの語録は使いたくなる。知名度が低く理解されなさそうなので使わないけど。……まあでも知ってはくれてんのねえ(←上田の語録です)。

最終的に行き着くのは「自分(の言語)は承認されることはないのだ」という落胆である。まあでもTwitterにはTwitter語/言語ゲームみたいなものがあって、それに適応できないやつは排除されていくだけなのかもしれない。そう考えればこの落胆も、幾ばくかは相対化されるというものだ。落胆してる場合じゃない、Twitter語を覚えろ!ほぼアレルギー気味なドイツ語学習より遠慮したいな……。

錦鯉長谷川の一発ギャグみたいに、やり続けることで磨かれていくものがあるのではないか、そういう根拠なき信念や希望を持ち続けるしかないのかもしれない。

その一方「スケベ女ぴた……復活しろ!」とか呟いてるアカウントが正常なはずはないので、やっぱり無理かもしれん。

取り留めがなくなった!

おわ~り。

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