死の選択
潜在意識の中で決めている死の時期であったり、運命というものが
あるのであるとすると、なんてことを『ふと』考えた先ほど。
30年ほど前に
今は亡き姉に招待され、姉の会社の部下女性と
3人でバンコックにいった。
そこで、屋台で売られていたマッシュルームを食した。
それは卵焼きに含まれたキノコ。
当然普通のキノコではない。
正にぶっ飛んだ。
音楽が体に入り込む。
見える画像がとってもストレンジ。
ある意味異次元に行ってしまった感覚。
楽しんでいるのもつかの間。
このマッシュルームは、一人でやってはいけない。と言われている。
音楽が左右の店から流れ込んでくる歓楽街で不思議な経験をした後、
皆でロッジへ帰る。
2人の女性は早々と寝てしまうのだが、
自分だけはなかなか寝に落ちない。
暗がりの部屋で壁の隙間から光が差し込む。
天井には木でできたファンが『ブゥ~ン、ブゥ~ン』とゆっくり回る。
外はねっとりしたムッとする厚さであるが、室内にはクーラーが効く
この暗がりとこのファンの『ブゥ~ン、ブゥ~ン』という音
映画で見るベトナム戦争がイメージとして浮かんでくる。
眠りに入れない苦しみがどんどん大きくなる。
気が付くと、自分で自分の首を絞めている。
どこからか血のように見える映像が出てくる
姉たちは起きる様子もなく
助けを呼ぼうとするが、呼べない。
この時、自分が死を選択していたら
姉は今でも生きていたのではないだろうか?
そんな事を今朝、ふと思ったのだ。
もし自分が生きる欲求が薄かったら、
その時いなくなっていたかもしれない。
姉は、その責任を感じて自分の分まで人生を真剣に生きていたのかもしれない。
人は病気が原因だったとしても、事故が原因であったとしても
何かしらの理由から死を選択している。
私はそう信じているし、感じる。
でなければ、気持ちの持ち方ひとつで癌の末期から回復したり
紙一重で死から救われたり、全く安全な環境からある人だけ死んでしまう。
そんな偶然があるとは信じれない。
偶然は信じない人間だから。
もしかしたら、姉貴へのGUILTが未だにあるのかもしれない。