思考のフィルター
先日5歳年下のカラオケ仲間に説教をされた。
友達K君としよう。
最初はちょっとお酒の席だったので、抵抗したが
暫し間をおいて、思考が始まった。
状況としては、自分がある女性に対して
『ちょっと丸くなった?』と言ってしまったのが
友達Dの忠告の始まりだった。
『隣の山崎さん、思ったことをそのままいうのは良くないですよ。』
人の気持ちになった方がいい、
となりの山崎さんが損をしている。
全くその通りなのである。
なんでこいつは俺にそんな事を酒の席で言うのか?
ある有名企業の部長クラスのK君。部下が相当いるだろう。
彼は小太りというよりもでかい。デブ系である。
汗っかき、その飲み屋でも『温度を上げている張本人』と
店長に言われてしまっている。ある意味キャラクターの一つになっている。
週に2度は朝まで酒を飲みあかして、家には朝方帰宅すると言うのが習慣。
家に居場所がない。というのも一つであるが家に帰りたくないんだろう。
また、たまに飲み友達の女性が何人もいる。
別にエッチ目的とかではないみたい。
で必ず、何時間も一緒に飲んでご馳走してあげるようである。
給料がいいと言うのは分かるけれども、
友達K君は子供が二人いる。
一回の飲み歩きで2-3万円つかう。
それ以外でも付き合いはあるだろう。
月15万以上使っている事にある。
女性におごる事で、気分がいいと言うのがあるのかもしれない。
ただ、今まで紹介してもらっている女性はなんだか変だ。
通常上司であれば言いが、全くの他人が奢ってもらうケースって
肉体に興味があるから?でないのだろうか?
じゃなかったとしても、対等に付き合えない男性だからするのだろう。
女性側からしても、ただでお酒を奢ってもらって、意識的にどうなんだろう?最低でも多少は払っておいた方がある意味貸し借りがない関係で
健全なのではないだろうか?
で家庭に帰りたくない人間が、俺の言葉遣いが悪いという。
確かに悪い。
直球を投げてしまう。
相手は傷ついてしまう。
しかし、自分は悪い人間ではないから、『デブは生きる資格がない』とか
言う人間が入るが、私はそういう人間ではない。
太っている人間は幼少の頃から温かみのある人間が多いと言う出会いを知っている。実際に小太りの彼女がいたこともある。おおらかでいた彼女は
太陽のような存在であった。
50も生きていると、色々な思考があって、単純に言葉を発しているわけではないと言う事に今回の事で気付いた。
確かに以前何度も『言葉がきつい』『思ったことを口にしない方がいい。』と言われてきている人間だから、否定は出来ない。
でも、自分も高校生の頃、姉貴に『足が短い』と背が自分より低い姉貴と
背を比べて足の長さを比べると股までの足の長さが同じであった。
それ以来『俺は足が短い。』というのが頭にこびりつき、『俺は短足なんだ』と思うようになった。
コンプレックスの始まりだ。
今振り返れば、アメリカ人だからって足が長いわけではない。
あるオレゴン出身の友達は、ガタイはいいが足が短かった。
足が胴体より短いと言うか同じような人間はいっぱいいる。
芸能人だって注目してみていけば大勢いる。
そう考えるようになったのが、7年後ぐらい。
社会人になってからだ。
人生って楽しい事ばかりではない。
『人生は苦行である。』と説く偉い人すらいるぐらいだから、
人生というのは楽しい事ばかりではない。逆に楽しい事の方が少ない?
苦労があって楽しい事があるから、楽しい事が楽しく感じられるのではないか?そうなんだと思う。
美味しいものを毎日食べていたら、その人の感動は少しづつ軽減していく。
美味しいものを食べる習慣のある人は、他人がおいしそうに食べている時に
そうはなれない。きっと『これが美味しい?』と疑問に思う事すらあるのではないか?自分もそうだった。
うちの家は中の上位だったが、母親が何時もおいしい手料理を作ってくれていた。毎日ではないが、材料も高級なものを買ってきて食べさせてくれた。
だから友達が感動するような店に言っても、同じような感動は得られない。
しかし、学生が終わりバックパッカーになり、1年程放浪した時期を経験した。一日1ドルぐらいでの生活も経験した。
そうするとどんなものでも美味しく頂けるようになる。
人生は苦行である。苦行をこなすことにより、喜びが実感できる。
苦行を超えた人にこそ幸せが訪れる。
だから、苦を与える人間というのは存在するのである。必要なのである。
わざとやっているわけではなく、無意識に出てきてしまう言葉というのは
不本意というよりは誰かが自分の口を使って行っているようにかも思える。
文頭の方に言った、ある女性に自分が『丸くなった?』
という言葉はその子の外見を目の前で見て、思った言葉だった。
同じ子に以前は『ちょっと痩せたみたい。』というと非常に喜んでいた。
この子は確かに丸い。
最近お酒が以前より飲めなくなったと言う。
飲むと浴びるように飲み、吐き、そんな生活を繰り返していた。
しかもその旦那も酒好きで、一昨晩もお店で自分の横でろれつが回っていなかった。まだ30台になったばかりの丸い子は一度子ども作りをあきらめている。健康状態なのか、体質に問題があるのか?しかし特に女性は健康に気を使うべきである。
体脂肪が多いと色々と病気を招いてしまう。
他に言われても気にならない事が、自分が言う事によって気になる事と言う事もあるはずだ。それか、何人にも言われたからダイエットを始めたとか。
だから相手を傷つけると言う言動は確かにあるかもしれないが、
意識を強める意味でもポジティブばかりの言葉を言うよりはネガティブな言葉も必要なのではないだろうか?
人は守られてばかりいると、強く離れない。
褒められてばかりいると、弱い人間は自己に対しての戒めをしなくなる。
甘えて育ってしまう。
それが周りにとっての迷惑になると言う事もある。
だからこの世に自分のようなきつい事を吐く、人間が入るんじゃないかと
思いう。しかし、相手をづつけようと吐いているわけではなく、
誰かに言わせられているように、無意識の状態で吐いてしまう。
自分は八方美人にはなりたくはない。
だから出会う人すべてに愛想良く接しようなどと到底思わない。
自分がひどい事?相手に対して気になる事を言ったとすると
自分に対して『なぜ?』という疑問を投げかける人と、
そうでない人に分かれる。
そうでない人というのは『この人は嫌な人だからもう口をきかない。』と
自然と離れていく。恐らく一番人に言われたくない事をつかれたのであろう。コンプレックスは誰でも持っている。それを触れない痛い腫物のように
扱っていたら、いつまでたっても治りはしない。
会えで自分からこれほど自分はひどいんだと言える人間になる事で
今までの自分を乗り越えられるのではないだろうか?
去っていく人間は人生は短い。だから自分には必要ない人間、別世界の人間として関係性を持たない:ある種のフィルターが機能していると言う事だ。