働いて感じた「お金を稼ぐ」意味


大企業で働いて感じたこと、とは異なるのですが、社会人となり一番変わったのは圧倒的に経済状況です。給与を得るようになりました。


大学生のときもバイトはしていましたが実家ということもあり、自分を自分で養っている感覚などは全くありませんでした。
給料を得ることについて私が感じたことを書き綴ってみます。


・経済的自立してこその自立

親の被保険者だった私が、就職先で保険証をもらい自分が保険者となったとき、なぜだか「あぁ完全に自立したな」と感じた記憶があります。
給料が払われる際には額面からいろんな税金やらが天引きされていて、これらのお金も私は払っていくんだなともしみじみしました。

実家から一人暮らしの変化があり、単に給料の有無だけでは比べられないのですが、私が会社員として稼ぐようになって感じた一番の変化は生活をコントロールしている感覚です。
ちょっと高い買い物をするとき、必要じゃないけどやりたいことをするときなど、学生のときはちょっと金銭的に躊躇があり、やっぱやめとこ!という決断をしたこともよくありました。
社会人になって一切の躊躇がなくなったわけではありませんが、学生のバイトと会社員では稼いでいる額が異なるので、大学時代ほどの抑制は必要なくなりました。
抑制する機会が減る、つまりお金の自由度が増えると、自分にお金を使っている感、自分を大事にしている感が増したように感じます。

加えて一人暮らしをするようになったことで家賃水道光熱費食費も自分で払うこととなり、親や他人が金銭的には一切自分の生活に絡んでこなくなり、自分で自分を養っているという感覚を強く感じるようになりました。


・稼ぐ、お金があるって選択肢を増やすこと


「稼ぐ、お金があるってことは選択肢が増えるってこと」このことにふと気づいたのは、友人と何気なく話していたときでした。
センシティブな話で恐縮ですが、
「もし、仮に予期しない妊娠をしたら、大学生のときであれば自分もまだ学生で学費等お金がかかるし、子供を産んで育てるにもお金がかかる。もちろんそれ以外の理由もあるけど金銭的理由も鑑みて例え産みたいと思っていても産まない選択肢が強い、というか『産めない』状況だった気がする。でも会社員になって、ふと同じ状況になったことを考えたとき自分が収入を得ている会社員で、ついでに育休とか会社の制度もあるし、産む選択肢というか産もうと思えば全然『産める』状況にいることに気づいた」
という旨の会話を友人としていました。(私も友人も学生時代も当時も妊娠したというわけではないですが。この注釈も余計な気がしますが一応)

バイト代程度ではない、自分を養える額のお金を稼ぐということは 人生における、今まで見えていなかった、あるいは見えていても到底選べなかった選択肢を出現させることができるんだと気づきました。単に、高額な買い物ができる、というだけではなく例えば例に挙げたような子供を産むかどうかなどの人生に影響を与えるような問題にも影響していきます。

これに気づいて同時に思ったのは、「多分もっとお金持ちの人は、今私が思いつかないようなたくさんの選択肢があるんだろうな」、ということです。
例えば、自分や家族が難病に苦しめられているとします。
一般人が病院か、少しお金をだして家で診るかを迷っているとき、
超お金持ちはもしかしたら自家用チャーターでその難病の名医がいる国に飛んで診てもらう、というような、とても一般人には選べない選択肢をお金があるゆえに選べるかもしれません。 (あくまで例です)

よくお金で愛や幸せは買えないと言ったりしますが、例に挙げたような、子供を産みたいけど金銭的事情で諦めないといけない、といった場合、「買う」とは違いますが、お金があれば愛も幸せも手に入り得た事例のようにも思います。

・給料って何に対して支払われているか

初めて給料をもらったとき、このお金は会社が稼いで、会社に貢献した対価なんだなと感じたのを覚えています。別に私、あんりという個人そのものの価値に払われているわけではなく。私である必要はないけど私がやった仕事に対して支払われているんだと感じました。
反対に、例えば私が公開してる有料noteを買っていただいた場合、それは私、あんりという個人の価値に対して払われているお金だと感じます。
会社員の給料に天井があるという言葉がピンときた瞬間でした。


駄文ではありましたが、1年働いて感じた給料に関することを書き綴ってみました。読んで頂いてありがとうございます。

fin.


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