英国のバイオテック事例
ANRI 宮崎です。今回は英国のバイオテック領域について、リサーチインターンの方と一緒に見てみようと思いました。
アメリカはスタートアップの中心であり、中国は圧倒的な勢いで進んでおり、イスラエルは小国ながら少数精鋭の優秀な人達 etc、である中で、最近は欧州も大手VCがオフィスを開いたりと活気づいているいるように感じます。
その中でも、a16zは英国・ロンドンに初めて米国外のオフィスを設立しました。また、日本と英国の関係性は地政学の関係も相まって強まっているように感じています。
Oxford大学のTLOが不平等条約的なものを結ぶのを前にもご紹介した記事とかでも取り上げましたが、英国のスタートアップのエコシステムも米中のような大国とは異なるものではあるが、同じく大きな資源等を持たない日本より先を行くところだと考えています。ARMやDeepmindといった、現在も世の中に多大な影響力を持つスタートアップが生まれてきました。
そんなイギリスのスタートアップのエコシステムの中でもバイオではどのような事例があるのでしょうか。Bicycle Therapeuticsを調べる中で、創業者のSir Greg Winterの1つのストーリーがあったので、簡単にご紹介させてもらえればと考えています。Winterは、2018年にファージディスプレイによる創薬への貢献にたいしてノーベル化学賞を授与されています。3社目の起業であるBicycle Therapeuticsは Longwood、SR One、Vertex Ventures、Atlas VentureといったUSの錚々たるVCが参加していますが、それ以前のWinterの事業化のストーリーは全く異なるものでした。
英国バイオテック最大の成功例の1つと言われている 1社目Cambridge Antibody Technology (CAT)
CATは、1989年に設立され、2006年にアストラゼネカに£702Mで買収されました。
CATの当時の新技術、何十億もの抗体を作り、その中から必要なものを選び出すという"抗体ファージディスプレイ"を開発しました。マウスの可変領域(V)遺伝子をバクテリオファージのコートタンパク質遺伝子に融合させ、コードされた抗体断片がファージの表面に表示されるようにし、固相抗原に結合して濃縮されたファージから、適切な特異性を持つ抗体を単離することに成功しました。この技術等を活用して、マウスとラットのモノクローナル抗体を、マウス抗体の不要な免疫反応を引き起こす部分をヒト抗体断片に置き換えて、初めてヒト化した薬剤として使用可能にしました。これがヒト型抗TNF-αモノクローナル抗体 Humira (アダリムマブ)であり、2002年に関節リウマチ治療薬として米国FDAから承認されました。その後、炎症性腸疾患、乾癬、その他の炎症性疾患の治療薬として承認されています。コロナ関連を除くと、薬剤で世界で一番売上をあげている薬になっています。
CATは、Winterにとっての一回目の起業ですが、最初は大手事業会社の手助けを得ようとしていました。彼のラボには研究員が6人しかおらず、米国スクリプスにいるのアカデミアの競合であるRichard Lernerがいたこともあり、研究を加速化するためにも色々な事業会社から当たっていたが、どの会社にも興味をあまり多く持ってくれなかったと彼自身が語っています。そんな中で、最初の創業のきっかけとなった人物が2人います。1人は、Amersham社でヒト化抗体のチーム責任者であったDavid Chiswellである。彼は会社がヒト化抗体のプロジェクト打ち切りを決定したために、Winterらの技術を見つけて会社設立のアイデアを聞きました。もう1人は、Peptechという化学商社?の代表かつ昔からの友人であったGeoffrey Griggでした。彼らもWinterらの技術に関心を持って、投資したい・協力したいと声をかけてきたのが始まりです。この流れからPeptech社からの75万£の投資を得てCATは立ち上げられました。この投資に伴って、Peptechは、40%の株式シェアを取得し、Humira等のモノクローナル抗体医薬品からロイヤリティを得ました。
大ヒットであるHumiraは、93-94年頃にドイツのKnoll AGからもアプローチがあり、共同開発から生まれています。CATが編み出したファージ技術とのプロジェクトを開始して、4年ほど経てから、Phase1の140人規模の関節リウマチの臨床試験でのポジティブの結果を発表した。当時はD2E7という薬剤候補の名前をつけていました。ブロックバスターになるポテンシャルからも、Abbott Laboratoriesが BASFの製薬ビジネスのユニットを2001年に$6.9Bで買収しました(その時は、KnollはBASFの一部になっていた)。2002年12月31日にFDAから承認を受けて、Humiraは市場に登場しました。ファージディスプレイからの初めての抗体医薬品であるHumiraは初年度で一気に伸びました。買収したAbbottは分割して、AbbVieが今のHumiraのオーナーになっています。
大成功であるファージディスプレイ技術とHumiraという薬剤の裏で、WinterとCATの関係は終わりと迎えていました。90年代前半から、大株主であるがPeptech社は投資できる金額に限りがある中、かつ、資金調達環境があまりよくない中で、大手製薬会社との連携を進めたいPeptech社と自社製品の開発のために資金調達を進めたい側の経営戦略の対立が顕在化してきました。1996年にロンドン市場に上場を果たしますが、研究の進捗と研究者たち働きぶりは順調であることもあってWinter自身が会社自体に価値提供できることも限られているとも感じ、CATの取締役から降りてアカデミアの研究に戻る決断をWinterはしました。
2社目のDomantis
CAT上場から数年後の2000年に設立され、2006年にGSKに£230Mで買収された
Domantisは、大きさは1/10になりますが、タンパク質に結合する能力は通常のヒト化抗体と同じである"ドメイン抗体"を開発しているバイオテックです。これもWinterらが、ファージディスプレイの研究中に、抗体のシングルドメインが非常に強力になりうることに気づいたことによります。CAT設立前に見つけており、元々はCATで研究するつもりでありましたが、シングルドメイン抗体は粘着性の凝集体を形成する難しさ、そして、CATの研究・事業の優先度からもできていませんでした。CATがシングルドメインをしない決断をしたので、MRCがファージディスプレイ技術を使ってのシングルドメインの開発のライセンスを活用できることとなりました。
Domantisの成り立ちの大きなきっかけは、Ian Tomlinsonとでの共同創業です。MRCのIan Tomlinsonがシングルドメイン抗体の可能性を真剣に検討続けた結果、優れた生物物理学的特性を持つヒトのシングルドメインを単離することに成功しました。Ianはこのドメインを事業化したいと考え、Winterらと共にDiversys(後の Domantis)という会社を立ち上げました。(ちなみに、起業時、Ian Tomlinsonは博士取得後 5年程度の若手研究者でした。)
資金調達面では、再びオーストラリア人が率いるPeptechが関与しています。2001年の最初の資金調達ではMVMというMRCが自研究所の知的財産を事業化するための投資ファンドと共に、Peptechは34%の株式シェアと共に$17M (MVMが3M$)も提供しています。また、同時に共同研究契約もPeptech <> Domantis間で締結しており、3年にわたって$10M支払うことが決まっていました。CAT時よりもバイオテック立ち上げ方が圧倒的に容易になっているのが伺えます。
立ち上げ時の勢いだけでなく、CATに関わっていた英国の大手VCである3iが再び経営陣と協力して会社の成長にも貢献したのも大きいです。CATにも投資していた3iは、Domantisの次世代の抗体医薬品を開発するという先駆的なアプローチに魅力を感じて、Winterの新しい挑戦に着目していました。そして、3iをリード投資家として、2004年に当時としては欧州での大型シリーズBファイナンスとして£17.5Mの資金調達を行いました。この時に、peptechも£6.2Mを追加投資しています。
そして、DomantisはGSKに2007年に£230Mで買収されました。同時期に同様のAvimerを作っていたAvidiaがAmgenに総額$380Mに買収されており、nanobodyのAblynxは後に$4.8Bで買収されていることからも、このディールはGSKにとっては新しく注目度の高い治療薬開発のためのノウハウとチームを獲得するための一手でした。Peptechは、この買収時にPeptechはDomantisの31%のシェアを持っていたために、約$140Mを得ました。
終わりに
Bicycle TherapeuticsのGreg Winterの話から示唆されるのは、当たり前ですが、人の繋がりから始まり、その育まれた縁が広がっていくのを感じます。技術を大企業に持って行ってもXXが足りないと言われることはWinterでも同じでありました(起業ではないですが、確か本庶先生も同様ですね)。Bicycle Therapeuticsは英国発ですが初期から名だたる米国VCからの出資を受けていますが、その前のCATやDomantisは英国でもなくオーストラリアの大きくはない事業会社からの出資から始まっています。1社目では、株式を取りすぎての調整もしているくらいです。ただ、1社目の成功で、2社目にさらに資金が落ちてくるようになりました。Winter自身も、2社目からは米国ボストンでの事務所の開設も行ってきました。日本のエコシステムでもペプチドリームの菅先生やモダリスの濡木先生がそれぞれ2社目の起業にも取り組んでおり、日本のバイオテックの裾野等が広がっていくのを期待しています。
参考文献
https://www.labiotech.eu/interview/greg-winter-interview-history/