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給食のおばちゃんの苦行

 保育室で給食を作っている。

  職業柄、「一日に何度も料理するのって大変じゃない?」とよく聞かれるが、たしかに、一日ずっと料理している。朝食と夫のお弁当を作ってから出勤して、給食とおやつ作り。仕事から帰れば、夕食の準備を始める。ただ、何度も料理して大変という感覚はない。それは、同じ食事を作るという作業でも、家庭と仕事とではまるで違うからだと思う。

 まず、作る量が違う。小さな保育室とはいえ、3人分の我が家がままごとに思える量の食材を、子供に合わせて小さめに刻む。時間もかかる。そして給食作りは何よりも安全さが第一だから、体調を整え、清潔な身なりで、よく洗い、よく火を通す。ちゃちゃっと手を洗って始め、ほぼ私の嗅覚だけに安全を委ねている我が家とは、緊張感が全然違うのだ。

 そう、なんといっても保育室でも調理は、責任も大きい。でも、あれもこれもと大変なことを並べることもできるが、これがどうして、楽しいのだ。

 給食作り。それはメニューという地図に従って、食材をひたすら切ったり煮たり焼いたり和えたり、喫食というゴール目指して、効率的かつ安全にコースを走行するレース。しかも、走るコースは毎日違う。肉か魚か、丼物か麵類か、臨機応変に対応する能力も必要だ。体力、知力、経験を駆使して調理室でトントンコトコトと繰り広げられる戦い、それが給食作りーーとまぁそんな感じで、楽しいわけだ。

 それに比べて、私は家庭での食事作りを楽しいと思ったことはない。そこが仕事とは一番大きく違うところかもしれない。どちらかといえば、苦行。これまた職業柄、料理が好きだと思われがちだが、決してそうではないのである。

 給食は、メニューが1か月分決まっている。業者さんが次の日の食材を運んでくれる。私はただ作って後片づけをするだけ。翻って、家での食事作りはどうだ。献立を考え、買い物へ行き、予算内に収め、ソファに倒れこんでしまいたいヘトヘトの身体に喝を入れて作る。さらに片付け。オール自前。アンド、フォーエバーだ。

 でも、分かっている。料理すること自体が嫌いなわけじゃない。きっと、料理するまでのあれこれや、干したままの洗濯物が視界に入ってきたりとか、そういうことを負担に感じてしまうのだ。

 だから、給食のように1か月分の献立をあらかじめ決めたり、まとめ買いをしたり、クックパッドで調べて作り置きに挑戦したりもした。でも、はじめは新鮮に感じても、家での料理が楽しくなることはなかった。かといって、スーパーのお惣菜は好きじゃないし、経済的でもない。自分で作る味が一番美味しいと思ってしまう。困ったものなのだ。

 調理の仕事の経験があるわけでもなく、ただ、料理ならできるというだけで始めた給食のおばちゃんだ。でも仕事にしてみたら、なんだ、料理って楽しいじゃんと思った。てっきり、私は料理が好きじゃないと思い込んでいたから、そう思えてすごく嬉しかったのだ。長年のわだかまりが溶け、和解したような気分。あんた、そんなに悪い奴じゃなかったんだね。でも、家では手を抜くよ。おかずが一品減っても、目をつぶってもらおう。大丈夫、家族が好きなふりかけは用意してある。長い道のりだ。上手くやっていこうじゃないの。

 そして忘れずにいたい。苦行だったとしてもその先にはいつだって、家族と一緒に美味しいと言いながら食べる時間が待っている。

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