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なぜ書くことを始めたのか 〜自己紹介〜


きっかけは、なんだかよくわからないけど気になって申し込んでしまったライティング・ゼミ教室の教室でした。

なぜ書きたいと思ったのか、申し込んだ時はわからなかったのですが、ゼミが終わったその時、理由がわかったのです。

自己紹介をかねて、その時のこと、書かせていただきます。


私はもともと外科医だったのですが、
小児外科医として10年経った時、頚椎症という首の病気を発症して体が思うように使えなくなりました。特に手の動きや感覚が悪くなったことは、外科医として致命傷です。
手術も2度受けたけれど残念ながら良くはならず、外科の第一線からは退くことにしました。体の負担を考えて、そして現場で若い医師や看護師に教えることが好きだったので、母校の大学へ戻り、医学生や研修医を教育する分野に転向したのです。


でも、体は弱ってしまったのにスピリットは外科医のまま。またしてもがむしゃらに働いてしまい、回復しつつあった体調が下り坂を転がり始めたのを感じました。

ここでまた体を壊しては、何のために外科医を辞めたのかわかりません。
長年育ててくれた先輩、慕ってくれていた後輩、頼ってくれていた患者さん。たくさんのものを与えてもらいながらまだ全然返せていない私だったのに、みんな私の体を案じて、新しいスタートを応援してくれたのに。
転向して4年。状況に応じたペース配分ができなかった自分が本当に情けなかったけれど、大学を辞め、非常勤の仕事に移りました。

ちょうどその直後、先輩の紹介で夫と出会い、結婚し、夫の転勤で新しい土地へ移ってきました。
そこで職場を探そうとしていた矢先、妊娠がわかり、勤めに出るのはしばらく辞めることにしました。残念ながらほどなく流産してしまったのですが、年齢を考えると妊活できる期間はあとわずかです。しばらく仕事は少しおいておくことにしました。

今はすっかり専業主婦です。

書くことは必要ないのに、ライティング・ゼミなぞになぜ申し込んでしまったのか…

ですが、終わった時にふと思い出した医者になってすぐの出来事がその理由を教えてくれました。


20年前、医師になって初めての夏休み。

私はアメリカで働く大先輩が定年退職されるということで、先輩宅を訪れました。

現地滞在1日半という強行で、病院を見学した後、先輩宅で夕食をご馳走になりました。

食後にリビングに移動して、ソファーに掛けていた時のことです。
ソファーの横には丸いサイドテーブルがあって、そこには若かりし大先輩が収められた写真立てがランプの光に暖かく照らされていました。

その写真が大先輩はとてもお気に入りのようで、手に取って私に渡してくれました。たしかに日本人離れした目鼻立ちはまるで外国の俳優のようで、とてもかっこよかった。

写真に見入る私に、大先輩はそれを撮影した頃のひとつのエピソードを静かに話し始めてくれたのです。


それはある生まれつきの病気に対する手術法を生み出して、それを論文として発表した数年後のことでした。
学会である外国(たしか北欧のどこかだったように思います)に赴いた時、現地の小児外科医が近づいてきて握手を求めてこられ、こう言いました。
「あなたの発表した論文のおかげで、この国の何百人ものこどもが救われました」
まだ治療法が確立されていなかったその病気のこどもが、先輩が開発した手術法で命を救われたとのことでした。

先輩は私の持っていた写真たてを自分の手の中へ戻して、私に言いました。
「論文を書きなさい。手術で目の前の患者さんを救うことはできる。でも書くことで、離れているところでも、実際に自分が出会わなくても、人を救うことができるんだよ」

20年近くたって、あのリビングの暖かいランプの光の中で感じた、写真たての角ばった重さをはっきりと思い出したのでした。

「書くことで人を救うことができる」

アメリカでの大先輩との時間はとても短かったけれど、小児外科医としての私の基礎を作ってくれました。しかし外科医を辞めてしまった私には、もう単なる思い出となっていました。
しかし私の中のもっと奥深くにあるものと、ずっと繋がっていたのです。

外科医にも、教育の仕事にも、もう何も悔いはないと思っていました。
でも違ったんですね。
肩書きが変わっても、失っても、やっぱり誰かの力になりたくて、その一縷の望みを「書くこと」に託していたことに気が付きました。
私を動かしたのは、人を救いたい、という願いへの執着だったのです。


ライティング・ゼミは、思いもよらず私に自分の原点を教えてくれた。
今の私は20代の頃に思い描いていた私とは違うけれど、やっぱり同じ原点から始まる私だとわかって、ほっとしました。

病気をして、自分のライフスタイルを見直さざるを得なくなりました。

食べ物を変えて、身に付けるもの、使うもの…いろいろ変えてきました。

一時は行きすぎて、自分でもしんどくなってしまったけど、今は無理なくできること、気持ちよくできることを数少なく続けることに自然となりました。

仕事も変わっていく中で、たくさんの方に助けていただきました。

そんな私でも何か誰かの力になればと思い、書くことを始めていきたいと思います。



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