(仮)トレンディ電子文 第49回:手に残るものは本当の愛ばかり
大宮のブックオフで、どうも音楽批評家の誰かが亡くなったとしか思えない量の「ミュージック・マガジン」が一面いっぱいに、それもすべて100円で売られており、トレンディ期のものもそこそこあったので数回に分けて買った。音楽雑誌は2月が年間ベスト掲載号なのだが、今もある「JPOP」部門(トレンディ期の表記は「歌謡曲・ポップス」である)の年間ベストでこの時期、中山美穂(以下ミポリン)がアルバム「Mellow」などで数回1~2位を獲得していることに非常に驚いたのだった。当時の同誌の好みからいえば森高千里や高岡早紀が上位にいるのは予想がついたが、ミポリンがこの媒体で評価されているというのはまったく情報として持っていなかったのだ。ただしその前後の時期は選から外れているっぽいので、「玄人筋に持て囃された"時期"がミポリンにも存在する」ということではあるのだが。
…という発見をしたのが訃報を聞く2日前のことだった。あまりに突然の訃報で、正直涙も出ないというか、ただただ呆気にとられるしかなく…一夜明けようやくいま色々冷静に振り返るうちに、そういえばミポリンは活動休止(2002年)の頃まで、常に「1位の顔」をしていたなあという事をとにかく思い出したのだ。それは単純に美醜の話(もちろん常にたいへんに美しい)というのとは少し違う。こまかく風向きが変化していったトレンディ期~以降の時代時代に即して、そこで1位、というよりは"ど真ん中"のほうが正確か、と呼ぶに相応しい風貌と存在感を、その都度存在の意味を少しずつ変えることでこそ維持し続けていたということだ。「ビーバップ・ハイスクール」のヤンキー文脈、「ロッテのチョコCM」「ママはアイドル」の正統派アイドル、「すてきな片想い」のトレンディ女優、「遠い街のどこかで…」「世界中の誰よりきっと」のJ-POPシンガー、「Love Letter」「眠れる森」の演技派女優。ローソンCM「○○かもしんまい」の好感度タレントという枠も入れていいかもしんまい。そしてここに前段の通り「歌謡曲の中で音楽として正当な評価をされる存在」という時期もインサートされるわけだ。これだけ色々な側面から、それもかなりの長きにわたって様々な「ど真ん中」であり続けた存在はこの時代には恐らくミポリンしかおらず、常に「オルタナティヴ」の風通しを保ち続けたKYON²や途中存在感が時代とミスマッチしていった明菜、そして急に色黒になった(サーファーだったから)同世代の静香などよりも明らかに気力・体力の要る歩みであったことは想像に難くない。辻仁成との結婚後に活動が大きく縮小したことともこれは相関しているだろうし、何より離婚を経た上での「歌手活動」の再開に対して世の中が割合冷淡だったこととも関係していると思う。
20年の歌手活動再開後のミポリンは、何かしらの「ど真ん中」であること、あるいはそうであったと思い出させることとは明らかに違うモードだった、寧ろ距離を置いていたと言っていい。そこで前面にせり出していたのは「歌いたい」という希求であり、カラオケ番組などピッチの正確さをブラウン管上でも求められてしまう今ではミポリンの歌唱力は「オルタナティヴ」と映り、故に90年代の残像を見たい層とのミスマッチとなったのだろう。しかし自分はこの歌唱を見て聴いてようやく・遅ればせながら…ミポリンが「心で歌える」シンガーであったという事に気付いたのだった。一見曲がりくねった道のりに見える京平~Cindy~マライア~高田漣という歌唱曲の変遷も、その一点では貫かれていたのではないか。特大ヒット「ただ泣きたくなるの」は紅白で急遽口パクにしたことで知られる通り大変な難曲だが、しかしライブ盤や動画サイトで残っている貴重なTV生歌唱を聴くと、歌唱の不安定さそれ故に、ぬくもりをあげたい、昼も夜もずっと会いたいという思いが強く実体となって空気中にあるような気持ちになるのだ。その後「HERO」が何故歌われたのかの理由も恐らくここにあり、珍カヴァーとして笑って終わるのではなく、その歌唱のコアにある根本的な歌への愛、そして無理がある故にせり出してくるあきらめないで、見落とさないでの、唯一無二の真摯さにまずは打たれるべきでないのか。今のミポリン、そしてミポリンの未来はただただ歌う、歌うことで更新されていくはずだったのであり、自分も40周年のコンサートこそ参加するのだとその日を心待ちにしていたのだった。
「Rosa」他名曲の作者で元カレの井上ヨシマサは、ミポリンが歌うことが想定されていた(おそらく)新曲のトラックを今日公開した。もう果たされない架空の歌唱と架空のパフォーマンスが、あのふり絞るような震えとただ前を向いていたはずの視線と目力が、瞼の裏に強く美しく現れ、ようやく涙が止まらなくなった。