(仮)トレンディ電子文 第7回:トレンディ・ドラマ再見(5)
「ハートに火をつけて!」は「恋のパラダイス」と並んで、気合の割に視聴率が振るわなかった作品として知られている(それぞれ平均が14~15%)。浅野ゆう子/柳葉敏郎を中心にかとうかず子・布施博・田中美佐子・鈴木保奈美・三浦洋一を「男女7人」に見立てたような配役はさして目新しいものでもなく、また主役二人と三浦以外は当時まだ主演作品のあまり無い俳優陣で、地味に映ったのかもしれない。「月刊カドカワ」89年のとある号に浅野ゆう子の日記が載っており、青山のコムデギャルソン前で撮影をしようとしたところ『お店の人から「撮ってもらっては、こまる!!」とスタッフがガンガンせめられて』しまったという愉快なエピソードが書かれている。同ドラマの衣装協力は当時の浅野のドラマ全般で名前の挙がるSHIPS(当時はまだ神戸のブランドというイメージが強く、同郷の浅野はそこにシンパシーがあったそう)や同時期の中森明菜ムック「CRUISE」のマリコ・コウガなどで、ギャルソン側としては「トレンディ」な同時代モードなど歯牙にもかけないという感じだったのだろうか。
「おれたち、ダチだからよ」...このトレンディのどこにも置き場所が無いようなフレーズを連発するのはなんと、「ヒロイン」の役割であるはずの春(浅野)なのである。春と祐二(柳葉)の関係はTV局のプロデューサーと番組制作会社のディレクターという「長年の仕事仲間」で、仕事でタメ張り合う二人を演出するためには(89年当時だと)「同性の関係」をなぞるというのが一番手っ取り早い方法だったわけだ。しかし「○○だどぉ」「○○だぁね」「○○しちまう」という、柳葉に合わせてか多少北の方言交じりの「ステディな会話」は、今聞くと研ナオコと志村けんの会話にしか聞こえず(ふたりの会話中に「わたしはねえ、あんたのことが憎くて言ってんじゃないの」という芸者コントでおなじみのセリフが登場するが、これは確信犯だろうか)、相性の良さを醸し出すことで寧ろふたりは男女関係の甘美さへの没入を回避する。しかしその「ダチ」の間柄はある出来事を境に揺らぐ。
制作しているTV番組へ、祐二に思いを寄せるタレントの恵(鈴木保奈美)を起用するかどうかでふたりは対立し、春の部屋で口論となる。と言ってもその筋道はあくまで「仕事上の道義」についてのもので、恋愛感情は俎上に載せられない。「おれはプロデューサーだど」「あたしはディレクターだぁね」とお互いの立場を維持しつつも口論はこじれにこじれ、とうとう祐二は「お前旗日か」(死語。知らない人はググって下さい)とデリカシーの無い言葉を浴びせ、春に「死んじまえ」と返される。にわかに決定的な不和に陥ったかと思った刹那、祐二は春に口づけをし、春は驚きつつも目を閉じて受け入れる。しかしそこまでで急展開のターンは終わる。「おれはプロデューサーだど」「あたしはディレクターだぁね」そう再び言った後で二人は極めて社会人的な仕草で、口を荒々しく拭う。バックに流れるのはジュリア・フォーダム「ハッピー・エヴァー・アフター」(と、ここで気付いたのだが「ハートに火をつけて!」はFODで公開されているものはオリジナル版と音楽が大きく差し替えられている。顕著なのは亜矢(かとうかず子)と祐二が関係を持ってしまうシークエンスで、ここでは本来ラジオからドアーズが流れるのに全く異なるオリジナルの陽気な曲に差し替えられ、シリアスな場面のはずが何とも薄っぺらいイメージに変わってしまっている。その他エスノ系の洋楽もかなり効果的に使われていたはずで、それらが復刻されない限り「真のトレンディ・モード」は絶対味わえない。「ハート~」は母がリアルタイムで録画していたためたまたま違いに気付いたが、他のトレンディ・ドラマも恐らく同様の差し替えがなされているに違いなく、これはアーカイヴとして重大な失点である)...この描写で伝わっているかどうか不安だが、一連のこの流れは、ある種の「素朴な感動」を自分にはもたらしたのだった。その感動の理由はもちろんふたりの「同質性」と、それを保持しつつ乗り越える契機としての恋愛感情の眩しさ故である。前述の「世界で一番~」にあった趣の、より直截的なシークエンスとも言えると思うがここでは二人(春と祐二)の関係が「友情」としての強制性すら感じられる歪さで現れている故、その相貌は恋愛状態の禁じられた関係として、まるでBLのように今の自分には見えるのだった。またしても「男女関係の勝利」からの離脱!そしてこのドラマの結末は「恋愛の成就」ではない。これは男女で「抱きしめたい!」の結末を繰り返しているとも言え、その繰り返しから見えてくるものは(ゴールを持たない「状態そのもの」への偏重が反復されることによる)「その先」が無いことの有限性である。
(つづく)