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(仮)トレンディ電子文 第10回:映画「愛と平成の色男」

 1989年、森田芳光監督作品。野力奏一のサックス・フュージョンに合わせてスコッチ・グラスやプッシュホンのアップが映され、そこから真っ青な湘南の風景、赤いオープン・カーでカーテレフォンをかける女性、そしてせり出した白いバルコニーに寝そべる石田純一へと場面が切り替わっていく。石田による「恋愛」の可能性だけを受け止めるべく録音された留守電のメッセージがバックで流れ、一連の流れが何らかの「駆け引き」なのだとわかる...始まって1分足らずのシークエンスでこれである。ハッキリ言って異常な映画だ。トレンディを画面の隅や演者のあれこれに探す必要が無い、というか、あたかも「トレンディ」を主体として撮っているかのよう。しかしこの時期の森田監督作は「そろばんずく」「キッチン」「おいしい結婚」と総じてこの美的モードなのである。考えてみると84年、トレンディ前夜の「ときめきに死す」で沢田研二が潜伏する、ナッツの壜だけ置かれたがらんどうのフローリングから、何かこう「スタイリッシュの予感」のようなものはあった。

 トレンディの1日は忙しい。時系列で少し追ってみよう。石田純一は歯科医である。「しばらく不眠症の夜が続いている」などと片岡義男・村上春樹・山川健一の全員が一度は書いていそうなモノローグで1日が始まる。どうやら意中の相手を作れると眠れるしくみらしい。診療室(後ろに倒す椅子のカラーは当然ブラック。吹き抜けで屋根も高く、調度品もモノトーンを基調としたあまりにシックな佇まい)を定時に畳むと、彼はサックス・プレイヤーに変身する。満員の銀座のジャズ・クラブで仲間たち(顔は見えない)とムーディなセッション。彼らを見送った後はいきつけのバーでギムレットを3杯だけひっかける。そのまま街へ出ると、以前ディスコで声をかけた女性(財前直見)と仲間の歯科医を含む一群が連れ立ってタクシーに乗るのを見かける。「今日の僕は探偵だ」と、自分もタクシーに乗り「あの車を追って」と東京の街をしばし疾走。先方が東京タワーの見えるゴルフの打ちっ放しに到着すると石田はカクテルよろしく「向こうの方からです」式にボールを差し入れ。彼らと合流した刹那、その中の一人の女性(武田久美子)に一目ぼれのように撃ち抜かれる。「ナイス・ショット!」...しかしタクシーチケットの関係で共に帰ることになったのは財前。「送っていこう、まだ眠れそうにないんだ」ふたりはビール1杯の約束で彼女の自宅マンション(ベイエリア)に到着するが、彼女の部屋はトレンディ過剰で薄暗い。猛ダッシュで初期コンビニに行き缶ビール(缶のシルエットが当時はまだストレート)と電球を買って戻る。ダッシュしたのは変な気持ちにならないため。「泊まってかないの?」「今日泊まったら、泊まらない日が淋しくなるよ」これからを期待させつつふたりは別れる。

 歯科医、ジャズメン、探偵、ゴルフ、更に恋愛がふたつ...とリアリティのかけらもない超人的一日をツラツラと書いてしまったが、しかしこれを観ていてイヤにならなかったのは(なる人もいるだろうが)自分がトレンディ期当時の空気を知らないため、以上に、この作品が「バブル的」な拝金主義と恋愛至上のモードを、「そこを生きた人の生々しさ」を通じては「是」としていないという点にある(大体サムネの、妹役・鈴木保奈美の部屋からして果たして生活できるのか疑わしい。そのダクトは何だ。照明は、空調はどこ?)。上滑りしないようにセンチメンタルやロマンを担保にする(例えばホイチョイ作品のように)ことなく、むしろ「上滑りし続ける」ことが目論まれているようだ。石田は劇中を生きることない客体的存在、ただの容器なのであり、森田監督はこの作品を「切実な"人間の心"の通う今」として撮ってはいない。かと言って時代を風刺するようなシニカルな視座も与えはくれない。勿論それは監督が「B級映画」を志したゆえの心なさなのかもしれないが、しかし今から振り返ると、未来人がトレンディ期のトレンディ感触を正確に記録するためにタイムトリップして作った「時代のドキュメンタリー」のように見えて仕方ないのだった。その時代の予後が明るくないことをわかった未来人が、その「滅んだ軽薄さ」だけを記録しにやって来たような…

 劇の後半、石田は「地方のジャズクラブに呼ばれた」ということで東北へ一人旅をする。そこで映された89年の田舎は「記録されないものを記録した」ような驚きがあった。1両は国鉄色、もう1両は"JR"のロゴが塗りたての2両編成が海沿いを走り、賑わう陸前高田の街も登場する。そして石田が泊まるオーシャン・ビューな南三陸のホテルは、のちの震災時に避難所となった場所なのである。陸前高田の土地が防災のかさ上げをされる前の、「89年の堆積」が確かにそこには映されているのだ。

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