スシを食べる、ニンジャがいない現実で
深々と雪降る街中を前に私はまっすぐ家に帰る気がしなかった。私は寄り道をしスシを食べることにした。
最初に頼んだのはタマゴスシだ。子供っぽい、そういうわれるスシだが、私は小さいころからタマゴスシが好きで、大きくなった後も食べ続けている。値段も手ごろで財布に優しい。
ふとタマゴスシを手に取って気づいたのだが、このスシはまるでクロオビのようにノリが巻かれている。まるでニンジャのように……
ニンジャ現実にいない。そう理性のささやきを聞き、行儀がよくないと思いながらもスマホに手を伸ばし、タマゴスシにノリが巻いてある理由を調べた。
シャリとタマゴをくっつけるため。そのためのノリ。私は納得しようとしたが、ならなぜサカナとシャリを組み合わせるのが基本のスシで本来くっつかないタマゴを使ったのか?その疑問が離れなくなってしまった。
もしもニンジャが無理をいって作らせたのならスッキリする。タマゴはニュービーを表す言葉であり、それにクロオビのようなノリを巻く。つまりこれはニュービーニンジャが早くクロオビを巻けるようなタツジンになることを願いを込めて作られた縁起物である。
なに根拠のないことを考えているのだ?私は我に返り次のスシを頼んだ。
メネギスシだ。将大の寿司で知って以来、メネギの歯ごたえが好きでよく食べるようになった。
よく見るとこれにもクロオビのようなノリが巻かれている。タマゴ以上にシャリとの相性が悪そうなメネギがスシのネタとして使われる。やはりニンジャが作らせたのでは?メネギのようにか細いニュービーニンジャが早くタツジンの証しのクロオビを巻けるように願いを込められて……
ハッと我に返った。ニンジャは現実にはいないのだ。こんなことを考えるのは腹がまだ満たされてないせいだ。私は次のネタを頼む。
ネギトロのグンカンスシだ。フワッとした食感と脂ののったネギトロ、咬めば噛むほど口の中に広がる味わいは何度でも食べたくなる。
これもよく見るとノリが巻かれている。だがクロオビのような巻き方ではない。そもそもグンカンスシはどうやって生まれたのだろう?
昭和の時代にスシネタに適さないものをスシにするために作られたようだ。見た目が軍艦に似ているからグンカンスシのようだが、本当に軍艦がモチーフなのだろうか?やはりノリはクロオビのメタファーで、グンカンとは軍艦=強い=ニンジャという連想ではないだろうか?軍艦(ニンジャ)の上にネギトロという悲惨な死体を想像するものをのせている。つまり昭和の時代になりニンジャの影が薄くなった時、遠回しにニンジャの暴虐を後世に伝えようとしたものがグンカンスシでは?
またニンジャについて考えてしまった。相当疲れているようだ。ちょっと高いものを食べて気分を変えよう。
イクラスシ、口に入れるとイクラたちがプチっとつぶれて中の汁が飛び出しシャリと混ざり合いいつまでも噛んでいられる。
私は口にイクラスシ入れて気づいたのだが、イクラとはサケのタマゴであり、一つ一つが命だ。これはニンジャがまるで食事をするように簡単にたくさんモータルを命を奪ったことを表現したスシではないか?形もネギトロスシと同じグンカンだ。
なんだか気分が悪くなってきた。スシを食べているのかニンジャについて考えているのかわかなくなってきた。私は最後のスシを頼むことにした。
シメはカッパスシだ。きゅうりのシャキシャキ感は魚では出せない食感だ。最後の締めに軽く食べるなら丁度いい。
にしてもキュウリスシではなくなんでカッパスシなのだろう?これもノリが巻かれている。まさかカッパニンジャクランがあり、その象徴としてこのスシを作らせたのでは?カッパの象徴のきゅうり、ニンジャの象徴であるクロオビ、そしてニンジャの好物スシ。3つが揃っている!スシは全部ニンジャ由来の食べ物なのか!
さっきから私は現実に存在しないニンジャのことばかり考えて気が狂いそうだ!これも全部雪でストレスがたまっているせいだ!
私はさっさと会計を済ませて家に帰り寝ることにきめた。だがバスが時刻になっても来ない。雪のせいでダイヤが相当乱れているか。待っているのも嫌になり家に向かって歩くことにした。健康にいいしタダだ。歩く方がいいにきまっている。
歩いているとふと電柱が目に留まった。電柱はよく見ると黒と黄色が交互に並んだ帯が巻かれている。これもニンジャ?とまた考えたがバカバカしい。2022年の2月2日だからといってニンジャの意識しすぎだ。
だがその電柱はよく見ると吹雪いているのに妙に雪が少ない。少し湯気も出ているような気がする。
私は電柱を見上げた。星が見えないほど空は雲に覆われているのに、星より強い光を放つ二つの輝きが私を見下ろしていた。
さぽーとすると映画館にいくかいすうが増えます