トルコでバクラヴァを破格で手に入れたけど悲しくて大号泣した話
「この自分は、自分自身の理想の姿か、否か」
私は、自分がどう行動するべきか迷ったとき、自身にこう問いかけてみるようにしている。
そう生きていくことで、少しずつ自分のなりたい姿に近づくと信じているからだ。
そして、この考えはトルコで経験したある出来事をきっかけにより一層強くなった。
今回は、「どうするべきだったのか」今だに考えてしまう、ほろ苦いトルコでの経験を共有していきたいと思う。
トルコの街、「エディルネ」へ旅行へ
私は、トルコの有名スイーツ「バクラヴァ」が大好きだ。
バクラヴァとは、パイ生地のようなサクサクの生地にナッツとシロップを何層にも重ねて作った大変甘いスイーツである。
日本帰国も間近に迫った頃、バクラヴァが大好きな私をブルガリアに住むトルコ系の友人が、最後の思い出としてトルコの街「エディルネ(edirne)」へ連れて行ってくれた。
今回お伝えしたい出来事は、エディルネ(トルコ)からブルガリアへ帰る際に起きた。
国境近く、バクラヴァの売店にて
今回は、友人が車でトルコへ連れて行ってくれたため、陸路で国境を越える旅だった。
エディルネを満喫し、ブルガリアへ戻ろうと国境近くへ行くと、トルコ出国直前の道路沿いに大きな「免税店」が集まる建物を見つけた。
トルコの物価は、ブルガリアの物価に比べかなり安いため、最後に買い物をしようということになり、早速買い物を始めた私たち。
私はというと、「トルコの最後の思い出にどうしてもバクラヴァを1つ食べたい」と食い意地を発揮していた。
辺りを見回すと、隅っこの方に小さな売店が見える。
近づくと、予想通りバクラヴァが売っており心の中でガッツポーズ。
もともと安いトルコのバクラヴァ、このお店はどうやら重量で金額が決まるようだった。
レジには、私の前に既に2、3組が並んでおり、1人の男性店主にレジで注文し、そのままお会計をする流れであった。
ブルガリアとトルコの国境近くだが、どうやらブルガリア語もトルコ語も使わず英語で会話している。
そんなことを考えながら、自分の番が来るのを、10分くらい待っただろうか。
私の番が来ていざ注文しようとするとさっきまで注文を取っていた店員さんが、フラっとレジから離れ、店の在庫整理のようなものを始めてしまった。
あれれ、とは思ったものの、
「私に気づいていなかったのかな」
「私も他のお客さんのように、バクラヴァを買おうとしているとは思わなかったのかもしれないな」と考えた。
「すみません」
そう声をかけるも、作業をしている店員さんには全く聞こえていないようだ。
既に買い物を終えた友人らが「まだバクラヴァ買ってないの」とでも言いたげな顔で私の元へ来た。
友人を待たせるのも申し訳ないので、早く済ませようと店員さんに改めてさっきよりも大きな声で「すみません」と声をかけてみた。
すると、店員さんが渋々といった表情でレジへ来てくれた。
作業中に声をかけられるのは誰でも気持ち良くはないだろうから、やや申し訳なく思いつつバクラヴァを注文し、爪楊枝に刺さったそれを手に入れた。
この時点で、友人達はすぐにお会計も終わるだろうと考えたのか「先に戻ってるよ」と車へ戻って行ったので、バクラヴァをパクッと口にいれ、私もお金を支払おうとする。
しかし、またまた店員さんはプイッと作業へ戻ってしまったのだ。
「またか」
と思っていると、私以外に他のお客さんが来た。
ブロンドヘアが綺麗な女性と短髪の恰幅のいい男性だ。夫婦だろうか。
その時、私はレジの前に突っ立っていたので、彼らは私に並ぶ形で私の左に来た。
すると、さっきまで作業をしていた店主がすぐにこちらへ来て、私を完全に無視して、彼らの注文を取り、手際よくお会計まで終わらせたのだ。
この時点で不穏に思ったが、少なくとも店主は先ほどと違い、作業をしていない。
「ようやくお会計だ」とホッとした。
その後も完全に無視されて抜かされ続ける
しかし、そうもいかなかった。
店主は、私の存在を完全に無いかのように扱い、次から来るお客さんだけに対応していくのだ。
何度も、「いくらですか?」と尋ねる私にチラッと目をやるが、すぐに他のお客さんへと対応していく。
この時に、「あ、多分この店主さんはわざとやっているな」と悟ってしまった。
たとえ、1個しか注文しかしていない「細客」だとしても、私を無視していることは明らかだった。
周りのお客さんも、きっと私が無視されていること自体には気がついていたと思う。
というか、気が付かないわけにはいかなかっただろう。
けれども、その場にいた全ての人が私の事など気にも留めていないようだった。
そんな状態で、かれこれ30分くらい待っていた。
バクラヴァを渡されていなかったら、さっさと諦めていたと思うのだが、既に商品自体は渡されていたし食べてしまっていたのでお会計をせずに去るわけにはいかなかった。
しかしながら、あまりにも長い時間待たせすぎていた友人から電話が来て、"なぜこんなに時間がかかっているのか"と言われてしまったた。
事情を説明すると、友人は「お母さんがご飯を作って家で待ってくれているから、早く帰ろう。大体予想できるお金をそこらへんに置いて、車に戻ってきな」という。
自分の行動を振り返る
その時私がどうしたかというと、「足りるか確定していない、持っていた小銭全部」を置いて、車へ戻ったのだ。
友人からの電話を切り、財布をみると、200リラ札(1200円くらい)と小銭が数枚あった。
バクラヴァの値段はお会計をしてもらえなかったので全く分からなかったが200リラは、バクラヴァ1つにはあまりに多い金額であることは確かだった。
かといって、バクラヴァの値段が分からないから、小銭で足りてるのか全くわからなかった。
しかし、私は店主から無視され続け、周囲の人からも無視され続けるその状況から逃げることを選択してしまったのだ。
その時の私は、「ここにお金を置いていきます」と叫び、カウンターに小銭を置いて車へ戻ったのだ。
案の定、車へ戻ってからもずっと心がモヤモヤしていた。
「あの金額じゃあまりに足りなすぎるだろうか。どうしよう。私、食い逃げみたいなことしてしまった。」
「あの店主は、本当に私の声が聞こえていなかったのか、無視してたのか。私がアジア人だからだろうか。若い女だから?」
あれこれ考えたが、何より1番心を暗くしていたのは「私として」あるまじき行動をした自分が悔しかったからだと思っている。
たとえ、あの店主が私に対して差別的な意思を持っていて、わざと無視していたとしても。
たとえ、1時間近く無視され続けても。
納得のいくまで待って、正々堂々と払うことが私らしい行動だった。
しかし、その時私はそれをしなかった。
そんなことを考えていると自然に涙がポロポロと溢れてきた。
あの時、200リラを置いてきていたら、こんなにモヤモヤしなかったのだろうか。
いや、きっと同じ感情になっていただろう。
200リラなど、せいぜい1200円程度だ。
金額云々では無い。
当然、差別的な態度を取られたことも悲しかった。
けれども、それに対しては10か月の留学生活でそれなりの自分の考えや落とし所のようなものが確立されていた。
きっと、1番は自分を裏切ってしまったような気がして悔しく、そんな選択をした自分自身が悔しすぎたのだ。
家へ着くと、一連の事情を聞いた友人の母(アンネ)が、「大丈夫」と抱きしめてくれた。
「神様はみてる。間違ったことはしていないよ」と。
そんなアンネの愛で、ぐちゃぐちゃだった心が癒されたことに今でも大変感謝している。
何が正解だったのか
「あの店主だって私のことを傷つけたんだから」という気持ちも正直ある。
しかし、相手がどんなに意地悪でも、どんなに理不尽だとしても、それをがっしりとした器で受け止め、自分の中で消化できる人間でいたい。
今でも、「あの時何をするのが正解だったのか」はっきり言えない自分がいる。
しかし、「自分の理想に近づく行動を取る。自分が嫌いになる行動は取らない。」
この信念を、私の中でさらに強くしたことは確かだ。
このバクラヴァ事件は、きっと私の心にずっと残り続けるだろう。
今回は、まだ心の中でしっかりと整理されていない話を書きました。
金額的にはあんまり正確に覚えておらず、もしかしたら間違いもあるかもしれませんが、あの時の感情だけはすごく鮮明に覚えています。
かなり乱文でしたが、ここまで読んで頂きありがとうございます。
皆様のご意見もぜひお聞きできたらと思います。