アナザー・ジャパンで過ごした1年半【1期生卒業】
こんにちは!アナザー・ジャパン1期生、ホッカイドウトウホクの千葉と申します。
私たち1期生が経営するお店は去る8月6日で終了しました。
振り返ると、店舗に足を運んでくださったたくさんのお客様、そして素敵な商品を私たちに託してくださった事業者様のお顔が浮かびます。
改めてアナザー・ジャパンに関わる全ての皆様に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!
本記事では、卒業報告として私がアナザー・ジャパンに全力で取り組んだ日々のこと、アナザー・ジャパンで私が得たもの、変わったことをお伝えしたいなと思います。
アナザー・ジャパン1年間の業績は、先月公開した以下のnoteをご覧くださいませ!
まず1年半の振り返りをする前に、私自身のことを少しお話しさせていただきます。
北海道オホーツク地方の田舎で育ち、小学校は同級生が1人もいない、全校児童が8~9人というような環境で育ちました。
実家は酪農家で、家には常に家族と、牛と、牛舎に住む動物たちがいて、私もよく牛舎に住んでいる猫と戯れたり、父の仕事を手伝ったりしていました。
現在は東京農業大学で化学を学ぶ学科に在籍しています。
アナザー・ジャパンで活動していると、よく「学生のうちからすごいね」「意識高いね」と、お客様から言われることがありますが、私は地方から東京に上京してきた、周りの子と何ら変わらない、いわゆる「ふつうの大学生」でした。
何の課外活動もしていなくて、成績も良いわけではなく、ファストフードのバイトを週3~4日でしていて、休日には大学の友達と美味しいご飯を食べに行く。本当に「ふつうの大学生」です。
▶私とアナザー・ジャパンの出会い
上京する前から、郷土愛はそれなりにありました。
澄んだ空気と美味しい食べ物、毎日見ていても感動する美しい雪景色。
自然豊かな地元が大好きで「この素晴らしい地元の魅力を人に伝えたい」と思うようになったのは進学してからだと思います。
大学に入学してから、同級生との会話の中で「北海道出身だよ」と言うと、「すごい!」「いいな~!」と、かなり良い反応をされます。(さすが北海道)
そしてその会話でいつも返ってのはこんな言葉。
「おばあちゃんち札幌だよ!」「小樽行きたいし、函館も行きたい!」「北海道いいよね~、富良野旅行行ったことある!」
…悔しい!
「北海道」と言って友達が話題にあげるのは、道内でも有名な都市ばかり!!
北海道ド定番の観光名所ばかり話題に上がって、自分が生まれ育ったオホーツクのことは誰も知らないの…?!
同じ北海道ではあるけれど、ひとまとめにしないで、私の大好きなオホーツクの地域も知って欲しい!!!
札幌や小樽、函館とはまた違った景色や食べ物、空気を感じて欲しい!!
とりあえずオホーツクに来て!!!!
こんな会話がきっかけで「オホーツクのことをもっともっと知って欲しい!!」という想いが一段と強くなったような気がします。
そして、私の地元のことを誰も知らない東京という土地で、私の地元のことをたくさんの人に伝えたいと思ったのです。
「地元のために何かしたい」「地元をPRしたい」
熱い想いはありましたが、私には知識も経験もなにもなくて、魅力を伝えるには具体的に何をすれば良いのか、そもそも地元のために何をしたら良いのかもわからず、行動に移すことができませんでした。
地元愛系のコミュニティを探してもピンとこない。学生が参加する地方創生の取り組みを見ても、なんだかイメージとちがう。
何をどこから取り組んで行けばいいんだろう。
時間はただただ過ぎていくばかり。
悶々としながら半年ほど経ったころでしょうか。
大学の図書館で課題に使う資料を探していたら、新聞のある記事に目が留まりました。
<出身地の特産品 学生が販売>
「ああ、これだ。運命だ。」
そう思った私は、当時所属していた部活をわずか3か月でスピード退部し(絶対に自分がアナザー・ジャパンに合格する!と思っていたのです)、アナザー・ジャパンに応募することにしました。
他の誰でもない私が、生まれ育ったからこそ知っている地元の魅力を伝えたい。
私の言葉で直接、たくさんの人に広めたい!!
自分で商品を仕入れ、自ら接客販売する。
アナザー・ジャパンは、私が潜在的にやりたいと思っていたことそのものだったのです。
▶アナザー・ジャパンでの1年半
アナザー・ジャパンに無事合格。(奇跡)(今になって思うと合格は奇跡です)
私と同じく地元を愛する18名のセトラーたちと一緒に、中川淳さんによる経営研修と私たちの店舗経営がはじまりました。
初日にセトラーのみんなと初めて交流したとき、レベルの高さに尻込みしてしまいそうになったというのが正直な気持ちです。
みんなの自己紹介を聞いていると、
国内外問わずいろんな場所に旅をして壮大な経験をしていたり、
地域に対して課題意識を持っていて、それぞれの分野で難しそうな研究をしていたり…
個々のスキルが高くて、なんかタイピングも早い。
私から見ると「すごい人」の集まりで、あまりにもキラキラしていて、
これから始まる活動に対し、自信満々でワクワクとした気持ちで参加した私も戦々恐々としました。
私は他のメンバーと違って旅好きじゃなくて(どちらかというと旅苦手)、休みの日はずっと家で寝てたいインドアだし。
自分の地元以外には興味なくて、地方創生のことなんて考えたことがない。
「経営」って言葉もピンとこなくて、アナザー・ジャパンの面接では中川淳さんと三菱地所の方の目の前で「どちらの会社も知りません」と答えた。
これまで半月に1回自分のPCを開くか開かないかだから、Googleドライブやスプレッドシートは初めて使った。
そう、私が持っていたのは北海道の大きさに匹敵するほどのたっぷりな「郷土愛」だけでした。
「私は何の経験もなくて、何もわからないんですけど、だからこそ伸びしろだけは誰よりもあります。」
自己紹介では自分自身を奮い立たせるためにこんな言葉を放ち、
この言葉の通り、そこからはとにかく毎日必死に愚直に、このアナザー・ジャパンに向き合う日々でした。
年齢も出身も性格もバラバラで、しかも私にとってセトラーのみんなは「すごい人」たち。
うまくいくのかな、仲良くなれるのかな、私がついていけるのかな。
でも、そんな心配は不要だったように感じます。
蓋を開けてみれば、みんな郷土愛が爆発していて、私と同じような「地元を伝えたい!」という想いを胸にアナザー・ジャパンに参加した人ばかり。
一緒に仕事をしていくうちに、みんなそれぞれの郷土愛がひしひしと伝わってきます。
私が1年半とにかく本気でひとつのことに打ち込むことができたのは、自分ひとりだけが目標に向かって突っ走っているわけではなかったからです。
一番時間も場所も共にして働く18人のセトラー全員が、「新しい発見と懐かしさを届け、もう一つの日本をつくる」というビジョンを忘れることなく、みんなそのビジョンに向かって歩みを共にしてきたからです。
先にも述べた通り、私は自分の地元にしか興味がありませんでした。
生まれ育ったオホーツクの美しい自然や美味しいものを、お店を通じてお客様に自分の言葉で届けることが何よりもしたかったことです。
でも、アナザー・ジャパンでたくさんの魅力的な地域産品を目の当たりにし、そして他のセトラーの地元を想う気持ちに触れることにより、いつの間にか自分の地元だけじゃなく、日本中の様々な地域を、お客様にもっともっと知ってほしい思うようになっていきました。
きっとそれは、各地域で素敵なものづくりに全力を注いでいる方々がいて、そしてその方々が大好きで全力で応援したいんだ!と私に教えてくれるセトラーたちがいたからこそ。
その地域出身でなくても、行ったことがなくても、共に活動する仲間からその熱量や地元を尊ぶ想いが伝播してきたのです。
同じ学生として、本気でこのプロジェクトに向き合うセトラーのみんなと。
いつでも優しく、時には厳しく、サポートしてくださった本部の方々、そして多様な地域で志を持ち働かれている事業者のみなさま…
アナザー・ジャパンに関わるすべての人の、自分の信念に向かって突き進む熱量を間近で浴びることができたからこそ、私も自分の地元だけでなく、日本中の素敵な人やもの、風景や文化を伝えたいと、この1年半を通して感じるようになったのです。
▶アナザー・ジャパンで達成できたこと
大きく分けて2つ、達成できたことがあります。
ひとつは私がメインで担当した「アナザー・ホッカイドウトウホク展」を通して、最も伝えたかった一般の方には知られざる北海道の魅力、すなわち「アナザーな北海道」はお客様に存分にお伝えできたことです。
「北海道旅行にはよく行くけど、オホーツクには行ったことがなかった!次の北海道の行先はここね!」
旅行でよく北海道に訪れてくださる方からはこんなお言葉を頂き、
「自分もオホーツクの町出身です!この商品は地元民だととても見覚えのある商品ですよね」
私と同じ、オホーツク出身やそこで暮らしていた人たちとは、懐かしさを感じる地元トークに花を咲かせました。
アナザー・ジャパンに入る前に抱いた「同じ北海道ではあるけれど、ひとまとめにしないで、私の大好きなオホーツクの地域も知って欲しい!!!」という目標は間違いなく達成されました。
そしてふたつめは、アナザー・ジャパンを通して地元企業さんとのご縁ができたことです。
オホーツクの中小企業であり、アナザー・ホッカイドウトウホク展で商品をお取り扱いさせていただいた環境大善さんとは、アナザー・ジャパンを飛び出し、展示会などで一緒にお仕事をさせてもらうことも。
アナザー・ジャパンを卒業しても、こうして地元企業と関わっていくことができるのは本当に幸せですし、やはり自分の地元のものを自分自身で伝えていくことにとてもやりがいを感じています。
また、1年半を通して経営を学び実践することで、家業の捉え方もすこし変化しました。
私が生まれ育ってきた場所は、「家が農家」であることが当然な地域。
なので家業についても深く考えたことはなく、大人になったら、兄弟の誰かが継ぐ。跡継ぎがいなければ、いつか離農する。それがあたりまえ。
でもこの家業を続けていきたいのならば、きっとこれからは戦略的に経営を行っていかなければならない。
今までは「みんなやっていること」という印象であり、「経営」を意識したことは無かったのですが、その経営の難しさに気づかされました。
ただ漠然とした「家業を継ぎたい!」という気持ちだけでなんの知識も無く、ふわっと「コスメが好きだから、家の牛乳使って化粧品作りたいなぁ」なんて思っていましたが、それを実現させるには多様な方面への知識も、馬力も、強い志も、そして家業や地域へのまっすぐな愛も必要なのです。
▶私にとってのアナザー・ジャパン
私にとってアナザー・ジャパンは人生の転換点であり、大切な居場所です。
そしてセトラーの皆は「仲間」という言葉がぴったりな存在です。
友達でも、ただの仕事仲間でもなく、真の「仲間」です。
セトラーのみんなはそれぞれが自分自身の志を持ち、そしてそれをアナザー・ジャパンのビジョンに掛け合わせている。
だから各々の通過点はちがっても、「アナザー・ジャパンから地域の魅力を届けたい」という大きなビジョンは一緒で、それぞれ真剣に自分事に取り組むことで生まれた関係なんだと感じます。
アナザー・ジャパンは生半可なプロジェクトじゃないし、ましてやただのインターンでもありません。
単なる学びの場や実践教育、学校祭の模擬店ではないです。
もちろん学生の私たちにとって学びはものすごくあるし、スキルアップも望めるのですが、それらを目的にしてプロジェクトに参画するようであれば、間違いなくその人は途中で潰れると思います。
単なる自分のスキルアップやガクチカ(学生時代に力を入れたこと)形成として、インターンのような気持ちで参画するプロジェクトではないのです。
自分の限界を超えて何かを生み出そうという覚悟がなければ、アナザー・ジャパンの行っていることはお客様にも、事業者様にも何も響かないと思います。
軽い気持ちで仕事をしているうちは、アナザー・ジャパンで関わるセトラーは単なる「仕事仲間」でしかなくて、志を共にして未来を語り合えるような仲間にはならなかったでしょう。
自分だけ、誰かひとりだけが熱量高くあるだけじゃ意味がありません。
セトラー全員が本気で、真剣に向き合ったからこそ。
ただの友達や仕事仲間ではない、本当の意味でお互いを「仲間」と呼べるようになったと思います。
▶アナザー・ジャパンの今後とセトラーの未来
アナザー・ジャパンは、8月9日から2期生へとバトンタッチしました。
2期生は、1期生以上に個性が強いセトラーが集まっており、これからどんなお店が展開されていくのかワクワクしています。
1期生も2期生も、学部も趣味も出身もバラバラ。
でもこんなにも全員が同じ志を持って目標達成に向かっていくことができるのは、
やっぱり皆共通して、根底に郷土愛があるからなのだと思います。
アナザー・ジャパンは、ものを売るだけの場所ではありません。
多種多様な環境で生まれ育った私たちが、実際に「もっとたくさんの人に伝えたい」と感じた商品・想いをお届けする場なのです。
だからその背景にある地域の風土や脈々と受け継がれてきた営み、そしてそれを伝えようとする作り手さんの想いを背負って、私たちセトラーは活動を続けます。
1期生セトラーは18名、2期生は21名、そして3期生、4期生…
そして、2028年。アナザー・ジャパンは、Torch Towerに第2期店舗をオープン予定です。
お店に立つセトラーやお店の場所が変化しても、私たちの根底にある想いはひとつ。
「新しい発見と懐かしさを届け、もう一つの日本をつくる」こと。
心から素敵だと思った地域のものや、素敵な作り手さんをたくさんの方に知っていただき、最終的にはその地域に訪れるきっかけになってほしい。
他でもない、私たちが。
私たちだからこそ伝えられる地域の魅力を、私たちの手段で。
1期生はアナザー・ジャパン卒業後、それぞれの道に進みます。
みんなと未来の話をしていて感じるのは、
きっと通過点は違えど、みんな同じ方向を見据え、日本の未来を明るくするために生きていくんだろうなということ。
アナザー・ジャパンをきっかけに地域に携わる仕事をしたいと感じ、大学卒業後の4月から、全国各地の会社と関わるような仕事でファーストキャリアをスタートさせようとしているセトラー。
一足早く今年の4月から新社会人になり、地元駅の再開発に携わっているセトラー。
企画展でお世話になった事業者さまのもとに修行しに行くセトラー。
アナザー・ジャパンの出張で出会って心惹かれ、大好きになった地域にインターンをしに行くセトラー。
海外へ1年間留学しに行ったり、大学院入試に向けて挑戦を続けていたり。
引き続きアナザー・ジャパンに残り、また新たな領域を切り拓いていってくれるセトラーもいます。
みんなや私がもっと大人になった時、アナザー・ジャパンはどんな姿になっているんだろう。
何度も言いますが、ここは私にとって「仲間」に出会えた大切な居場所です。つぶれては困るし、つぶされては困ります。
私たち1期生の切り拓いた道が、この先々のアナザー・ジャパンにとってかけがえのない、意味のある道でありますように。
▶️さいごに
1年半一緒に活動してくれたセトラーのみんな、
私たちに一番近い場所で、熱くサポートしてくださった本部のみなさま、
地域の魅力を伝えるべくお仕事をされている、全国各地の地域の方々、
そして、私たちのお店に訪れてくださり、お買い物を楽しんでくださったお客様、
協賛やクラウドファンディングという形で私たちの活動を下支えしてくださった企業、個人のみなさま
お店に来ることは叶わなくても、SNS上で応援してくださったみなさま。
1年半、本当に本当に、ありがとうございました!
(1期生は卒業しましたが、現在は2期生がお店で頑張ってくれているので店舗にも引き続きぜひいらしてください~~~!!)
最後にもう一度言わせてください。私にとってアナザー・ジャパンは大切な居場所です。
お客様や事業者さまにも故郷と思ってもらえるような、郷土愛溢れるあたたかい場所でありますように。
そして、未来を共に切り拓いていく、フロンティアスピリット溢れる仲間が集う場所でありますように。
アナザー・ジャパンに幸あれ!
今回のライター:Atsuki Chiba