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ゴルフスウィング変化の歴史②

みなさん、こんにちは
ゴルフ大好き初夏の孔明です。

ゴルフ歴実質約20年の私のゴルフスウィングの歴史を語る2回目になります。

2回目の今回は1994年頃の話しになります。
高校卒業後、東京の専門学校へ行くとともにゴルフはほとんどやらなくなっていきました。再燃しだしたのは1993年に東京の会社へ就職してからになります。時代という事もあり、周りの先輩たちはほとんどがゴルフ経験者で、月一くらいのペースでラウンドしているような人たちばかりでした。そんな中で一応経験者だった私は先輩方から誘われるようになりゴルフを再開することになります。
初めは付き合い程度の感じで100〜120くらいでラウンドしていたのですが、やはり周りの人に負けたくないという気持ちが出てきてスウィングを勉強しようと思い本屋でゴルフ雑誌を買うことになります。そのたまたま買ったゴルフ雑誌の広告欄に『デビッド・レッドベターのザ・アスレチック・スウィング』という本が発売中とあったのを見て日本物より海外物という当時の自分の流行から早速購入することになります。
本にはスウィングの分割写真が載っていた為、等身大の鏡を購入してポイントポイントをチェックしながら勉強した記憶があります。それはそれは熱心に上手くなりたい一心で学習しました。一番難しかったのは、切り返しで一瞬ガニ股になるところです。アドレスで股の間に挟んでいたバランスボールが、切り返しの瞬間下に落ちるような感じでガニ股になるのですが、そこがなかなか上手くいきませんでした。ただそれ以外はそれなりに上達していき練習場での打球も安定するようになりました。
当時は鏡を使った毎日のスウィングチェックと土日は練習場での練習、そして月一のラウンドであっという間に100は余裕で切れるようになりました。
今でも破れない一番のピークは、24歳の時に地元のホームコースで出した84(40,44)が最高です。
ただこの後を境に10年ほどクラブを握らない時代に突入します。

その後の話はまた次回に。

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初夏の孔明
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