イシナガキクエ【起源】 第1話
12XX年
カラッとした暑さの中、1人の女が畑を耕していた。 中肉中背の25歳ばからのその女は、面長で髪を肩まで垂らしていた。女の名はキクエといった。キクエの家は貧しく、農作業を生業としていた。
キクエは生まれつき話すことが出来なかった。 周りのものは、話せないキクエを気味悪がった。両親でさえも、キクエを疫病神のように扱った。そんなキクエにとって、4つ年上の実次という青年だけが生きる支えであった。 幼い頃、家に入れてもらえず佇んでいたキクエに話かけたのが、実次であった。実次は裕福な百姓の息子であった。実次は、話せないキクエを哀れみ、たまにキクエのもとへ遊びに来てやっていた。その関係は十数年たっても変わらず続いた。
「おーい」
畑を耕すキクエのもとに、実次がやってきた。その首もとには、小さな笛がぶら下がっていた。
「豊作になったらよ、お前のとこの野菜食わせてくれ」
実次はにこやかに笑った。
「俺の家も大変なんだよ。村の長に気に入られようと、親父と兄貴が必死なんだよ。俺はそんなことはどうだっていい。静かに自由に暮らせたらそれでいいんだ。だから、お前のところに来ると落ち着くんだよ。」
他の村人には敬遠されているゆえに、キクエの畑に近づくものは、実次以外にはいない。
「お前は、俺の家族みたいなものかな」
キクエは照れくさそうに笑った。
「暗くなってきた。じゃあな、また来るから」
慌ただしく帰っていく実次の背中を、キクエはずっと見ていた。
それを最後に、実次がキクエのもとに来ることはなくなった。
第1話 完 つづく