ビリヤードが上手くなるために今のあなたのビリヤードを見てはいけないという話
先の投稿に加え、逆説的に聞こえるだろうが要はスコトーマの話だ。
今あなたが想像できるプレイ、今出せるクオリティ、今できることや知っていることのみ見ている限り、1ミリも上達することはない。上手くなるために必要なことは常に今気づけない部分にある。
当然の話だ。もし仮にあなたが上達に必要な事が常に見えていたとしたら、それはすでにコンフォートゾーンに内包されていて身についていることになる。無限入れ子となりその時点で理論上パラドクス的に無限に上達できてしまうことになる。
少しでも上達を目指すなら、まず自分の下手さ加減を素直に認める事だ。その上で鍵が今見えていないスコトーマにある事を知り、自分の今見えているビリヤードの風景そのものや執着を綺麗さっぱり捨て去る事だ。自分の指を描く方法は指を直接描く事ではなく指の周りの風景を描く事なのだ。
そんな中タイムリーにちょうどとあるSNSにて、あるユーザーのコーチングについての記載があった。その方の主張は要は、大した成績もないのに偉そうにコーチングなどけしからんというものだがこれは完全に本質を見誤っている。コーチの役割は優れた技術を指導することでははなくスコトーマに気づかせる事が役割なのだ。この方が誰かは存じ上げないが、このような発言をしている時点でお里がというか視座やクオリティが窺い知れるのである。
大変厳しい事を敢えて言うが、よく周りにいるだろう。上達せず勝てない理由を、相手、他者評価、環境、年齢、道具等々、ありとあらゆる外部要因に求める惨めな存在を。鍵が今見えている空間の外にある事に気づかないか、例え気づいていても今いる気持ち良い空間に執着するあまり、恐怖で抜け出そうとしない存在を。
ちなみにこれは普遍的な理と言えるので、当然競技に限った話ではない。ビリヤードが上達せず、暮らし向きも上向かず、自己評価に自信が持てず日々悶々とする理由は全て、今見えている世界と言うぬるま湯にどっぷり浸かって、スコトーマを破り無意識の力を使う一歩を踏み出す覚悟とプライドが持てていない事によるのだ。
ではどうするか。一切の他者性は無視しなければならない。執着を捨てられない恐れは人にどう思われるかの他者評価によるものでははない。
他人はあなたのことなど24時間監視してはいないし第一あなたがどうなろうと1ミリも興味がない。一歩踏み出せないことや恐れや自信のなさの原因はただ一つ、自分に嘘をついているからである。
唯一自分だけが常に自分自信を見ている。自分に嘘はつけない。本当はコンフォートゾーンから出て挑戦したい、そしてその能力がある事を知っているのに、様々な言い訳を準備して自分自信に嘘をついてやらない理由をこれでもかと用意して己を裏切り続けている。そういった毎瞬間毎瞬間の誰でもない、あなた自信のあなたへの裏切りがあなたのプライドを否応なく亡き者にしていき、その長年の澱の積み重ねがニヤニヤした恥に塗れた顔を作っていく。
それがまさに来る日も来る日も1ミリも前進せず、毎日空虚な気分で1日を終えざるえない根本である。自分の最大の支援者はいつでも唯一自分しかいないのだ。
こうしてみると結論、競技に限らず一事が万事という事であることが分かる。