私生活の変化で動いた推し活観について
ご無沙汰しております。
前回の記事が7/22公開だったので約2ヶ月程度サボっていたことに。
大変申し訳ない(前回も言ってたなこれ…)
といっても記事執筆が出来なかったのには理由がある。
詳細は避けるが「家族が倒れた」ことが起因だ。
以降、色々とやる事が山積みになり、仕事も立て込んできて…という状況で執筆まで気が回らなかったことが直接の理由である。
で、だ。
今回は、そんな私生活での大きな変化を通して「推し活観」が動いた話をしたい。
なお、念の為断っておくが、以下はあくまで一個人の話になる。
だれにでも当てはまる訳ではない事はご承知いただきたい。
私生活の変化で動いた推し活観とは?
私の中で動いた推し活観は2つ。
それぞれ解説する。
・推しの配信へ毎回行く必要はない
家族の件があるまで、私は推しの配信は可能な限り顔を出すようにしていた。今の媒体で活動する前から追っていた古い?付き合いでもあったので、なるべく繋がりは維持しておきたいと思っていたからだ。
ただ、前述の通り私生活での忙しさが増した結果、3、4回配信行けなかった期間があった。単純に忙しかったのもあるが、主な配信時間が深夜帯だったため「聞いている時間も体力も無かった」というのがその理由。
で、少し時間が出来たため、5回振りに配信に顔を出した。
正直何か言われるかな?と思ったが、推しから特に言及はなかった。いつも通りだったのだ。
これで私は思った。
無理して毎回配信行かなくてもいいじゃん、と。
そう。配信に顔を出すのはあくまで自分の時間がある時でいいのだ。
昔は当然と思っていたことを、恥ずかしながら今更思い出したのである。
推し活をする中で、様々な情報を得るようになり「推しの配信は可能な限り全部行け」という十字架を知らぬ間に背負っていたんだと、今回の事で思い知らされたとも言える。
結果的にではあるが、それは私にとって幸運だった。
制約から解放され、より気軽な推し活が出来るようになったからだ。
現在、推しの配信には毎回行っていない。
行ける時に行く、行けない(行きたくない)時は行かない、のスタイルだ。
このスタイルでも推しは自分を受け入れてくれる。
それを知れた事で、推し活観が動いたのである。
・複数の推しは別に持たなくてもいい
私はずっと「推しは複数持つべき」という考え方を持っていた。
推しが1人だけだと、万が一推しが卒業(失踪)してしまった場合のダメージが大きいこと、また特定のライバーにのめり込みすぎて精神衛生上よろしくない状況になってしまうと考えたのが理由だ。
その考え方が正しいとは今でも思っている。
ただ、前述のように推しの配信へ毎回行かない程度の「ライトな」推し活をやっている人であれば、推しは1人でもいいなと思ったのだ。
何故か?
ライトな推し活をしている人は、上記のダメージや精神衛生上の負担が大きくないことが想像できるからだ。
そもそもライトな推し活をしている人は、仮に推しがいなくなっても(ショックは受けるだろうが)立ち直れない程のダメージは受けないし、次の推しを探すことへの抵抗感も薄いことが想像できる。
であれば、ダメージリミテーション的な要素を含む「複数の推しを持つ」はそもそも不必要な行動で、逆に負担を増やす行動であるとさえ言える。
事実、ライトな推し活は時間を掛けない推し活である一方、複数の推しを持つ行為は推し活に時間を掛けることを要求する。
これは矛盾している行動と言えるだろう。
なので、ライトな推し活に移行している私にとって「複数の推しを持つべき」という推し活観は、必ずしも全員に当てはまるものではないという風に変化したのである。
まとめ
今回は私の推し活観の変化について、理由も合わせ語らせてもらった。
あくまで2024/9現在の推し活観であり、今後の私生活の状況でまた変化する(というか戻る)可能性はある。
ただ、今回の変化を書き留めておくことは、後々推し活を振り返る際に大事な資料となるはずだ、と思い記事として執筆させてもらうことにした。
過去、推し活観の変化を経験した人に共感してもらえると嬉しかったり。
では、また。
余談
今回の記事では画像取得先をO-DANからぱくたそに変更してみた。
癖のある画像が多いが割と満足してる。
(ぱくたそを継続して使うか、O-DANにまた戻すかは未定)