いじめというか、ヒエラルキーというか、暴力というか
人にいじめられた経験がある。ただ、それを“いじめられた”という言葉に落とし込みたくない自分がいる。
何がきっかけかは覚えていないが、中学時代に同級生から上履きやノートを隠されたり、背中を蹴られたりといった扱いを受けたことがあった。けれど、そのこと自体はさほどつらい出来事ではなくて、それ以上に、それを知った母親が担任教師に向けて手紙を書いたことが嫌だった。『あの子には悪魔が取り憑いている』だのといった妄執めいた文面に苦笑する担任の顔は今でも忘れられない。
その後は彼らに対して何らかの指導があったように思うけれど、具体的に問題が解決されることはなかった。それから僕は何かと授業を休みがちになり、特に周囲との能力差を感じる機会が多かった体育や水泳から逃げ続けた。それらの授業が行われている曜日を選択して休むことから『定休日』と揶揄されるようになった僕は、より一層に教室に足を運ぶことが億劫になって、不登校になった。
閉塞感だけが、日常だった。
しかし、当時は誰が悪いとも思わなかったし、今思い返しても、僕自身の態度に周囲からの反感を買うものが多分にあったことは確かだ。だから、“いじめられた”という言葉で事象を歪曲させて一方的な被害者のスタンスを取ることを是としたくはない。
そこから時を小学生時代まで遡る。
人をいじめた経験がある。言葉を発することが少し不得手な同級生だった。僕は決定的に彼を内心で見下していたし、たとえば放課後の掃除の時間に背後から肘をぶつけるといったような、そういった行いを積み重ねた。きっと--自分が虐げる側の立場に立たなければ、他の誰かに虐げられるだけだと無意識に考えていたのかもしれない。けれどそんな後付けめいた分析に意味はなくて、ただ、人の心を軽視して嫌な思いを味わわせただけの浅はかな人間がそこにいただけだ。
だからきっと、中学時代の僕は、何かをやり返すという選択をしなかった。もちろん、できなかったという前提はあるが、それ以上に、因果応報だという意識が、きっと、あった。
構造、ヒエラルキー、そういったものに取り込まれていた。人を搾取する側とされる側という二極化された見方で弁別して、そのいずれかに自分の身を置くことでしかアイデンティティを保つことができなかった。そのあわいを、中庸の揺らぎを見据える余裕が、なかった。だからこれはきっと、弁解でも反省でもなくて、かつてそういう季節があったのだという回想でしかない。もう一度おなじ地点に立ったのだとしても、きっと同じことを繰り返す。
ただ、今でも謝ることができていない彼が、前向きに人生を歩んでいることだけを、強く祈りたい。そんな、どこにも届くことのない、どこまでも身勝手な願いが、過去への手向けだ。