再掲「舞台・嫌われ松子の一生」の感想
おなじく、「のぎ動画」で配信されることになったので、こちらも昔のブログ(削除)に上げていた感想です。当時は若月さん、桜井さんの二人の対決というか、演技比較も非常に面白く、よい作品だったと思います。
・「嫌われ松子の一生」黒い孤独篇 を見て
表題のタイトルの作品、ネルケプランニング制作「嫌われ松子の一生」黒い孤独篇を見てきました。このバージョンは若月佑美さんが主演です。以前も書きましたが、桜井さんとの違いは何かっていうことも含めて舞台の幕は上がりました。
ツイにも少し書きましたが、基本、肉声で演じています。役者の立ち位置によっては少し微妙な部分はありますが、みなさんきちんと声が出ているので、大きな心配はないと思います。むしろ、若月さんは喉が強くないので、最後まで持つのかが心配です。
劇場は円形なので、ある程度見えやすいとは思いますが、一階席は少し見上げる感じがすごいので、前にいる人によっては見えにくいシーンがあるかも(笑)
今回は初日の公演を見ています。座席は一階席4列目でした。ほぼ正面だったので見にくいという部分は少なかったです。後ろの壁側に別の席がありましたが、初日ということもあってか、今野さんと桜井さんが見に来ていました。桜井さんは開演前にすっと入って、顔を隠してマネージャーさんと入ってきました。今回の演技を見て、どう思ったか。あとで演出の葛木さんに「わからなかった感情の部分で、見えた気がする」的な話をした様子なので、今後見に行く方は楽しみが増えたのではと思います。
さて、ここから内容に触れつつ書きます。ネタバレが嫌という場合は、ここでやめておいて下さい。
この舞台を見るにあたって、主人公に起こる境遇が悲しい話であることはわかっていたので、単にかわいそうという観点だけでなく、自分なりに舞台で表現されるストーリーの捉えかたみたいなものを、考えてみようと思いました。舞台上でおこる出来事や、近い距離で若月さんの演技を見てしまうと、観劇中は引き込まれる部分ばかりが多かったのですが、少しテンションが落ち着いて、自分が見た二時間を整理したときに考えたことを書いてみます。1.舞台上で描かれた出来事
ストーリーを追っていくと、中学校の先生だった川尻松子が、生徒の嘘の証言がきっかけで、学校を辞職することになり、そこから流転の日々を送り、最後にひっそりと死んでいく、53才の生涯を描いた作品です。どこにも笑いとか、コメディみたいな雰囲気は出てはきません。
一人の女性の人生として、このストーリーを見ていると誰もが感じる「何で、その選択をするんだよ!」っていう川尻松子の歩み方に、ちょっと違和感というか、何故そうしてしまうか、、、、それが川尻松子の生き方だと観客は見せられます。それこそが「人」であり、人はそういう選択をしてしまうことがいくつもあるんだ、という皮肉というか教訓めいた提示なのか?と少し考えてしまいました。
そういう意味では、松子という女性が求めて、そして与えた愛情がゆえに繰り返される「悲劇」でもあり、そういうことを繰り返すことしか出来なかった人の弱さというか、滑稽さを見せる「喜劇」というか、実は単純に哀しさだけを二時間見せ続ける話ではなく、その裏の意図が何かあるのか?と見終わったあとにしばらくしてから考えました。
勝手な考えですが、観客が松子に非常に近い目線でというか、感情を投影する感じで見ていると(観劇中はほぼそういう感じだと思いますが)、この話は「悲劇」だと思います。むしろ「なんでそうなことになるの?」というような少し客観的に捉えた目線だと「喜劇」のように映るかもしれません。昔のチャップリンの言葉にあるような「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」が妥当かはわかりませんが。
あわせて、二時間に描かれた(というか原作も含めて)この松子の一生をたどっていくときに、彼女の人生の意味とか、価値とか、愛情を求めたがゆえに翻弄された生き方が、不幸そのものだったのか?を考えると、主役を演じた若月さん(そして桜井さんもですが)のアイドルとしての存在が、松子の人生の不幸さを際立たせているなと思います。さらに付け加えると、アイドルであるからこそ、最後の洋一の「神は自分の中にいる。松子は僕にとっての神だった。」という言葉が生きてくる。そこに松子という女性の人生の価値が現れているんじゃないかと思えてきます。
観客としてリアルに感じる二時間と、そのあとの舞台上で起こった出来事を振り返ることで、いろいろな受け止め方をすることが出来る楽しい作品だと思います。
2.若月佑美という表現者
共演の男性陣が、脇を固める中、今回の若月さんは実に見事に松子を演じたと思います。若月さんの場合は、声に特徴があるなあと考えていて、舞台上では少し張り上げる印象が残りますが、かわいらしい場面や荒んだ場面での切り替えなど、感情の起伏をうまく表現していると思います。
彼女に関しては二つの感想があります。
まずひとつは彼女が考え抜いた松子だった。それが良いのかどうかは、何ともいえないです。ただそこに松子がいたのは確かだと思います。若月佑美ではなく、川尻松子がたっている気配は感じさせました。あえていえば、やっぱり想像の範疇ではあったかもしれません。彼女自身か演出家の葛木さんの狙いかはわかりかねますが、おそらくこういう演技であろうとか、感情の起伏も含めて若月さんが考えた範疇での松子であった。個人的には、それでいいと思う部分もあるし、若月さんに関してはそうじゃないアプローチもできればという気持ちもあって、複雑です。
ただ、女性ってこういう状況で理性で動くのか、感情というか衝動で動くのか?という部分が、この戯曲では伝わりにくい。この二時間では彼女に起こった出来事を時系列で見せていくので、出来事の場面のみが切り出されます。感情の変化をその場面から補って受け止めていくので、そのあたりは憑依型といわれる桜井さんの方が計算抜きですっと女性としての本能的な衝動を見せるのがうまいのかもしれません。そこが演出の葛木さんが考える桜井さんと若月さんの演出上の違いだと思っています。
若月さんは、翻弄されるという部分よりこの川尻松子という女性の生き方を、自分の選択の歩みという表現をしたかったのかな?と少し考えていたりします。演じ方が「熱情」ではなく「孤独」であるのは、その孤独に至るまでが彼女の選んだ結果という解釈なのかなと。初日だからかもしれませんが、感情のほとばしりみたいなものが、なんとなく抑制されたというか、若月さんの中で決めたプランがこういう松子なのかな?ってあとで振り返りながら思いました。
ただ、物語のエピソードを見ると、もっと感情に突き動かされた場面が多くある気もするので、若月さんはそういうこともひっくるめて「運命論」のような解釈をして、プランを立てているのかも知れませんが。そのあたりはいつか語ってもらえるとありがたい話です。
もうひとつの感想は、瞬間的なスイッチの入り方が非常に良かったのと、女性には艶っぽさがやはりそれぞれ特徴があって、若月さんの個性が良く出ていたなあと。個人的に好きな場面は二つあります。ひとつは、なだぎ武さん演じるマネージャーの前で、服を脱いだときの表情。もうひとつはラスト近くで、出所した洋一に捨てられて、そのままひっそりと暮らしていくシーンと、すでに死んだ後で不倫相手だった岡野と洋一の会話の中で、洋一にとっての松子が「神のような存在」だったと連想させるシーンです。
服を脱いだシーンの表情は、若月さんが考えた女性が覚悟を決めたときの凄みみたいなものが、非常にうまく出せていたと思います。こういう箱の劇場ならではの良さでした。祭壇の前に立っているところでの神のようだと洋一が話す「癒し」としての対象から、「浮浪者」に切り替える場面での表情の切り替えは、ものすごく好きです。あの瞬間のスイッチというか、若月さんの演技力の良さをみたと思います。犬天でもそうでしたが、若月さんは自分でそういう切り替えができるところ、もっと評価されていいと思うんですけどね。
やっぱり単純な憑依型でも当たり外れが出るし、かといって、頭でっかちでもだめで、そこが難しさでもあるんだと、この演技を見て感じます。若月さんのうまさと脆さの同居というか、この舞台で松子を演じることで、若月さんには、一人の女性の人生が悲劇であれ喜劇であれ、その一生をどう表現するか工夫し続けてたくさん引き出しを広げて欲しいなあと思います。またその引き出しを楽しみに舞台を見たいと思います。
3.松子の存在は「神」なのか?
ステージの構成が十字架で、かつ祭壇というかイエス・キリストがいるであろう教会をモチーフにしたセット組みだけなので非常にシンプルです。話を追いかけていると、洋一にとっては「聖母」のような存在になっていきます。他の男性にとっても、単に利用したという部分も大きいですが、「自分の幸せのために必要だった存在」という考え方もあるかも知れません。
ラストの松子が十字架を持って歩むシーン、あとから考えると、イエス・キリストのゴルゴダの丘を連想させたいのかな?などをふっと思いました。磔にこそされていませんが、殺される場面は民衆になじられるキリストに例えられたかのようです。実際には松子は愛を求めたからこそ、過剰に与えたに過ぎないので、本当は神でもなんでもなく、ただの幸せが欲しい一人の不幸な女性という気がします。でもそういう松子であっても、人を救っているというか、そういう存在にもなり得たという話にもなっています。そして最後に遺骨が抱かれるシーンは、愛を求めて死んでいった松子の一生へのわずかな報いであるという個人的にはある種のハッピーエンドも含めた終わりなんだと解釈しました。逆に死んでからでないと、愛情を一生もらえなかった、、、という解釈も出来るので、ここは見た人それぞれの受け止め方かもしれません。
4.初日を見て
初日は非常に緊張だったと思います。カーテンコールのあとの若月さんの表情に、安堵感がにじみ出ていました。当たり前ですね(笑)
回数を重ねることで、表現力の幅はもちろんでるし、若月さんが考えている松子の一生をどう観客に見せたいのか?もどういうイメージを持っているかで変わると思います。大変ですが、頑張って欲しいと思います。
共演の男性陣は、なかなかに頼もしいというか、若月さんを本当にうまく盛り立てたと思います。演技力もそうですが、そこから松子の悲劇性を際立たせたという意味も。なだぎ武さんのマネージャーですら結果的にはやさしさが裏目になっていますし。そういう男性陣の演技のうまさが、松子の一生における不幸な出来事の場面ごとに印象付けられるので、逆にこういう脚本構成のほうが、すっきりしていていいんだろうなと、この感想を書きながら思っています。
なんか、まとまりがなくなってきました。
アイドルがこういう舞台を、、、みたいな感覚はどうでも良くなると思います。むしろアイドルが演じたからこそ際立つものがあったなあと、後になって思う部分が多いです。そう捉えることで、松子の流転の人生とわずかな救いを間近に感じてほしいなあと。特に若月さんのファンの方は、彼女の凄みとラストの凛々しさを実感することができると思います。
次は、桜井さんの赤の熱情篇を見ます。
演出家の葛木さんもどちらかというと、桜井さんを評価している感じですが、、、演出上の違い含めて楽しもうと思います。
という感じです。前回の「犬天」よりも冷静にというか、引いた目線で書いている気がします。SNSで素人風情が評価しているみたいなことをかなり言われたのが、影響したのかもしれませんが(笑)いまでもこの作品は良かったと思います。若月さんの出演した作品では、この作品と「鉄コン筋クリート」は演技の幅を広げるという点で、大きな意味を持っていたと思います。
続いて、桜井玲香さんのほうの感想も上げておきます。
・「嫌われ松子の一生」赤い熱情篇を見て
本日、10月8日のソワレ公演で、「嫌われ松子の一生」赤い熱情篇を見てきました。今回は桜井玲香さんのバージョンです。先日というか初日で見た、若月佑美さんの黒い孤独篇との違いも含めて、まとめておこうと思います。まだこの芝居を見ていない方は、ネタバレもありますので、ご注意ください。
まずは演出上の一番の違いです。
黒篇では、松子の年齢と場所を「垂れ幕」で事前に見せつつ話が進行していきます。一方、今回の赤篇では、モニターに年齢などが映し出されますが、事前に観客がわかっていないというか見せていない状態です。
これ、結構大きいなあと思っていて、観客が松子の一生をどういう予見というか、想像みたいな意識を持ちながら舞台を見続けるか、という違いが生まれるかなと思っています。
このあたりは実は主演の二人の、松子へのアプローチの違いもあるかなと思っていたりもしますが。
黒篇のような垂れ幕のある演出だと、観客も予見性が高い事と、タイトルの孤独篇という言葉から、松子の最後を意識しながら見ていく気がします。そうすることで、堕ちていく一生を、生きている間は救われない一生を、より強く意識できる気がします。つまり終わりを意識させることで、そこまでのプロセスの物悲しさが引き立つのかなと。
一方、今日の赤篇の演出は、先では無く今の舞台上の出来事に、観客の意識が強く向くことで、徐々に悲劇性が高まっていくのかなと思いました。熱情篇という言葉の意味はそういうところにもあったりして、松子の感情の部分が桜井さんの演技で強く出ることで、徐々に堕ちていくプロセスに、観客が引き込まれていく、、、そんな違いがあるかなと、2つを見終わった感想として残ります。
個人的な感想としては、今日の赤篇の作りは、自分の感覚にあった黒篇の悲劇か、俯瞰的な喜劇か?みたいな要素はほとんど感じられず、愛に飢えた女性の報われない一生という悲しさが強く出たと思います。それは最後の「お帰り」という松子の言葉が、どう響くか?の違いかなと。やっぱり今日の松子のあのセリフは、ひたすらに悲しいという気持ちが強くなります。自分も今日の赤篇の作りに引き込まれたのかもしれません。
次は桜井さんについて。
今日の赤篇のモニターに映る演出とストーリーの進行は、桜井さんの演技というか松子の見せ方にあっていたと思います。
今回、二人の主演にあたって、桜井さんの演技によく使われた「憑依型」という言葉ですが、今日の演技を見るとその言葉とはちょっと違う部分もあるのかなと。
たしかに激しい揺さぶりを見せる女優さんだと思います。ただ憑依というよりは、その演技のプランや状況に対して、桜井さんなりの解答を一気に放出する感じで見ていました。そういう意味ではすごく瞬発力と順応性の高い女優さんだと思います。よく共演者の方の呟きにあった「ついていくのが大変」はなんとなくわかる気がします。桜井さん自身にはもちろんプランは事前にあるのでしょうが、そのときに湧き上がってくる感覚で、声や目線も含めた演技が、動いていくんだろうなという気がしました。これはおそらく、複数回見続けた桜井さん推しの方々の方が、自分よりもっと正解に近いものをお持ちだと思いますが。
桜井さんの演技は、個人的には犬天での印象とはだいぶ変わりました。じょしらくは除きます(笑) 犬天ではもう少し狂気が見たいと感想を書きましたが、今回は松子という女性の感情の変化を、依存しやすい感性も含めて、各場面での説得力が非常に高いと思いました。今日は最初にいきなりスイッチ入ったというか、飛ばした感じがあった(セリフの入り方のスピードやテンションが高過ぎた気がします)ので、飛ばしてるなーってちょっと思いましたが。
小さい箱なのも良かったです。桜井さんの目の力がすごく良く伝わります。以前、SETに客演した時は、やはり手足の長さや見栄え含めて、物足らないという感じがありましたが、この劇場では桜井さんの表情の変化も含めて、良さが十分に堪能できました。個人PVの「アイラブユー」のように機敏な変化が感じ取れる方が、桜井さんの演技にはあっているという感想です。
若月さんは、こうやって比較というか演技の違いを見ると、作り込んでいくタイプなんだなと思います。初日からどれだけ変わったのか、気になります。見に行けませんが、、、、残念。若月さんの丁寧なというか、考え方がそういう指向性なんだろうなと。パフォーマンスが崩れる事はまずないけど、やっぱり尻上がりに変化するタイプかもしれません。爆発力はやはり桜井さんのほうがあるんだろうなと。
ただ言えるのは、どっちがうまいという評価は現時点ではちょっと違うなあとも。それは戯曲にも左右されることが大きいかもと考えています。今回の松子のような女性の感情が一気に放出される作品は、桜井さんのほうが順応性が高い。逆にストーリー性が高い作品などは若月さんのほうがうまく見せる気がします。本来はどちらもうまくかもしれませんが、それはこれからの経験で二人共、さらに高めていけると思います。
どっちがいいとか好みはあると思います。演出にせよ、主役二人の演技にせよ。舞台での二時間は、赤のほうが強く印象になりそうです。ストーリー全体の解釈とかになると、黒のほうが広がりがあるかも?という楽しさがあります。まあ、自分の感覚が全くずれている可能性が高いですけど。
いずれにせよ、黒と赤の両方をきちんと見て、それがより自分の楽しみ方を広げてくれる作品だったことに感謝です。
という、感想です。
桜井さんはこのあと、野田秀樹さん戯曲の「半神」に出演されますが、あの演技は非常に良かったと思います。半神の感想もブログに上げたのですが、これは記事が残っていなかったので、まぼろしです。中屋敷法人さんの演出は良かったです。