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自分婚の記録9.振り返り
パラグライダー体験は、最高だった。
怖さはなく、ただ「体験」がそこにある、「体験」とともにいる、いま振り返るとそんな感じ。
目に入る景色や、風の冷たさとか強さ、一瞬一瞬を感じるだけの時間。
「いまここ」とか「中今」とか、そんな感じだったのかな。
昔から、「やりたいことリスト」の中に「パラグライダー」をいつも入れてたんだけど、ここ数年はなぜかどうでもよくなり、そんなことすっかり忘れて過ごしていたのだった。
でも思い出せて、忘れた頃に実現できるなんて、おもしろいなぁ。
もともとバンジーを飛ぶつもりだったから、パラグライダーは全く怖くなかったし、むしろ安心なくらい。そして思ったより滞空時間が長くて飛んでる感覚をしっかりと味わえた。今まで感じたことのないもの。新しい体験というのはやっぱりいいものだ。
(パラグライダー体験については、そのうち別記事でまとめるつもり)
たくさんの氣づき
今回わたしの挙げた自分婚式は、もともと「やりたい」からスタートしたものではなく「やってみたらどうなるか」という実験的イベントだったのだけれど、感想は「やってみてよかった」に尽きる。
正直いうと、ほんとうに自分が「自分への生涯の愛を誓える状態」であるかという自信はなかった。
でも、準備を進めていくうちに、どんどん氣持ちが固まっていったというか、覚悟ができてきたように思う。
いや、覚悟じゃない。「ゆるし」だ。「自分が自分を好きでいい」という許可がおりたんだな。ある意味開き直り。「もうやるって決めちゃったんだから、そこOKにしときます」って。
自分を好きでいい
これを言うのは、ちょっとこわい。「自分大好き」って言うと、どんなナルシストやねん、ってツッコミを入れたくなる社会通念があるから。
でもここがゆるむと、自分にもまわりにも寛大になれる。
言霊の話になるけど「ゆるむ」と「ゆるす」の音が一緒なのは、根底にある意味が一緒だからだ。
「特別なイベントだから」「一生に一度のことだから」と、普段規制していることをゆるめてみる。「今日は特別ね」といってホールのケーキをもらえる日のように。(そう。誕生日でもあったので実際にホールのケーキももらえたのだ)
普段やらないことをやってみると、いつも自分は自分に何を許可していないか、という制限がみえてくる。そしてその制限にどんな意味があるのかも。(それ、意味ないよね?)
特別な日だけケーキをもらえるのは、あなたがその日だけ特別になるからではない。あなたがすでに特別な存在であることを、ただ思い出して祝う日にすぎないということ。
自分婚式は、自分がすばらしい存在であることを思い出して祝う儀式なのかも。
変わることは怖くない
誓いの言葉を考えている時、自分は自分と別れられないし、自分はどれだけ変わったとしてもずっと自分だよなぁって思った。
どれだけ変わっても、自分は自分以外になりえない。
半世紀も生きてきて、わたしはただの一瞬も、自分以外になったことはない!
あれ? じゃあ「変化が怖い」っていうブロックって、何?
ただの幻想?
って思ったら「変わるのが怖い」ブロックが、ふわっと溶けた。
どんなに変わっても、わたしにはわたしがいてくれる。それがとても心強く思えるようになった。
埋もれてたブロック「友情はいつか壊れる」
今回、友達にたくさんのわがままをきいてもらった。ふだんはこんな無茶ぶりしないんだけど、もういろいろ覚悟とか信頼とか天の采配とかが完備されてて「何言っても多分だいじょぶ」みたいな境地になってたから。
みんなもそれをやさしく受け止めてくれたし、たくさんのギフトをもらった。ほんとうにうれしい一日だった。
なんでこんなにうれしいのかなーと後からぼーっと考えてたら、驚いたことに、「友情はいつか壊れる」というブロックが深層心理にあったことに氣づかされた。
そんなこと全然思ってなかったのに。
でも子どものころにあった些細な出来事で、そんなブロックを持ってしまっていたみたい。
自分でも氣づいていなかったブロック。外すべきタイミングが来たんだね。これでまたもっと自由になれる。おめでとう。
もちろん、先のことはわからないし、友情の形が変わることはあるだろう。でも、それも自然なこととして、受け入れられる。大事なことは執着しないこと。
結局はおまかせコース
冒頭に書いた「100日セルフワーク」の中では、「執着やコントロールを手放す」という課題にも取り組んでいて、それをやっていくと最終的には、人生の流れを信頼する、全てが善きに計らわれることを信頼するという生き方にたどり着くように思う。
この「信頼」への流れを、自分婚の計画中、いろんなところで感じていた。「不安」が出てくるたび「信じる」ということに置き換えて進める、このプロセスを経るごとに、不思議なことに、目に見えない流れへの信頼はどんどん増していくようだった。
成功への執着を手放す。もしうまくいかなかったらその時はその時だ。でもその一方で、きっとうまくいくんだろうな、という確信めいたものに支えられていた氣がする。
「“ハレとケ”の“ハレの日”だね」
七五三参りの家族の姿がちらほらといる白山さんの境内で佑ちゃんが言った。
まさしく晴れの日だった。そして晴れの儀式は終わり、褻に戻り日々を過ごす。
自分婚を挙げる前と変わらない日常。だけどいくつかの氣づきや体験を通り抜けて、日々起きることへの信頼は以前より深まっているように思う。
何があっても自分が一緒だし。(と言えるほどの自己信頼はあるかなぁ。。ちょっと様子見。。)
神さまのサプライズ
自分婚から2週間が経ったある日。
「栄ちゃんとどっかで会ったことがあるような気がする」と佑ちゃん。
初対面のはずだけど?と思い、接点を探ってみると、
驚いたことに、二人は同じ短大で同じ学科の同級生だった。あまり話したことはなかったらしいから、顔を見ても思い出せなかったのだ。
栄は当時の佑ちゃんのことをよく覚えていた。
「でも言われるまで全く気づかなかった!よく気づいてくれたよ!!」
石川と富山に生まれ育って初対面のはずの二人が、30年前に同じ空間で学んでいたなんて! しかもわたしの自分婚がなければ、再び会うことも気づくこともなかったとは。すごいサプライズ!
運命はときどきこんな面白いことをしてくれる。
もうこの流れ信頼していいよね?
と、うまいことオチがついたところで、自分婚の記録は終わります。
これを残しておくことで、何かが生まれるかもしれないし生まれないかもしれないけど、これもおまかせコースです。
お付き合いいただきありがとうございました。