【イベントレポート】志村季世恵×稲葉俊郎「光と闇のあわいから生まれるもの」(後編)
2023年に刊行された『暗闇ラジオ対話集』と『ことばのくすり』の著者、志村季世恵さんと稲葉俊郎さんによるトークイベントが本屋B&Bで開催されました(2023年8月)。バースセラピスト、医師として、ともに「いのち」と向き合い対話を大切にされているお二人による、注目のトーク。その一部をトークイベントレポートとしてご紹介いたします。
どんな状況であっても、
生かされる「場」が必要
稲葉さん(以下、敬称略)
志村さんはバースセラピストとターミナルケアとダイアログ・イン・ザ・ダーク、いろいろ活動されていますが、それぞれにどういうつながりがあるとお考えですか。
志村さん(以下、敬称略)
みんなかけがえのない命を持っていて、それが存分に自分たちが生かされる場があるといいなと思っています。それは近い将来命を終えることになる方たちもです。
実は、私はものすごく失敗する人で、迷子になる名人なの。病院内でもよく迷子になるので、ターミナルケアで私を呼んでくださった方たちの間で「志村季世恵はめちゃめちゃ方向音痴だ」と噂になっていたようで、宮崎で暮らす方が初めて私を呼んでくださったとき、その方からのお手紙に、「季世恵さんはピンクのテープに従って来てください」って書いてあったのです。病院の中ってよく、赤色のテープはレントゲン室とか、目印があるじゃないですか。病棟に着くとピンクのテープが、ランダムに貼ってあるの。
稲葉さん
どこに貼ってあるんですか、床に?
志村さん
そう、床に。それに従って歩くとその方の病室に着きました。もうじき亡くなるという方が、私のために、点滴を下げて、鼻に酸素の管をつけながらも貼ってくださったの。
そんなことさせてごめんねって言ったら、「やりがいがありました」って言ってくださって。それは意図せずとも起きてしまう私の至らなさなのですが、皆さんのほうが私を心配してくださる。で、皆さんがよくおっしゃるのが、何もできなくなった自分が何かできる自分になれたというのはうれしい。ある方はそれを尊厳があることだと。そのようなことからこんな私でもお役に立てるならと思ってお手伝いを続けているのですが、ダメな自分を見せることができた時に、いい部分がつながることもあるのかもしれないと思いました。
あとね、目が見えない人と一緒に歩いていて、私が迷子になることもあります。そのような時、見えない人が道案内をしてくれるの。「なんとなく方向はわかっているから、季世恵さんは信号の色を教えて」と。彼らは私が方向音痴だと知っているので、私と歩くときはかなり注意深く歩いているようです。私が苦手なことを先に伝えておくと、その人の能力まで見せてもらえる。
病人であっても障がいがあっても出来ることはたくさんある。そういう「場」を作ることが、私のミッションなのではないかと思います。人は生かされる「場」があるということが大事だと思うから。
稲葉さん
私も『ことばのくすり』(大和書房)の中に迷子のことを書いたんですが、迷子というのは能力のひとつなんですよね。みんな、なかなか迷子になれないんです。無意識的に目的を作りあげてしまいますから。目的をなくす、迷子になる、というのは、自分の感覚をひらく体験にもつながりますね。
あと、空白や余白ってなかなかありません。意識的に獲得しようとしないと空白自体が生まれないんですよ。今おっしゃったことって、まさに場の中に空白や余白を作っている行為だとも思ったんです。余白があるからこそ、その場にいる人が何かをしようとするスペースが生まれるんですよね。私も医療現場で研修医の先生を指導する時に伝えるのは、医者が治療したり処方箋を出すのは当たり前だけど、「しないことをする」ことも大事だということなんですね。意識的に「しないことをする」ことで、そこに空白が生まれ、何かをする余地ができると言いますか。
そういう空白や余白って病院でものすごく大事なことだと思っています。
志村さん
ああ、余白。そうですね、大切ですね。
あと、家庭で今まで普通にお母さん、お父さんだった人が、病気がわかった瞬間に病人になってしまうというか。よくあるお見舞いのシーンでいうと、昨日までは家族4人でご飯を食べていたのに、お見舞いにはプリンひとつだけ買っていく、みたいなのが寂しいのです。4人で一緒にプリンを食べたらいいのに、もうそれはできないと思い込んでしまう。そこで、「病院がOKならみんなでプリンを食べなよ」って言うの。そうするとその人は病人ではなくお母さんのままでいられる。
そういうことがとても大事だと思うし、それが「場」なのかなと思います。
稲葉さん
『いのちは のちの いのちへ』(アノニマ・スタジオ)という本では「場」をテーマにしているんですが、日本はとにかく場の力が強いんですよ。ほぼ無意識です。場の中に入っているか、場の外なのかということをすごく分けたがるですね。医療はまさにその最たるもので、病人になった瞬間から、「病人」というカテゴリーの場に入れられて、日常空間の場から追い出されちゃうんです。日本は場の意識が強くて、場の内部にいるのか外部なのかと、内か外かをとにかく気にします。
病者もそうだし死者もそうだし、場を分けてしまう。枠の中か外か、その区別がいつのまにか差別につながってしまう場合もあります。ほぼ無意識の行為として。
異なる領域を結ぶ、
「あわい」のつなぎ役として
志村さん
高校時代、大学病院でアルバイトをしていた時に出会ったおじいちゃんがいて。その人が末期のがんで亡くなる直前に私を呼んでくれて、「あなたは僕の枕詞を取ってくれたんだよ」っておっしゃたのです。
初めて会った時に「何々がんの◯◯です」って自己紹介したその人に、私が「“何々がん”っていらないよ。◯◯さんの名前が先にあるんだよ」と言ったと。それを聞いた時に自分の中の何かが消えて楽になったとおっしゃったの。その方は、あなたはこれからもそれを大切にしてほしいと。「ただの自分」「ありのままの自分」でいることがどれほど大切なことかは分かっていたはずなのに、肩書を常に意識して生きてきたと。病気になったら今度は病人の自分となり「いったい自分は何に支配されていたのか」とおっしゃっていました。
最初はその方のお気持ちを深く理解できていませんでしたが、私自身が齢を重ねることで深まっていったように思います。やがて私はそのつなぎ役になろうと思ったのです。ダイアログでもつなぎ役で、医療でもつなぎ役になれたらいいなと。
そして稲葉さんは、それを本当に病院内で実現なさるおつもりなのだと感じました。
稲葉さん
今日は「あわい」がテーマになってますけど、これは私が東大の学生の時に衝撃を受けた言葉だったんですよ。東大時代に、文学部応用倫理学の教授だった竹内整一先生のゼミに潜り込んで、日本の哲学や思想を勝手に学んでいました。
ある時に、先生が生涯追及しているテーマは何ですかってストレートに聞いたら、「私は自(おのずか)らと自(みずか)らのあわいについて、生涯かけて研究している」と言われて、ガーンと衝撃を受けました。「自(おのずか)らと自(みずか)らのあわい」という言葉がいまだに頭の中に鳴り響いています。竹内先生によると、「あわい」という言葉は元々着物の襟元を合わせる行為で、「合いと合い」で合わさって「あわい」、両方向から動的に合わさり重なり合うようなイメージの言葉とのことでした。いろいろな領域の「あわい」に関心があると、自分自身の内なる関心に気づかせてくれた言葉でした。
両方にまたがっているときに、ある意味ではどっちつかずとも言えます。こちら側からはあちら側の人だと言われ、あちら側からはこちら側の人だって言われます。ただ、その異なる領域の「あわい」にいる人こそが、両者のつなぎ役にもなるわけですよね。この言葉を竹内先生から託された時に、自分も医療の中で「自(おのずか)らと自(みずか)らのあわい」をやりたいと思ったんですよね。自(みずか)ら治す力と自(おのずか)ら治っていく力が重なるところに人間の治癒のプロセスがあって、医療者は自(みずか)らなにかを治そうとする側の人間ですが、それだけでは不十分で、自(おのずか)ら治ろうとする力との関係性の中で治癒現象は起こります。ふたつの間にいることは両方向からの綱引きの力を感じることでもあって、その場にいるときは辛い面もありますが、やはり誰かがその「あわい」にいないと、異なる世界はつながらないと思いますね。
志村さん
稲葉さんは「あわい」のことをずっと思っていたから、「能」のほうにも行かれたのですか?
稲葉さん
2011年に東日本大震災があって、僕は医療者としてボランティアに行ったんですけど、その時はある意味無力を感じたんですね。医者としてはほとんどやれることがなくて、亡くなった方がいっぱいいて。
その時にある方が海に向けてずっと謡(うたい)を謡っていたんですよ。地鳴りのようでした。それが私の魂にダイレクトに響きました。一体これは何なんだろうと思ったんです。その方はプロの能楽師だったんですが、一般のボランティアとしても来られていた方でした。その方も、何もできなかったからこそ、能楽師として謡いで鎮魂するとおっしゃってずっと海に向かってお一人で謳っていたんです。本当に空間がビリビリ振動しました。私はそこに何か本質的なものを感じ、弟子入りさせてほしいとお願いしたんです。
医者としての無力感を感じていた時、大勢の亡くなった方を前にして何をすればいいのかわからない時に、日本の伝統芸能である能は室町時代くらいから700年近くも続いてきた芸能であることと知って、驚きました。私が求めていた知恵は医学の枠内だけではなくて、芸能や芸術の中にあるんじゃないかと感じたんですよ。
志村さん
魂のお薬みたいなものと触れたみたいな感じがしました、今お聞きしていて。
稲葉さん
能って何もかもすごいと思いました。ドナルド・キーンさんという日本文学研究者が初めて、能の筋書きにはちゃんとストーリーがあるということを言って、テキスト自体の紹介をしっかりされたんですが、それまでの日本人は言葉の意味としてではなくて、音の響きそのものを主に聞いていたんですね。
地鳴りみたいな声で謡いますが、空気の振動は呪文や呪術のようなものです。古代の言霊に近いものが現代にそのまま残されているんですよね。言葉の意味がわからなくてもいい、音の振動そのものの力というか。
志村さん
本当に自然と共にあるみたいなものですもんね、能の世界って。祈りがあって。
言葉にならない体験がもたらす
新たな対話
稲葉さん
『暗闇ラジオ対話集』の中に野村萬斎さんも出られていますよね。私も2回ほど世田谷パブリックシアターの「MANSAI解体新書」に出させてもらって、直接的な交流があります。萬斎さんは本当に次元が違うすごい方だと思いました。
この本の中でも人間離れした発言ばっかりでしたけど(笑)、萬斎さんをはじめ、能楽師の方は面をつけて、視覚に頼らずあらゆる方法で空間を認識していて。見えないもの、もともと神に向かってやっていた儀式に近いものですから、能楽師の方々から教わる重要なことがたくさんあるなと思いました。
志村さん
「ダイアログ」は東京に2カ所の開催場所があります。ひとつは日本文化を意識した暗闇で、中に能舞台のような檜舞台があり、萬斎さんの回はそこで収録したのです。
暗闇の中は私も結構歩けるのですが、萬斎さんは暗闇の中を私よりも早く歩かれたのです。檜舞台に行くまでに木立もあるのですが、そこも笑いながら歩いて行かれたんですよ。どうしてそんなにすたすたと歩けるのかと思ったら、普段からお面をしているとほとんど見えていない暗闇なのですって。だから普段からいろんな感覚を使って歩いている。常に自分の体を意識し中から外から自分を見続けながらこの仕事をしているとおっしゃっていました。
稲葉さん
伝統芸能で言われる「型」は、心身一如で、とにかく体でやることで心も同時に変わるという教えなんですよね。だからこそ身体言語としての「型」が重要視されていて、右手が先か左手が先か、体の順番が違うだけで心の状態も違ってくる。小指から動かすか親指から動かすかで体は違うし、当然心も違ったものになる。そうした微細な身体言語を「型」の世界で伝えています。自分自身の体を観察するとすごくよくわかります。
だから昔の人は自分の体をしっかり観察していて、内なる自然である体と外なる自然とが一致していたんだろうなって。今は人工的な情報が外に溢れていますが、昔はそうじゃなかったからこそ自分の内側の生命情報をこそ聞き取っていたんだろうなと思います。そうしたことを萬斎さんも対話の中でも語られていますよね。
志村さん
今、竹芝の「対話の森」では、「リアル対話ゲーム『囚われのきみは、』」というイベントが行われています(2023年8月に終了)。それこそ、囚われている「型」があるとしたらそれを外してみようっていう企画なんです。「囚」われっていう字が本当にそれを表していると思うんですけど、人が「囚われている」その囲いを取ってみると本当の「人」になれて、自由になれるんじゃないかというエンターテイメント。囚われから外れて、今度は自分の生き方とか暮らし方が変わっていったらいいなと思って。社会がどうだこうだとか言うけど、それも自分の見方が変わっていったらいいのではないかなと。
学校を舞台にしているんですけど、目で見るものが美術だとか、音を聞くのが音楽だとか、そういうことだけではなくて、聞こえない音楽があったっていいし、見えない美術があってもいい。どうやってやるの?って考えるとまた新しい音楽や美術を思いつくんです。体を使わない体育なんて、最高におもしろいですよ。でも筋肉痛になるの、翌日。どうしてかはお楽しみです(笑)。
稲葉さん
いろんなところでこういう学校が行われるといいですよね。目を使わない美術、耳を使わない音楽、体を使わない体育。我々の思い込みを外すというか。
私も山形ビエンナーレ2022という芸術祭の中で、視覚障害者の方との美術ワークショップをやったんです。目が見えない方を中心として美術を鑑賞するというもので。目が見えない方が「これはなんの絵ですか」と聞くと、色で説明する人や情景や質感で説明する人とかいろんな人がいて、また質問して他の人が説明して・・・・・・ということを繰り返していると、結局は絵を見ることでみんなの共通イメージを作っていくという創造のプロセスなんですよね。みんなが共通の絵に言葉を介してアクセスすることで、イメージの全体像や輪郭を言葉で形作っていく。みんなで伝えよう、伝えたい、わかり合おうという思いが出てくる。温泉みたいな温かいぽかぽかした場になっていくんですよ。
それはイメージと言葉を介した豊かな対話なんですよね。ただ絵を見るというプロセスを入り口にして対話が起きる場を作っているわけです。多分「ダイアログ」も同じで、みんなが体験したことから対話が生まれるのかなと。
志村さん
はい。そうなのです。体験した後に「ダイアログ(対話)」してほしい。体験の中でも対話してほしい。そういう経験をするうちに対話っていいなと思ってもらって、それが家庭でも職場でもあるといいなと願っています。
あとね、アテンドの人たちは言葉に感情が伴っていると嬉しいって言うのです。嬉しいときの「うわぁ」みたいな感嘆の声って心に響くでしょう!?って。
生まれた時から目の見えていない人が、「私は満天の星空を知ってるよ!フランスで見たの!!」と話してくれたことがあります。フランスの片田舎に行った時に野外で小さなパーティがあったそうです。辺りは電灯もないところ。夜星がすごく綺麗で、周りの人たちは上を向いてお話をしている。彼女もつられて上を見上げていたらその時、隣にいた友人が感嘆のため息をつきながら「満天の星。息ができないくらいに星がいっぱい」と喘ぐように伝えてくれた。
その言葉を聞いた時に、友人の感情が自分にも入ってきて私も満天の星を見て呼吸ができなかったのだと言うのですよ。彼女の感性の素晴らしさに感動すると同時に「みる」ということの奥深さを知りました。
稲葉さん
「自(おのずか)ら」と「自(みずか)ら」のあわいっていう言葉を教えてくれた竹内先生は、万葉集や古今和歌集など、大和言葉の研究者でもありましたが、「もののあわれ」ってどういう意味なんですかって聞いたら「それは“あぁ(嗚呼)”ってことなんだよ」って言われたんです。
“あぁ”って言葉にならない体験や感動が「もののあわれ」なんですって。今の話もそうした言葉にならない、“あぁ”という体験のことですよね、そうした体験を一緒にできる場というか。言葉を超えた体験には「場」が必要です。志村さんが取り組まれているのはまさにその未知の場を立ち上げようとされてるなと思います。
そうした場がいろんな場所で立ち上がればいいですよね。
志村さん
いいですね。安心できる整った場を作れたら、本当にどこででもできますよね。
稲葉さん
軽井沢を屋根のない病院と見立てるという話がありましたが、それは病院の中でやることも大事なんですけど、住んでいる場所自体が幸せな土地になるといいなと思っているからです。創造的な対話が自然に起きる場を創りたいし、そうした場で生活をしたいなと。そうした新しい対話的な場を創られていることにとても勇気づけられました。ありがとうございました。
志村さん
こちらこそ、ありがとうございました。
イベント主催/本屋B&B
実施/2023年8月4日
登壇/志村季世恵・稲葉俊郎
*トークイベントの一部を編集してご紹介しました
志村季世恵(しむら・きよえ)
バースセラピスト。一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。 ダイアログ・イン・ザ・ダーク理事。心にトラブルを抱える人のメンタルケアおよび末期がんを患う人へのターミナルケアは多くの医療者から注目を集めている。 現在は視覚障がい者、聴覚障がい者、後期高齢者とともに行うソーシャルエンターテイメント、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」を主宰。 著書に『さよならの先』『いのちのバトン』、最新刊『エールは消えない ―いのちをめぐる5つの物語―』など。
稲葉俊郎(いなば・としろう)
熊本生まれ。医師、医学博士。2024年3月まで軽井沢病院長。山形ビエンナーレ2020、2022、2024芸術監督。 東京大学医学部付属病院時代には心臓を内科的に治療するカテーテル治療や先天性心疾患を専門として、夏には山岳医療にも従事。 医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。 未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。 著書に『いのちを呼びさますもの』『いのちは のちの いのちへ』『からだとこころの健康学』『ころころするからだ』『いのちの居場所』など。
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