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【連載】生湯葉シホ「音を立ててゆで卵を割れなかった」第8回:神戸さんのクイズ

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ライターとして数々のインタビュー記事の執筆や、エッセイを執筆している生湯葉シホさんによる連載をスタートします。
生湯葉さんはご自身の性格を、気弱で常にまわりをおろおろと窺っている(けれど執念深い)とみています。今回スタートする連載は、「食べそこねたもの」の記憶をめぐるエッセイです。
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第8回:神戸さんのクイズ

 とくに理由なしに金髪にしていたころ、はじめて会う人から、「なんで金髪にしてるんですか」とよく聞かれた。聞かれるたびに、なるほど、似合ってないんだな、と思った。だれも、金髪が自然に馴染んでいる相手に「なんで金髪に」とは聞かない。
 私がその店にいることもきっと、お客さんの目には異様に映ったのだと思う。3人にひとりは「どうしてこういう店に」と私に尋ねてきた。若いうちにいちど接客業をしてみたくてとか、男の人と話すのが苦手だから慣れたくて、とかはじめはゴニョゴニョと真面目に答えていたけれど、何度も聞かれるうちにだんだん面倒くさくなってきて、そのうち、バニーガールっておもしろくないですか? とだけ返すようになった。
 
 店は雑居ビルのなかの長くてうす暗い階段を降りた地下1階にあって、全面が鏡張りになっていた。店内にはテーブル席が4席と半個室の席、それから大きなカウンターがあったけれど、カウンターの内側に人が立つことはなく、私たちスタッフはお客さんのすぐ隣に座って接客するルールだった。たしか私が応募したアルバイトの募集要項にはバニーガールの衣装で接客をするガールズバーとあったはずで、本来ガールズバーはカウンター越しの接客しかできないと法律で決まっているから、ひと言で言ってしまえばそこは脱法キャバクラということになる。大理石を模した安っぽい素材のカウンターはいつもピカピカに磨き上げられていて、それがかえって店全体の偽ものっぽさに拍車をかけていた。
 私たちスタッフは毎晩、出勤するとまず1階にあるメイクルーム兼衣装室でその日着る衣装を選び、身支度を整えて地下1階に降りる。それから店の営業がはじまるまでのあいだは、カウンターの真裏にある待機室にいた。待機室といってもそこは長い革張りのソファが置かれているだけの、古い劇場の舞台袖みたいに窮屈でなにもない空間だったのだけれど、待機室側の壁はマジックミラーになっていて店内フロアがまるごと見渡せたから、実際の面積ほど狭くは感じなかった。ここって居抜きなんだけど、マジックミラーは前にいかがわしいお店だったときの名残りらしいよ、と教えてくれたのはたしか先輩のなぎささんだったはずだ。風俗店ではないにせよ、いまのここだっていかがわしいお店には変わりないと私は思った。でも、お客さんがいるフロア側からこちらが見えるのではなくこちら側からお客さんたちの姿が見渡せるというのは、ややちぐはぐでおもしろかった。
 
 神戸さんがはじめて店にきたのは4月の終わりだった。手慣れた様子の上司の隣で居心地悪そうに終始目をきょろきょろさせていた神戸さんは、こちらが1杯目のドリンクを尋ねたところで、祈るように手を合わせ、天井を見上げたきり黙ってしまった。あの、ソフトドリンクもありますので、と小声で助け舟を出すとやっと我に返ったのか、下ろした右手をゆっくりとテーブルのメニュー表のウーロンハイのところまで滑らせていき、その文字を指先でコックリさんのようになぞりながら、これお酒抜いてもらえますか、と早口で言った。
「ええと、僕いまいちわかってないんですけど、お姉さんが僕の担当? ってことなんですか?」
 20分間は私がここにいます。それ以降は基本的にほかの女の子たちが交代でお相手させていただきますが、ご希望でしたら延長もできます、と私が覚えたばかりの台詞を口にすると、神戸さんはちょっと笑った。
「……インフォメーションセンターの人みたいな話しかたするんですね」
 わかるもんなんだな、と思った。そのころの私は実際に昼間、商業施設のインフォメーションセンターで働いていたから、そういう話しかたが体に染みついてしまっていた。すみません、私まだここに入って2日で、なにがなにやらって感じで、と白状すると、なにがなにやらですよね、と神戸さんは頷いた。
「僕は雑談ができないんです」
「雑談、私も苦手です」
「だからクイズを出してもいいですか?」
 クイズを?
と思う間もなく、神戸さんは突如しずかな声で「問題」と宣言し、私にクイズを出した。
「日本三名園といえば、水戸の偕楽園、金沢の兼六園と、あとひとつはどこでしょう?」
「紫外線を表す『UV』は、なんという言葉の略でしょう?」
「カウボーイが被っていることでもよく知られる……」
 問題はしばらくつづいた。それはどれも自分にまつわる質問とかひっかけクイズのように雑談の種めいたものではなく、クイズの問題集に載っているような雰囲気の、本気の問題だった。えっ? わからないです、ヒントください、を連呼しているうちに20分間が過ぎ、交代を案内するアナウンスが場内に響いて、神戸さんたちの席にはほかの女の子がついた。
 私が待機室に戻ると、同じタイミングでフロアから戻ってきたなぎささんが「だれ? いまの。なに? まじで」と呆気にとられた顔で言った。
 
 その2週間後、神戸さんと上司がふたたび来店したとき、あ、クイズの神戸さん、と私は思い、迷わず彼らの席に座った。そして、ドリンクの注文が終わると同時に神戸さんに頼み込んだ。
「クイズ出してください」
 いいの? と聞きかえしてきた神戸さんの目はすでに真剣だったように思う。
「問題。日本三名園といえば、水戸の偕楽園、金沢……」
「後楽園」
「やば」
 “金沢”のわを言い終えるあたりで私が答えると、神戸さんは弾かれたように笑った。正解です、勉強したんですか? と聞かれ、このまえ出してもらった問題を復習しただけですと言うと、彼は大きく息を吸って頷いた。
 それからはいろいろなことを話した。神戸さんはこちらが聞けば自分についてのことは嫌がらずに教えてくれた。アニメと山登りが好きなこと。学生時代、クイズ研究会に入っていたこと。武蔵浦和に住んでいて、お酒は一滴も飲めず、社畜で、犬は好きだけれど犬アレルギーだということ。私は自分の接客の時間が終わって待機室に戻るなり、お客さんから聞いた情報はできるだけ漏らさず携帯に記録するようにしていた。毎日のインフォメーションセンター勤務のおかげでメモをとるのが早くなっていたのだ。
 それにしても、神戸さんのメモの長さはちょっと異様だった。来店回数が増えるたび、神戸さんがこちらに出題してくるクイズの難易度が上がるものだから、私はクイズを本格的に対策せずにはいられなくなっていた。神戸さんは毎回、飲みなよと言ってスパークリングワインとおつまみの盛り合わせを注文してくれるのだけれど、それらにはほとんど手がつけられることがなかった。私はいつも、テーブルの上のミルクチョコレートやカマンベールチーズがぱさぱさに乾いていくのを目の端で見ながら、いつくるか予想のつかない神戸さんの「問題」に備えていた。
「2期まではすごくよかったんだよ。3期になったら急に作画がグダグダで」
「へ~、Amazonで見れます? 1期から見てみよっかな」
「見れたはずだよ。しいちゃん、このポテト粉山椒かけていいかな?」
「ありがと、かけて。山椒おいしいですよね」
「問題。調味料としてもよく使われる山椒は、何科の植物でしょう?」
「待って待って待って」
 酒に酔っている場合ではなかった。
 
 けれど結局、その店での勤務は長くは続かなかった。セクハラをしてくる客は思いのほか少なかったけれど、とにかく、私自身に接客の才能が致命的に欠けていたのだ。高い酒をねだることはできず、サーバーから注いだビールは泡だらけになり、ふざけた客に下品な冗談を言われるだけで本気で傷ついていた。当時は常に頬の皮膚を持ち上げて笑うように意識していたから、仕事が終わる23時半には顔じゅうの筋肉が吊り、痛くてしかたなかった。口角を上げるということが自然にできない人間に夜職ははなから無理だった。
 私が辞めたあと、神戸さんからは何度か店に連絡があったらしい。まだ出し足りないクイズがあったのかもしれなかった。「しいちゃんは吉本の養成所に入って忙しくなっちゃったみたいです、って伝えといたよ!」と店長からはLINEがきたけれど、なんでそんな妙な嘘をついたのかはよくわからない。もらった給料はすしざんまいで豪遊などしていたら、嘘のように一瞬でなくなってしまった。



生湯葉シホ(なまゆば・しほ)

ライター、エッセイスト。1992 年生まれ。Webを中心にインタビュー記事、エッセイを執筆する。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』がある。


【本連載は隔週更新(予定)】
 次回は2月21日頃の更新を予定しています。


●題字デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
●イラスト:藤原琴美



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