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自分のセクシュアリティがわからない。

こんにちは。セクシュアリティを分析する「anone,」の中の人です。最近は家の中にいても寒くなってきて、もうどこに行けば暖を取れるのかわからなくなってきました。早く春が来てほしいなあ。

わたしは何者なのでしょうか?

ある日、わたしの元に、こんなメッセージが届きました。

昔から、自分が女性であることにすごく違和感を覚えます。家族から、何かにつけて「女の子なんだから」と言われることがつらいです。
服装もどちらかというと、中性的なものを好みます。「自分は本当に女性なのか?」と思い立ち、ネットで調べてみたところ「Xジェンダー」という性のあり方に辿り着きました。「男性でも、女性でもない性」とありましたが、これもどうもしっくりきません。
自分の正体を知りたくて、調べ続けていると何だかよくわからなくなって不安です。いったいわたしは何者なのでしょうか?

なるほど。わたしも過去、少し似たような経験をしたことがあるので、気持ちが重なる部分があるような気がします。

まず、性別で自分自身を勝手にラベリングされること、つらいですよね。大切な人に自分というひとりの人間として見られていないという悲しさや憤りを感じます。女性、男性、はたまた別の性で生まれてきたとしても、それを生かすかどうかも自分次第であるはずなのに。わたしたちは不思議なもので、自然と他人をラベリングしては価値観や前提を押しつけてしまう性質がある生き物なのでしょうか。

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この場合、きっとご家族の方はあなたが「性別でラベリングされることが嫌だ」ということをわかってないのだと思います。今は「どうせ伝えても理解してもらえないだろう」と考えてしまうかもしれませんが、少し気持ちに余裕が出てきたら伝えてみるのも一つの手かもしれません。ポイントは、自分の「嫌だ、悲しんだ」という「感情そのもの」を伝えてあげること。性別のラベリングが、ご家族は当たり前すぎてピンとこない可能性があり、そのままお互いに理解できずすれ違ってしまう…なんてことも。だからこそ、相手に伝わる言葉に変換してみるのが大切なのだと思います。もちろん、ご家族の方ももっと歩み寄って欲しいな、とは感じますけどね。

複雑なものは、複雑なままにしておく

さて、メッセージの最後にあった「わたしは何者なのか」ということについてです。正直なところ、わたしはその答えをお伝えすることができないし、わからないです。セクシュアリティを分析する取り組みをしておきながら、この答えはなんだか不誠実かもしれませんが。

セクシュアリティだけではなく、いろんなことにも当てはまるとは思いますが、やっぱり自分のことは自分にしかわからない。自分にしっくりくる「何か」を見つけるまで、このモヤモヤは続くのだろうと思います。

その中でも、わたしからヒントを送れるとすれば「複雑なものは、複雑なままにしておいてもいい」ということです。セクシュアリティの話になると、途端に人は「あいつは〇〇なのか?」「自分は××ではないのではないか?」と明確な線引きをつくってしまいそうになります。わたしもどちらかというと物事ははっきり決めてしまいたいタイプなので、すごく気持ちはわかります。ただそのやり方を続けていると、少しでも違うと感じたときに、どっと得体の知れない孤独感を覚えてしまうのでは、と思うんです。かつてのわたしもそうでした。

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そんなとき救われたのは「クィア」という言葉。海外では、セクシュアリティを表す言葉のひとつとしてよく使われているようです。クィアは「あえてセクシュアリティを決めない」というセクシュアリティのあり方を表現しています。あの人は異性愛者、この人は同性愛者といったいくつもの溝を曖昧にして、まるっと「ぶっちゃけみんなクィアだよね〜」というノリに昇華してしまえる優れもの。わたしはこの言葉に出会ったとき「あ、別に無理に決めなくてもよかったんだ」と思えるようになりました。自分と同じようにふわふわしたまま生きている人もいるんだと。自分に取ってつけられた性別を気にしなくても、自分はその都度しっくりくるものを選びとっていければいいのだと。

性自認にこだわらず「今自分はどう生きたいのか?」と常に問いかけてみると少しずつ道が開けてくるのかなと思います🌱

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