ここには、「自分」がいるから
人は少しくらい失礼な方が生きやすいんだなと思う今日この頃。
気を遣える人間ほど、肩身が狭くなっていっている気がする。
わたしは散々失礼なことを言われてきたので、「自分だけはこんな人間になってやるもんか」と思っていた。実際失礼なことを言ってくる人は何かしらのクソみたいな言い分があるし、その大半はくだらない。気にしなくて良いことばかりだ。そんな奴らの小さな悪意に私たちはほぼ毎日死んでいる。
ただそういう奴らは何も気にしていないので、平気で息をしている。この穏やかな毎日に、小さな脳みそで小言を言いながらのうのうと生きている。
もちろん彼らにも悩みなんかはあるのだろうけれど。(知ったことか!)
だから、私たちは人の感情に敏感になりすぎる必要はない。自分の意見を食い殺して、相手の表情を窺う必要はない。
でも、どうしても気にしてしまう。わたしと同じみんなへ
少しくらい生意気なときがあったって良いし、おはようが嫌いな朝があったって良い。相手の感情を読み取り過ぎなくて良いし、汲み取っても良い。
そこに悪意さえなければ、「これくらいでいいや〜」を重ねる日々であって良い。ちょっとくらい失礼でも良いのかも。
他人に優しく、同じくらい自分に優しく生きたい。