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遡行(3)
横浜の会社で働き始めたものの、いくらも経たないうちに人員整理に引っかかって解雇された。
次の就職口を探していると、友人からベビーシッターをやらないかという誘いを受けた。
元々はその友人が行くつもりだったのが、都合が悪くなって代役を探していたのだ。
引き受けることにして相手の家を訪ねてみると、アメリカ人の軍人夫妻と赤ん坊の三人家族で、奥さんは日米開戦前の時代に日本でしばらく暮らしたことがあり、日本語が多少できた。赤ん坊は女の子で、名はダイアナといった。
ご主人は米軍の「キャプテン」で、ウィリアム・スミス・クラーク博士は「私のグランパだ」と言っていた。北海道大学を訪ねたこともあるという。
ダイアナのお守りをし、夫妻と食事をともにしたりして一年ほどが過ぎ、一家はアメリカに帰国することになった。船で太平洋を渡って帰る一家を、横浜の港で見送った。
上記は母から聞いた話だが、試みにクラーク博士をネットで検索してみると、博士の家系図に行き当たった。
博士の玄孫に当たる人で「ダイアナ・マイヤーズ」という女性がいることがわかった。女性は1954年生まれとなっているので、母がベビーシッターを勤めたのは1954年から1956年頃のことではないかと思う。
女性の父親の名前は記載されていなかった。女性がクラーク博士の玄孫なら、父親のキャプテンは博士の曾孫に当たる人だろう。曽祖父のことも「グランパ」と呼ぶものだろうか。
アメリカ人の家庭で働くということで、母は英和辞書を一冊買い求めたのだが、この辞書は非常にわかりやすく、使い勝手がよかったため、結婚後も大切に保管していたのだが、引越しの際に紛失してしまったとのことだった。ダイアナ・マイヤーズ氏は北海道大学を訪問したことがあるらしいのだが、横浜でお守りをしてくれたベビーシッターのことは覚えていないだろう。
2015.9.26