三軒茶屋駅 煉瓦色のにんじん塔 | はいはっと
「三軒茶屋に住んでいます」と言うと、飲み屋の話題か、最近増えている客単価の高いカフェの話題を振ってもらうことが多いけれど、わたしとしては、三軒茶屋を語るにあたってもっとも欠かせないのはキャロットタワーだと思う。
東急田園都市線三軒茶屋駅から、雨に少しだけ濡れる連絡通路で直結、26階建てのキャロットタワーは、わたしが物心ついたときにはすでにそこに建っていた。調べてみたら1996年完成、わたしのひとつ歳上らしい。「キャロットタワー」という名は外壁が橙色であるところから名付けられたものと推測されるが、実際にはどう見ても煉瓦色で、しかも「タワー」というより、どちらかというと「ビル」に近い。たぶん三軒茶屋のランドマークとしてつくられたそれは、地下にスーパーマーケットがあったり、カルディやIT'S DEMOやTSUTAYAが入っていたり、住民の生活に程よく根付いている。
キャロットタワー。やっぱりどう見ても煉瓦色。
そんな、いわゆる「駅ビル」の存在自体はまったく珍しいことではないけれど、キャロットタワーについて特筆すべきは、26階フロアに展望台があることだ。渋谷スクランブルスクエアのSHIBUYA SKYよりずっと前から、三軒茶屋には展望台が存在しているのだった。だれでも無料、耳がキーンとする直通エレベーターに乗れば、世田谷区を一望できるフロアにすぐにたどり着ける。
実際に訪れればすぐにわかることだが、この展望台からは、特にめぼしいものが見えない。「世田谷区を一望できる」と書いたが、三軒茶屋がある世田谷区は、23区で2番目に広く、最も人口が多い、要するに住宅地だらけの区で、山や海はおろか特徴的な建造物すらほとんどないので、展望台から見える景色も当然、ひたすら立ち並ぶ家々およびちょっとしたビル群、ということになる。なぜこんな土地に展望フロアをつくろうと思ったのかはほんとうに不思議だけれど、展望台には常に何人かの地元住民然とした家族連れやカップルや一人客がいて、眼下に広がるとりたてて特徴のない景色を眺めている。入場無料でフロアにはちょっとしたソファもあるので、最寄り駅まで戻ってきてしまったけれどなんとなく家には帰りたくないときや、散歩で歩き疲れたけれどカフェに入る気力もないときや、強烈にムカつく体験をしてしまい若干心を浄化したいときなどに、わたしはよくここに流れついていた。景色を目的に行くには正直おもしろい場所ではないけれど、ものすごい個数の家々があり、道路があり、ミニチュアみたいな車と人が通行している風景をぼんやり眺めていると、いつのまにか心が凪いで、エレベーターを降りるころには穏やかな気持ちで帰路につけるのだった。何度か友人を付き合わせたこともあるけれど、景色について言及するネタがあまりに少ないので、割にすぐ飽きてしまい、結局外をほとんど見ずにソファに座ってただ喋ることばかりだった。
パネルの説明によればこの方向に富士山が見えるとのことだが、こんなに晴天でもぜんぜん見えない。
もうひとつ、キャロットタワーの1階にある「かしわや」も、三軒茶屋を語るには欠かせない店だと思う。東急世田谷線の駅前にある立ち食い蕎麦屋で、なぜか、店先で今川焼きを売っている。わたしの肌感では立ち食い蕎麦屋に入る客より今川焼きを買う客のほうが多いので、もはや「かしわや」は今川焼き屋なのかもしれない。いまは1個120円で、それでも安いけれど、わたしが小中学生の頃は80円で売っていて、子どものお小遣いでも買える数少ないお菓子だった。今川焼きは何店舗かで食べたことがあるけれど、ここのが断然、断然美味しい。これでもかと餡が詰まった良心的な味で、「すぐ食べる?」と聞いて出来立てを紙に包んで渡してくれるのも嬉しくて、真冬に熱々の今川焼きをその場で食べて舌を火傷したりするのは、100円前後で買える範囲の幸せのなかではかなりのものだと思う。
「かしわや」はいかにも地元の飲食店という店構えでずっと変わらず営業していたので、2008年の第2次タピオカブームの折、突然「白い今川焼き」なる新商品を売り出したときには驚いた。たしか水曜日限定で売られていたそれは、タピオカ粉を使っているという売り文句で、記憶が正しければ、いつもの今川焼きより10円高い価格で提供されていた。幼心に「タピオカドリンクが流行っているからといって今川焼きをタピオカ粉でつくるのは違うのでは」と思ったが、白い今川焼きは生地がもちもちしていてそれはそれで美味しく、売上も悪くなかったようで、なんと第3次タピオカブームが去った2021年現在も、変わらず曜日限定で売られている。これが商才というものなんだろうか。
ほんとうに店構えが変わらない。白い今川焼きは、いまは毎週水曜日と、第2・4日曜日の提供らしい。
残念ながら、なのか、喜ばしいことに、なのか、ここ数年、三軒茶屋には再開発の噂がたっている。古くからの飲食店が並ぶ三角地帯エリアに、高層ビルを建てるらしい。あたらしいビルが建ったらキャロットタワーはもはや三軒茶屋のランドマークではなくなるのかもしれない。でも、煉瓦色なのになぜか「キャロットタワー」と名付けられたこの建物は、完成から25年経っても、正しく三軒茶屋という街を象徴していると思う。
■はいはっと (@hihat_girl)
広告会社勤務。三軒茶屋に18年間、京都に4年間暮らして、現在は東京北部に居住。未だに港区が怖い。
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