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最後の最後

今日は椎間板ヘルニア摘出術の直接介助についた。

直接介助とは、手術中、医者に器械を渡して手術の介助をする
役割である。準緊急で入った手術(よっぽど痛かったのだろう)だったが、腰のヘルニアは、ごっそり取れて気持ち良かった。きっと痛みも軽減していることだろう。こういう手術はいいものだ。罪悪感がない。

 手術室で器械出しをするのは、今日で本当に最期だろうと思う。来週からは、違う部署への配属となる。だがしかし。さて、私が「これが最後の器械出しだろう」と思ったのはこれで何回目?

 最初の最後は、手術室配属になって7年半後、病棟に移動となる前であった。乳がん=マンマの手術だった。もう手術用のガウンなど着ないと思い、記念写真を撮った。OP室を去る時、TKA(人工膝関節置換術)なんてもう2度と器械出しないだろうと思い、マニュアルを捨てた。なんという気持ちよさ!物を捨ててこれほど快感だったこともないであろう。

 次の最後は子供が学校に上がる時。パートをやめて次の職場に行くとき。この時の最後は脊椎の固定だった。ここでも、ここで作ったTKAの手順を嬉々として捨てた。「もう2度とやらないだろう」。でも、2度あることは3度ある。私は1年後、再びTKAの器械出しをすることになるのだ。

次は嘱託をやめたとき。嘱託をやめて、今の病院に正職員として入る前。ラパロ結腸だった。初めて手術室に配属された時、腹腔鏡の手術はラパコレ(腹腔鏡下胆嚢摘出術)だけだった。それが、20年後、外科はほとんど腹腔鏡の手術となっていた。開腹の手術が少なくなっていて、新人の教育が難しくなっていた。開頭の手術も、である。「脳外科はオワコン」などと自嘲気味に話す脳外科医もいる。そしてこの時もやっぱりTKAの手順を捨てた。今回のTKAはナビゲーションシステムを使ったものだったので、以前よりも厚みがあった。捨てる快感もひとしおだ。

「器械出しは今日で最期か」と
思ったのが4回。4回目の今は、捨てるべきTKAの手順はない。
TKAの先生が高齢で来なくなったので、手術がなかったのだ。

 同じようなことを繰り返しているなあ、と思う。でも、全く同じというわけではなく、時代や年齢と共に変わっていた「最後」だった。

おおかみ少年のように、繰り返す「最後」。まあ、「最後」でもそうでなくてももう、どっちでもいいかな、と思う。
新しく飛び込んでいく世界を受け入れるために、
「最後」を設けたのだと思う。

来週から、どんな生活が待っているのか、ちょっと楽しみです。

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