2021/06 作品展 纏め
本日2021/08/15
あれから2ヶ月。
何をして居たかと云うと、何か大きな事をしていた自覚は無い。
それでも、あの期間に感じたこと、以降の思考の変化を覚えている範囲で記録として残して置こうと思う。
今回、初めて写真を額装して販売した。
世の中には、沢山の写真家さんがおられて。
美しかったり、綺麗だったり。
私はそう云うのとは無縁だと思ってたから。
だから、一枚で勝負するのが怖かった。
出来ないと思っていた。
だから、小物にしていた。
それが自分に出来る、分相応だと思ってたから。
設営の時に、自分の写真が大きいサイズで額装されてるのが不思議で、箱を開けては閉じて、パカパカパカパカ。
何だろうこれは、何だろうこれは。写真って何だこれ、みたいな。
怖い、と同時に。
嬉しかった、気がする。
母親の額装はずっと見てきた。
それこそ実家で額をいつも引っ張り出すのは私だし。
絵には額が付くもんだって云うのは当たり前のことだから。
そこの中身が自分の写真って云うのが、不思議な感覚だった。
会期中。
一生懸命頑張った作品よりも、ちょっと肩の力を抜いて作った作品がお嫁にいくのを、割と茫然と見ていた毎日でした(笑
いや、お嫁に行ってくれるのはとっても嬉しいんだけど。
嗚呼、そうなのか…なんて思っちゃったりもしたけど。
傾向が見えたのは良い事だったなぁと思った。
今回は自分の中にある、出来る事というか。
これもやりたいし、あれもやりたいし、っていう作品をマドラーで混ぜこぜのような事に挑戦をしてみた。
ご来場頂い方はお分かりかと思うが、机は作品でみちみちでした、すみません…
人に合わせることは悪い事ではないと思う。
其処に、自分の譲れない部分さえしっかりしていれば。
どの部分が人に受け入れられやすいのか、そういうリサーチは本当に現場に出ないと分からない。
だからこの一年、イベントに出られない事が辛くて。
いや、別に出たければ出れば良いんだけど、某感染症に関しての私見は人それぞれって事で…
今回作品展で分かったのは。
作品の傾向。
自分の写真の額の下に、赤い丸が幾つも付いた。
“私”に会いに来た、と云う方々にお会いできた事だった。
未だに、鮮明に思い出せる。
入り口入って、すぐ左が自分のスペースだったんだけど、迷う事なくこっちに来て下さる方がいて。凄く吃驚していた。
あと、お土産も皆様本当にありがと御座いました。
沢山写真撮って、其れは其れは美味しく頂きました。
有難う。
私は“写真を撮り続けない私”と“作品を創り続けない私”は無価値なんだと、時折思い込む。
きっと、本当はもっと単純で当たり前なんだけど“それ”を認めたく無い自分が居る。
其れは其れで、許容してあげないと、いけないと思う。
出来たら、苦労はしていない。
“写真を撮り続けないといけない私”
“作品を創り続けないといけない私”
“どちらも出来ないダメ人間な私”
は、どれも地続きで。
全部“私”なのだと、許容する必要性がある。
其れは、作品展に“私に会いに来た”人達が、答えで。
他者容認でしか自分を認めたくない私だけど。
“私は此処に居ても良いんだ”
(“私は此処に居たい”)
何処かで聞いたことのあるセリフだが、本当にあの頃から何一つ私は変わらず。
此処に居てもいい理由をずっと探していた。
そんなもの、他者の中にあるわけでも無いのに。
許可なんて要らないのに。
其れでも探さずには居られなくて。
此処まで、来た。
じゃぁ今、自己肯定が出来ているかと言われると、歯切れが悪い。
正確には、自己肯定なんてしたくない。
自己を卑下している方が居心地が良いけれど、其れは時に良くない結末を迎え、何より自分はどうでも良いのに他者に迷惑をかける結末は、本当にもう、御免なわけでして。
此処に居てもいいかどうかは、誰かの許可が必要なものではなく。
もっと自分本位で、全部自分が選択して決めればいい、と云う事に近年気づいているので。
それを更に気づかせてくれたのが、今回の作品展だった。
頑張った。
新作は50作品以上を持っていった。
やった事のない事にも挑戦した。沢山失敗もして落ち込んだ。何回もパーツケースはひっくり返し、釘と剣山を足で踏み散らかした。部屋は恐ろしくひっくり返り、足の踏み場はいつも以上に無くなった。
でも。これが貴方が望んだ結果でしょ?
そう。
それが答えだ。
誰がどうとかではなく。
全部自分で決めて、全部自分で選んで。結果として人が足を運んでくださった。
此れは、全部自分が選択した結末で。
此処に居ていいかはまだ分からないけど。
自分で言ってはいけないのは分かってるけれど。
“こんな私”に久しぶりに会いに来て下さった方々に、多大なる感謝を。
「個展ってのは、無条件で理由なしで人が会いに来れる口実になるんだぞ」
父の言葉は、多分一生忘れないし、時にこの言葉に縋る事が在るかもしれない。
いいじゃん、人に縋っても。
一生懸命頑張った結果、何も届けられなかったとしても。
自分がやるだけの事を、自分の緩過ぎる判定で決めてしまっても。
その後、他者がどう出るかは、その他者が決める事だから。
棚からぼた餅は。
棚の下まで行かないと食べられない。
また来年も、出来ればと画策しています。
来春は、他県に行くかもとか。
自分のフィールドでのことでしか出来ないし。
でもそれで、買うとか買わないじゃなくて。
会いにきてくれて、笑ってくれた人達の笑顔は、忘れない。
遅くなりましたが、足を運んでくださった皆様。
本当に、有難うございました。
作品展ロスで、過去のように自分を痛めつけることなく、休むぞー!言うて、少ししてカメラを握れた自分を俯瞰して見た時。
少し、変わったなと。
思ったんだ。
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