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学校の先生という存在をうっすらと嫌いになった日【思考の垂れ流し】
これを語る前に、前提条件をある程度語っておく必要がある。
小学校1年生の頃から、学校に対してそこまで楽しいと思ったことがなかったし、結局大学を卒業するまで感じることはなかった。授業だけ切り抜くと好きな教科の授業は楽しかったので学校というシステムが嫌いだったのだろう。
それでも、客観的にみても真面目な生徒ではあったと思う。遅刻もしなかったし、宿題はとりあえず期限までには提出してたし、授業中に騒いで授業の邪魔をすることはなかった。
大変優秀な生徒でもなかったが、目に余るような生徒でもなかったと思う。
先生に対しても、大変そうな生徒の相手をするのに対して同情はするものの、あまり嫌いという感情もなかった。尊敬できる先生もいた。
そんな私が学校の先生をうっすらと嫌いになったのは、今思えばほんとに些細なことだ。先生が考えた結果だと思うし、私も自分がこれで不快感を感じていなかったら誰かにやってしまったかもしれないようなことだ。素行の悪い生徒を飴で釣るところを目の前で見せられたのだ。
先述したように、私は比較的真面目に周りに迷惑をかけないようにと、学校生活を送ってきた。元来真面目な人間が真面目に生きているわけでもないので、宿題もださない、授業中に勝手に騒ぐ同級生に対して正直ずるいなぁと思いながら生活していた。
ある日、先生がラミネートの作業をしていた。幼い頃の私には見たこともない機械で、見たことのない作業をしていたのがとても魅力的だった。邪魔するわけにはいかないからぼーっと見ていたら、なぜか少し遠くに居た不真面目なやつをその先生が呼んでラミネート作業をやらせてもらっていたのだ。そいつがやりたくて声をかけていたなら声のかけてなかった私が悪い。いや、悪くはないが納得はできる。
先生もわざわざ呼びつけて、そいつも楽しそうにやっていたので子どもには楽しい作業だとわかったうえで呼んだんだろう。なんで私はできないのだろうか?なんて普段真面目にやってないやつができるのだろうか?私にも一声あっても良かったのではないか?と悶々としながらその日は終わった。今でもラミネートの機械を見るたびに思い出す。
その日から、その先生の行動がいちいち癇に障るようになってしまった。最初にも書いたが、その先生は不真面目なやつを飴でなんとかするタイプの人間だったのだ。
眼の前に人参をぶら下げる作戦を悪い作戦だと思わない。しかし、周りの人間も考えてほしい。こっちのやる気がゴリゴリ減っていくのだ。
まぁ、悪いことばかりでもない、未だにラミネート作業はちょっとわくわくするし、先生という存在を盲信的信じることも無くなった。