『なんしょんな!俺』(4) 初プロデュース作品「ふしぎの海のナディア」の思い出 / 川人憲治郎
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アニメーションプロデューサーとして初めて手掛けた作品『ふしぎの海のナディア』(以下、ナディア)は、最初から日本と韓国の合作スキームが出来ていました。
具体的に書くと、日本は監督・脚本・絵コンテ・キャラクターデザイン・プロップデザイン・メカデザイン・美術監督・原画~作画監督のセクションを担当。そして、韓国は原画以降の動画・仕上・カット背景・撮影のセクションを担当するという役割分担でした。
韓国で作業した仕上と背景が組まれて撮影までされたフィルムが日本に届き、それを編集・音響・原版までを日本で作業しました。
ナディアの二年前に放送された『アニメ三銃士』(ぎゃろっぷ制作)という作品がありましたが、こちらも同じスキームでやっていました。1988年に開催されたソウルオリンピックを機に、日本と韓国との合作を一年おきにやって行こうというNHKの座組みによるものでした。
企画に参加した頃、ナディアで最初に見せられたイメージ画は、貞本さんが描いたジャンとナディアと、あと数点の場面画であったと思います。そのイメージ画からジャンのキャラクターデザインは大きく変更することなく決定稿になりました。その一方で、ナディアはカーリーヘアーがあまりにもアフリカ的(この言い方がすでに差別的発言ですね)であると言われ、髪型を変えて決定稿になったと思います。
当初上司から話しを受けたとき、監督は貞本さんと聞いていたのですが、いざ顔合わせでNHK総合ビジョンに行ってみたら、監督は庵野さんということをその場で初めて聞くことになりました。
国内の移動(主に帰省ですが)はいつもJRだったので、ナディアの打合せで初の飛行機と初の海外を体験しました。何故か韓国出張の際はスーツで行ってましたね。もちろん現地で作業するときはカジュアルな服装に着替えるわけですが、何故スーツで渡航していたのか自分でも分かりません(笑)スーツを着ていないとヒッピー(古ぅ~)とでも思われると思っていたのでしょうか。
この時代、韓国に行くには一回渡航するごとにビザが必要で、ナディアで何十回と韓国に渡航していたのでパスポートを増頁する羽目に(涙)
そんな中、NHKのニュースで一度ですが私のことが取り上げられたことがあります。韓国から持ってきたアニメ素材をカートに載せて運んでいる私のスーツ姿がTVで全国のお茶の間に!確かアナウンサーのコメントが「韓国からのアニメ運び屋」って、おいッ!ちゃんと税関通して税金払って持ち帰ってるぞ。それを「運び屋」って言いかた酷くありませんか(笑)
最初に庵野さんや貞本さん達ガイナックスメンバーと韓国の会社にいったのはPVの打合せとチェックでした。その時の忘れられないエピソードの一つにお肉を食べられない(当時の庵野さんは決してベジタリアンではありませんでした。)庵野さんがアメリカンブレックファーストのベーコンを貞本さんにあげて、そのお返しに目玉焼きをもらっていた絵は、今でもほっこりする記憶として残っていますね。
まぁ今思い出してみても『ナディア』の制作期間中はいろいろとトラブルしかありませんでした(笑)
忘れもしない編集作業での出来事があります。私が所属していたグループ・タック社内には会社専属の編集スタッフがいたのですが、第7話で降板。第8話は社内にいた編集スタッフのお知り合いの方にやってもらい、第9話以降をとある編集会社にお願いしていたのですが、編集作業中に編集室から大きな声で「もうやめだ!切ったフィルムを戻しておけ」と怒鳴り声が。結局その編集会社は降板しました。(その時に差し入れした缶コーヒーは手つかずのまま何年も放置されていたという噂が)
そこを何とか引き受けてくれたのが今は無き井上編集室。そこには後に「新世紀エヴァンゲリオン」のメインライターとなる薩川さんが在籍していました。その彼がナディアの担当編集となり、当時、映画の話で庵野さんとは息が合っていましたね。別作品で薩川さんと関わったときに「ナディアの時はまだ編集初めて三ヶ月の駆け出しでした」と聞いてビックリしましたけど、まぁ結果オーライなんでケンチャナヨ(韓国語で大丈夫の意味)。
庵野さんの編集へのこだわり方は凄いですね。いまでも『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』は毎週だったか毎日だったか編集点が変わると聞いたこともあります。
あとは音響作業でAR(アフレコ)を一度か二度当日キャンセルしたことですかね。というのもARが毎週金曜日でその前日の深夜に韓国からラッシュフィルムが届きます。急いで編集作業に取り掛かりますが、こと編集には時間をかける庵野さんですから編集作業がARまでに終わりません。朝方その報告を受けてARへ向かい、頭を下げて当日キャンセル。もちろんキャンセル料金は発生しましたけど、今だと大問題ですね。いや当時も同じか。
いまと違ってフィルムの時代はネガ編集を行い、そこから初号プリントを取って試写。それをテレビ局へ納品となるのですが、ナディアの後半話数ではネガ編集時に間に合わないカットが数十カットありまして、初号試写では音は聞こえるけれど、ところどころ絵が無い黒い画面を局プロ(編注・局のプロデューサー)と試写室で観ている時間はハラハラものでした。その後、初号試写に間に合わなかったカットはフィルムからテレシネでビデオテープに変換してもらい、差し込んで完成品へと。
そんなこんなな『ナディア』でしたが総合ビジョンのプロデューサーが私を気に入ってくれたのか、タックが次にNHKから受けることになる『ヤダモン』でアニメーションプロデューサーのご指名をいただきました。決してキャバクラと違って指名料は発生しませんよ(笑)
その話はまた次回!
【 川人憲治郎(かわんど けんじろう) プロフィール 】
1961年4月1日生まれ。香川県丸亀市出身。
株式会社グループ・タック、株式会社サテライトなどでアニメーションプロデューサーを歴任。
ふしぎの海のナディア(1990年 - 1991年)、ヤダモン(1992年 - 1993年)、グラップラー刃牙(2001年1月 - 12月)、FAIRY TAIL(2009年 - 2013年)など、プロデュース作品多数。
現在は、株式会社ディオメディア(http://www.diomedea.co.jp)にて制作部本部長を務める。無類の愛犬家。
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