無駄づくり
昨日YouTubeで動物が動物を食べる動画を見ながら缶ビールを2本も飲んでしまったにも関わらず、英会話の予定があったので朝早く起きた反動で昼寝してしまった.。
疲れていた。
で、悪夢を見た。
解けそうにない計算を延々とやり続ける悪夢。アップルとテスラの株価が今後どうなっていくのが妥当なのか?といったことを最初は計算し始めたような気がする。きっと週末に、Elon Muskがまた変なツイートをした余韻が頭に残っていたのだ。
答えがない計算をしているので解けない。しかも解けないばかりか、途中からもう自分が一体何を計算しているのかすらまったくわからなくなっている。それでも無理矢理帳尻を合わせて計算を終わらせようと、もがき続けてやめられない。寝ている間、絶え間なくそんな夢を見続けていたようで、目覚めがスッキリしない。全然疲れが取れていない。
その後、とりあえずコーヒーでも飲もうと出かけた喫茶店で、隣の席に座っていた5人組のご婦人の、割り勘の計算が合わないという解決不可能問題のグダグダを、大げさでなく15分以上も聞かされたのだが、その話はまあいい。
藤原麻里菜さんの無駄づくり。昔からなんとなく好きで見ていた。無駄と自称しているけど無駄じゃないと感じるから惹かれるんじゃないかと思っている。どういうことか?
ぼくたちは意味があることをさせられ続けて生きている。仕事ってやつだ。しかも意味があることをやれと言われ、意味があることをやろうと努力しているのに、いつまで経っても意味の手ざわりが感じられない。冒頭の悪夢に似ている。
本当に意味があることは、ちょっと心に引っかかっては忙しい毎日の中で気に留める余裕もなく忘れ去られていく、無駄なことの方なんじゃないか?ぼくたちは本当は、心のどこかで気づいてるのだ。無駄なことに意味があり、逆に意味があることは無駄であるということに。
社会がクソなのはプラグマティズムの圧力だと思う。功利主義は個人の考える正しさとはズレを生じる。みんな盲目的、無自覚的に利益を追っている。周囲の環境、空気に気づかないうちに毒されている。そのまま人生を全うして悔いはないのか?と思う。だからぼくにとって、反プラグマティズムは大事なテーマだ。抵抗をあきらめてはいけない。
家入一真さんの「なめらかなお金の流れ」という問題設定を連想した。金持ちが貯め込んでいるだけのお金というのは世の中に何も影響しない。それはなめらかでないお金だ。これと同じで、「なめらかな思考の流れ」という概念を考えることができる。みんな経験があるんじゃないだろうか?思いついたことを誰かに話しているときに「それなんの役に立つの?」とか「それ稼げるの?」などと、しらけたことを真顔で言われた経験が。いや、たとえ他人に否定されなくても大人になるにつれ、心の中のリミッターはどんどん増えていき、思考のエネルギーは滞留してしまいがちだ。その損失から可能性を取り戻したい。つまり、なめらかな思考の流れをつくりたい。そして一度流れ出した川は水量が増えて止まらなくなることを期待する。ぼくは無駄づくりに、そのヒントを見ているのかもしれない。
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