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映画「浅田家!」 記憶と記録


備忘録。
本来書くべき重要なシーンがいくつかあったが、親になった時に噛みしめられると思い、それらは除外して感想を綴る。

二宮和也が主演の実在する写真家 浅田政志さんの半生を実話に基づきつくられた映画。
主人公 政志は子供の頃に父から譲り受けたカメラをきっかけに写真家の道へ進む。人生の岐路で写真と向き合う中、自分の家族を被写体に選ぶことから物語が進んでいく。紆余曲折の中で、写真集"浅田家"が木村伊兵衛賞を受賞。プロとして軌道にも乗り始めた頃に東日本大震災を受け、写真と家族、そしてなりたい自分を見つめ直していく物語。

まず、キャスティングが素晴らしい。
前作 湯を沸かすほどの熱い愛 と変わらず、さすがの一言。キャスト全員が物語に溶け込んでいた。
特に、風吹ジュン。2,30代の子を持つ母親役をさせればもう天下一品ではないだろうか。雑多な家と掛け合わせれば、国民のお母ちゃんになれる。

そして、この映画には悪人が出てこない。
勿論、物語の仕様上そうしてるのだろうが、浅田政志さんの自由奔放だけど心の目で他者と向き合える穏やかな性格と温かみに溢れた作品が、周りにも良い影響を与えているからだろう。作品を見れば素人の僕でもそれは一目瞭然だ。

劇中で登場する北村有起哉も、本作に悪人がいないことを象徴させる貴重な存在だった。大いなる見所なので、内容は敢えて割愛する。是非見て唸ってほしい。本当に良い役者ばかり出てくる。

前半はコメディタッチで浅田家の和やかなエピソードが連発する。人前で写真を撮られる気恥ずかしさ、怒りを通り越して呆れる母親の顔、子を諭す父親とその背中。宅を囲んで食べるお昼の焼きそば。弟を心配する兄。一風変わった浅田家でも、誰しもが見たことある家族の光景ひとつひとつに親近感を沸かざるを得なくなる。憎いねえ…


前述の通り、物語の主軸は浅田家についてだが、もうひとつの軸となるのが、東日本大震災だ。

あと半年もすれば10年が経つ。当時の惨状とそこで一生懸命生きた人たちを忘れてはならないのは言わずもがな、コロナ禍の現状と照らし合わせて、選択肢を持てるありがたさとこれからの未来の生き方を映画の中で問われているようであった。

家族写真の撮影を依頼したリコが、津波で流された自分の家の間取りを明るく政志に紹介するシーンは見ていて胸が痛くなる。政志への期待、100%理解できていない現状、そして空元気も少し混じったあの笑顔は、ぼくたち大人には少し耐え難い。
違った角度で被災者の辛さを目の当たりにしてしまった。

写真を洗うボランティアがあることも映画を観るまで知らなかった。被写体を理解するまでシャッターを切らない政志にとって、見ず知らずの、しかも戻ってくるか分からない人たちの写真を洗う行為がどれほど大変だったか、映像を見ただけでは言葉にできない。精神的にも骨の折れる行いだったと思う。

他者を想いながら生きることで、自分の未来にも光が差すことを小野くん、政志の姿から受け取れた。



最近、僕はカメラを始めた。
自分で写真を撮っていて気づいたことが劇中終盤で綺麗にまとめられていた。一部意訳であるが備忘のためにも記載しておく。以下。


失ったものを補えるのは記憶だけ。写真とは、その記憶を補填し確かなものにする為の記録。写真は過去を写しているが、今を生きる人の力にもなって未来にも残り続ける。

11年前に兄を自死で亡くし、過去の整理と今後の生き方を考えている途中の僕にとって背中を押してくれる非常に意義深い映画だった。

家族写真、僕の家族は11年前からちゃんと撮っていない気がする。今度撮ろうかな。映画を観ると、浅田政志さんにも撮ってもらいたくなる。





然るべきタイミングで観る映画は必ずある。
「浅田家!」は僕にとってまさにそうだった。

#あの沈

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