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日記__✍︎周りの人達をもっと見る大切さ。

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18時台のJR中央線は、まるでコロナウイルスが流行していない日々の様に電車が混んでいる。いつもと違う所は、ほとんどの人がマスクをしているところくらい。

「マスクがない!」と騒がれてしばらく経つけれど、みんなマスクしてる。どこからマスクを仕入れとるんやろうか。私はたまたまマスクを買ったすぐ後にマスクが世の中から消えたからそれをちょこちょこ使っとるけど。

そして電車の中を見渡す限り、咳をする人程、マスクしてない気がする。

今は花粉症の時期で、且つ春に向けて気温の変化もある時期やから、風邪なのか花粉症なのか、はたまた新型コロナウイルスに罹っているのかは分からない。

ニュースを見れば不安を煽る様な話ばっかりやけど、毎日心も身体も健康でご機嫌さんなのが1番。

小中高校が休校になってしまって、働く親たちは大変そう。

そんな中で違和感を感じたのは、ニュースで「子供たちが家にいる間に食べるものを買いに来ました」と取材を受けているのは何故か母親の女性ばかり。え、子供を育てるのは父親と母親では?

「子供を育てる=母親の役目」という方程式は今の世の中もう古くさくて、父親も子育てに向き合って入り込むのが今の世の中の流れになってきたな〜と、自分の働く会社の人たちを見ていて思っていたけど、こうしてテレビから流れる些細な場面から、まだまだ製作者側の日本の古くさい考え方が垂れ流しになっているな〜と。

そう思うと、発信する側の考え方って、自然とこんな些細な数秒間の世界からでも読み取れるんやな〜と、今更ながら気付いた今日。

そう気付いたら、毎日会社で会う人達や、いつも支えてくれている周りの人達の事は、「何気なく見ている」気がしてきた。きっと言葉や表情の端々に、本音が隠れとるんやけど、あたしはそれに全然気付けてなかったな。

と気付けたので、【周りの人達を今までよりしっかり見渡して見てみる】ことにした。何気なく話しとった会話や表情も、しっかり見る。ふとした時にするしぐさも、しっかり見る。どうせなら、しっかり見た結果で相手にとって良い事があれば、それをしっかり相手に伝えたい。

例えば、「Aさんはいつもよく笑うしおっとりしてて、いつも人の話を聴く側やけど、本音が出る時には真顔で早口になるし「聞いてくださいよー!」って、とてもよく喋る」って気付いたんやけど、それをAさんに

「いつも話を聞いてくれてとても感謝しています。私の話ばっかり聞いてもらって本当にありがたいと思いながらも後ろめたい気持ちもあります。でも、2人で仕事の帰り道に他愛のない話をしていると、ぽろっとAさんの本音が出始めたかと思いきや、一気にお尻に火が付いたかの様に早口でばばばーっと話したい事を話してくれるところも、愛おしくてすきです♡」

って伝えてみるとか。まあこれ昨日実際私が言った言葉なんやけど←、Aさん喜んでくれた。

もっと周りの人達に興味持って、しっかり見てみよう!と思った昨日の夜やったなあ〜。人間は奥深い。やからこそ楽しい。

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