命日
母が死んで22年経った。
人生の半分以上、母不在
慣れなのか…見なかったことにしてるのか未だにわからないが、初めて命日に病院に行ってみた。
あの頃のがん闘病は入院が長くて、母はほぼ病院で学校終わりによーく病院にお見舞いに行ってたから待合室の雰囲気や食堂とか覚えてて、何も変わってない事にびっくりした。特に病院の匂い!フラッシュバック
亡くなる前日
そろそろ…と言われて家に帰るか病院に泊まるか聞かれ天気が悪かったので病院にお泊まり。ベットなんかないからパイプ椅子並べてJKが就寝。おかげで今もどこでも寝れる笑
起きたら低気圧なのかダルくて、学校休むかぁって学校に連絡したら看護師さんに呼ばれて、朝10時ごろに母は旅立った。叔母と2人で見送れたのは良かったが、私の父に連絡しても繋がらなくてイライラしたのは覚えてる。まぁ後に色々事情があったことを知ったので仕方なし。
母の処置など、ひと段落して外で叔父に連絡すると「あー死んだか」とポツリ。今思うと兄弟の仲は良くなかった気もする…笑
記憶も朧げだけど今日、病院の外でバスを待ってたら電話した場所だったなぁと思い出し、あの時と同じような天気でびびった。微妙な雨で曇天、風もある、あぁこんな感じだったなぁって。
私は兄弟もいないし、いとこと叔母は一緒に住んでたけどなんか違うし、父もいない…
沢山泣いた気もするけど、どこかふわっとしてて次の日普通に学校行ったら先生にめっちゃビックリされたし、友達が心配してくれてたのもあるかな…ずーっと誰かと悲しむ時間も無くて、笑ってたから。自分も大人になって、色んな物が無くなって消えてくもんだから、最近少しずつ思い出したり記憶をたどってる。見ておこう的な?
1番びっくりしたのは病院に郵便ポストがあるんだけど、見た瞬間叫びそうになった。母はここから手紙を数日毎に送ってたんだなって
リフォーム?することもなく超絶渋いポスト
母が書く手紙にも、ホフやユウヒって書いてあったなぁ。
なんなら数日前にライブにチェキで緊張して具合悪いって言ってたぐらい今でも好きだよ笑
ダラダラ書いたけど、生まれたからには長生きして余生を楽しんでからそっちにいきまっせ。
ますば第一目標、子の成人と命日も乗り越えれそう🙌残りは息子2人と52歳まで生きるだな
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