見出し画像

リトルガールズvsレジェンドティーチャー 〜言わんて言ったやん、先生〜


わたしの小学校高学年は二十六年生きてきた中でもかなり思い出深いものがあった。


小学生という者はまだ思春期も少なく
あまり人にどう思われるなどを気にする者が
少ない時代であろう。

わたしのクラスメイトには面白い奴が沢山いた。

授業でやりたくない事を拒否する為
床に寝転がって全力で暴れてアピールする者。    

いきなり蚊の鳴き声の物真似をする者。    

冬にアウターを着て来ては学校に忘れて帰り
終業式の日かなりの量のジャンパーを
来て帰る羽目になる者。


体育館での全校集会(一年生〜六年生まで集まる)で1人マイクを持ちライブ気取りで体育館を一周しながら歌を歌う者 #私

思い出したら沢山珍事件が出てくる。    

とにかく五、六年一組には様々な子達がいて
毎日がとても楽しかった。

そんな子供達をまとめていたのが担任の
倉橋先生。
女性である。  

私は倉橋先生と小学生三年から四年間クラスが
一緒だった。

三年四年の時は副担任。

五、六年生の時は担任だった。

倉橋先生は当時50歳くらいでかなりの
ベテラン教師だった為、
とても厳しくて最初は嫌いだったが
担任になって大好きになった。



倉橋先生はいつも真っ当な事しか言わない。
筋が通っててかっこいいと思っていた。



六年生の時、後数日で卒業を控えていた時の事。

いつも仲良しの
ルミ、モモ、ナルミ、アヤカ、キムさん
のみんなで学校の色々な場所で

カメラで写真を撮っていた。

体育館の裏やグランド、下駄箱や教室
様々な場所で“思い出“を作った。

何故だか私は
『トイレの個室で撮ろ!』と意味不明な事を言い
みんなを道連れにした。
#みんなごめん  

掃除の時間後なのでもう誰も来ない時間を選んだ。  


その時は確か個室に5人、天井が開いてるので
上からルミが撮る。という事になった。

カメラは学校に持って行ったらダメだし、
トイレでの個室に数人入り写真を撮るなど
前代未聞の事をしている私たちをこの行為はとてもエキサイティングな気持ちにさせた。

そして何枚か撮り終わりキャッキャ言ってたら


『なんしとんや!!!』

トイレの入り口から恐ろしい声がした。  

私達は一瞬にして凍りついた。

一番見つかりたくない倉橋先生がそこにはいた。


『ルミちゃん、何しとんや、中に誰がおるんや』

先生は多分いじめだと思った。

まさか個室に五人もガールズがいるとは
思わないだろう。

私同様、皆もヒヤヒヤした。

そしてルミがこう言った。

「え、、っと、、アスカ...」


四人も中に居るとバレると余計怒られると思った
ルミは幼なじみの私を売った。

でもその方が軽傷で済むのだ。


『ルミちゃん、、、
 あんたらいくら仲良くてもそれはあかんわぁ』


、、、、え????


『この事は誰にも言わんとくからもうやめなさい』




、、、、ぇえ????


まさか先生は私が用をたしてるところを
ルミが上から見守ってるとでも、、、?


とんだ誤解をされてしまった。


まぁいいか、皆んなを誘ったのは私だし、
皆んなを先生に怒らせたくないから
このままで。  

なんか誰にも言わないとか言ってるし。  

と思い先生が出て行った後、私達は
速やかに解散して教室に戻った。


教室に戻ると家帰る前の”終わりの会”
を始める所だった。  

日直が簡単な連絡事項を言い終わった後

『では今日一日嬉しかった事、嫌だった事
 報告したい人はいますか』

これは毎日聞かれる事だ。

皆んなは早く帰りたいからそんな事いちいち
この場では言わない。


だか今日は手が上がった。

日直『はい、じゃー倉橋先生どうぞ』


!!!!!

先生がこの問いにいつも反応する事は無い。

皆んな先生がなにを話すか興味津々だ。


『今日〜実はな、さっきトイレでルミちゃんがアスカちゃんの入ってる個室を上から覗いてたんや、
仲良くてもそこまではしたらあかん。
皆んなも気をつけるように!』








言わんて言ったやん、先生。


他の4ガールズを見ると笑いを堪えるのに必死で
震えている。


クラスの皆んなは誤解したままこの事実を受け入れることになる。

そんな事になっては困る。
私は当時クラスに好きな男子がいたのだ。



終わりの会が終わった途端私は
いろんな人に『違うで、違うねん。』などと
見苦しい言い訳をしにクラス中を回った。

真っ当な倉橋先生の初めての裏切り。

それが私の人生初の裏切りになった、、、。





倉橋先生の嘘つきー!!!!!

と心の仲で何度も叫んでやったが
もちろん怖くて言えない。

この話は今でも年末京都に帰って
みんなで会う時必ず話題に出ている
とてもいい思い出になった。



倉橋先生、どうかいつまでもお元気で、、。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?