一緒にいて気が楽な人ってそうじゃない期間を共に過ごしていたから?

素を出すことがいつも楽とは限らない。

少なくとも私にとっては、それはとても労力のかかることで、時間のかかることで。
素を出せる相手なんて1人か2人いればいい。

そしてそれは友達と恋人なのかなと想像できる。
「想像できる」というのも私には現在恋人はいない。
いつも経験を通して思ったことを言い合える友達いるが、恋人はしばらく…6年くらい?いない。

最後に付き合っていた人も、うーん、、なんだか、、

とにかく私の今までと、今現在のことでいうと恋人という存在に対して、頼ったり甘えたりありのままを話したりした経験がない。

今日ふと、恋人に求めるものとして、(自分の素を出せる、出しても良いと思えるよりはうーん、出したいと思えると言った方がなんだか収まりが良い気がするのでその言い方にすると)
自分のことを知っておいてもらいたいと思えることが大きいと思ったのだ。
それまではわりと軽い気持ちで恋愛ができていた私がこんなにも期間を空けて恋人がいないのは、大人になるにつれ?徐々にその気持ちを暗に積もらせていたからかもしれない。

だから、「この人には無理、あの人はだめ、合わない気がするからもう会わない」とか、素を出すという視点をもってそこにそぐわない相手のことを切り捨てていた部分が大いにあると気づいた。

それくらい私にとって素を出せる相手というのは選んでしまうものなのだ。
相手に自分をまるごと受け止めてもらうということは、自分で自分自身のこととも向き合うことになる。それが本当に苦しい。
ネガティヴなことに蓋をして、ポジティヴな方向に考える癖がついてしまった私にとって、自分のマイナスな気持ちと向き合うことが本当に疲れる。本来の自分と対峙して話し合っているイメージだ。

それでも、そんな自分のことも知ってもらいたいと思えるから不思議な感情で。
いや、だからこそ大切な人にしか知ってもらいたくないんだけど。

今日はなんだかいつもよりもずっと思ったことをつらつら、流れるように書いてしまって収拾がつかないけれども。
記しておきたいと思ったので残しておこう。


おわり

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