『はじまりのとき』セルフライナーノーツVol.5 「霧の向こう」
こんにちは!ご無沙汰しております。お元気にお過ごしでしょうか?本格的に不定期となっている更新をお待ちくださっているみなさま、大変ありがたく恐縮いたします。以前に下書きしておいた文章には「桜の時期も終わり、新年度も始まり」なんて書いてあったので、いやはや光陰矢の如しであります。
アルバム「はじまりのとき」も発売から3ヶ月以上が経過しましたが、少しお聴き馴染みつつある頃合いでしょうか?今日はアルバムの5曲目「霧の向こう」という曲についてのお話をお書きしたいと思います。
音楽や映画では重く暗い内容を伝えるのに、時に真逆の明るい表現を用いることがありますよね。暗い内容を表すのに明るいメロディーや賑やかなリズムを用いることで、そのギャップや違和感によってさらに心の奥深くに印象的に刻まれるという。子供の頃、テレビのCMで流れるおしゃれな英語詞の曲を、歌詞の意味もわからず心地よく聴いていたのが、後にその内容を知りあまりの暗さにショックを受けたということが稀ならずありました。少し似た感慨をニューオリンズのお葬式のセカンドラインの演奏でも感じました。最初は悲しげに重々しく演奏が始まり、徐々に明るいアップテンポの演奏に変化していき、ともするとお葬式らしからぬ楽しそうな様子でみな踊り歌いながら賑やかに歩いていく。でもよく見れば各々の笑顔の頬には伝う涙の筋がある、と。
この「霧の向こう」という曲は、旅立つ人を見送るとても悲しいうたです。しかも、片道切符となるであろう船出の別れを歌っています。悲しいうたではあるものの、私はこの曲の調を短調にするのではなく長調とし、メロディーも素直で素朴なものとしようと思っていました。
船が今まさに動き出し、別れを惜しんで抱き合う肩も、繋いだ手も、姿さえもどんどん遠ざかっていく。そして深い霧の向こうに消えて見えなくなっていく。それが永遠の別れになろうとは思いもしなかった。それだけ目の前の霧は、どうしようもなく深く濃く立ち込めているのです。
このように大切な人と別れ、二度と会うことが叶わなかった人々。こんなつらい別れがこれまで何度繰り返されてきたことでしょうか。地図上に引かれた人為的な境界線は人々の人生を翻弄し、争わせもします。今、こうしている間にも、世界のどこかで・・・。なんて悲しいことでしょうか。風や鳥や魚は自由に行き来するというのに・・・。
私は今年で生まれて早半世紀となりますが、これから先も声の続く限り、うたにして届けなければいけないことがまだまだ残されていると感じています。誰にも見つけられず霧消してしまった小さな声を、私の声に代えてこれからも歌い続けなければならない、と。20周年以後の歌手活動に向けての小さな誓いでもあります。
拙い文章ですが、ここまでお読みくださりありがとうございました!
大切な新しいアルバム「はじまりのとき」をこれからも永くお楽しみくださいますよう願いを込めて。
また次の楽曲解説にてお会いしましょう。
さよなら、さよなら、、さよならあ〜♪
『はじまりのとき』
#05 「霧の向こう」
アン・サリー : 詞・曲・Vocal
笹子重治 : Guitar
江藤有希 : Violin
橋本歩 : Cello& Strings Arrangement
https://annsally.thebase.in/items/56652838
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